第87話 戦功報告


「アルスメラルダ公爵、話すがよい」


 国王からもっとも近い位置に控える廷臣――—―内務卿を務めるコンラート・グライゼ・シュトックハウゼン侯爵が神経質そうな性格の窺える顔立ちのままクラウスに声をかけた。

 まるで自分が権力の一切を掌握したような口ぶりのそれは、この場にいる貴族たちにわずかではあるが違和感を植え付ける。


 ――—―この男、


 クラウスが受けたその印象はあながち間違いというわけでもなかった。

 事実、自身の政敵クラウスに視線を向けるコンラートの表情には、王家縁戚にして貴族派筆頭たるアルスメラルダ公爵を名実ともに上から見下ろすことのできる優越感のようなものが滲んでいる。


 よくもまぁこんな場所でつまらないことを仕掛けてくるものね……。


 二人の権力者の間から流れる微妙な空気は後方に控えるアリシアたちにも伝わっており、それを受ける側は溜め息を吐き出したくなる。


 僭越というよりほかない態度に、クラウスは一瞬眉をひそめそうになるものの、すくなくとも今この場においてコンラートは国王の代理にも等しい。

 それに言及するような真似は式典という儀式を潰してしまうだけでなく、アルスメラルダ公爵家の政治的な死にも繋がりかねない。

 クラウスは気付かぬフリをして軽く息を吸って気を落ち着け、それから通りの良い大きな声で応じた。


「クラウスでございます。陛下におかれましてはご機嫌も麗しく、本日このような式典にお召しいただきましたことを深く感謝いたします」


 さすがは上級貴族筆頭。一切の淀みもなくクラウスは挨拶の口上を並べていく。


「……クラウス、久方ぶりじゃな。ほかならぬ貴公ゆえ直答を許す。もっと近くまで寄れ」


 国王が直接声を発した。低い声――—―というよりはしわがれている。

 なんとか自身の病状を気取られぬよう振る舞っているつもりなのだろうが、いかんせん無理があった。

 この場に集まった貴族たちも、まずはそこに気付かぬフリをしなければならず、首を垂れたままにすることでそれを乗り切るしかなかった。


 場の中でクラウスだけが進み出て、オーフェリア、アリシア、リチャード、アベル、エイドリアンは離れた場所に残る。


「クラウス、元気であったか? 貴公の領地を含め、近頃の西部はどのようになっておる?」


 相好を崩して王はクラウスに問いかける。

 そこには王室派と貴族派の対立を窺わせるようなものは存在していなかった。


 ――—―バカ息子と一緒になってうちの娘に婚約破棄を叩きつけておいて、今さらどの口で言っていやがるんだ……!


 瞬間的に湧き上がる貴族らしさの欠片もない言葉で怒鳴りつけてやりたい衝動を完全に飲み込み、クラウスはゆっくりと口を開いていく。


「はい。王のご威光により我が国は盤石、それをもちまして健やかに過ごさせていただいております。最近の西部でございますが……ひと言で申し上げるなら、なかなかに面白いことになっているかと存じ上げます」


「……ほう。詳しく話せ」


 国王は多少、興をそそられたようだ。白い顔の中で眉がわずかに持ち上がる。


 そこでクラウスは違和感を覚える。

 先ほどの反応もそうだが、どうも以前から王都に上げていたはずの情報。その諸々が肝心の王へ伝わっていないように感じられるのだ。


 ――—―もしや、情報を遮断されているのか……?


 無意識のうちに内務卿へと視線が向きそうになるが、それをクラウスは寸前で堪える。

 こちらがなにを気付いたか、さらには抱く感情の類を見せてはならない。あくまでも今は自身の役目を演じ切るだけだ。

 婚約破棄された負い目から、王室派に対して強気に出られないくらいに思われていた方がいい。

 あるいは、そんな部分にも気づかない愚鈍な領主と――――か。


「今回の式典の目的でもございますが、我が国の国境を騒がせておりましたアンゴールの不届き者どもを蹴散らすことに成功いたしました。後ろに控えております我が妻オーフェリア、娘であるアリシア、そしてその他3名の兵士たちを筆頭としたでございます」


 クラウスの言葉が謁見の間に広がる空間に浸透するまで数瞬かかった。


「おぉ……」

「まさか、あのアンゴールを……」

「公爵夫人の勇猛はかねてより聞いていたが、まさか令嬢まで参加していたとは……」


「ちっ、たまたまだろう」

「我ら騎士団が出張っておれば、今頃アンゴールなど跡形もなく滅んでおるわ」

「案外、野盗と見間違えたのかもしれんぞ。毎年悩まされて、おおかた恐怖症にでもなっているだろうしなぁ」


 やや遅れて小さな感嘆、それと嫉妬の声が、そこかしこから上がりはじめる。


 もちろん、事前にどのような式典かを通達した上で貴族たちを参集させているわけだから、これはある種の“仕込み”である。

 囁きの内容が大きく二分化されていることからわかるように、当然ながら王室派、貴族派それぞれに属する貴族が行ったものだ。

 彼らの口から漏れ出た言葉はどれも本心から発せられたものだが、必要に迫られているから殊更大げさに驚いてみせているだけで、意味合いとしてはパフォーマンスに過ぎない。

 沈黙を選んだ者たちもいるが、それは第三勢力――—―といえば聞こえはいいが、要するにどっちつかずの日和見派だった。


「そうか! 後ろに控える者たち、直答を許す! ちこう寄れ! おお、オーフェリア、久しぶりじゃが相変わらず美しいな!」


 国王の目に火が灯ったように感じられた。

 たちまちに声が変わっただけでなく、身を乗り出すようにして訊ねてくる。


 この反応は周囲の貴族たちを少なからず驚かせたが、クラウスとしては驚くことではなかった。


 ヴィクラント王国では長きに渡って戦争は起きておらず、国境でちょっとした小競り合いが時折見られる程度の状況だ。

 その中で明確な勝利として報告ができる話題。それに食いつかないわけがない。


 もちろん、クラウスとしてはそれだけが理由ではなかったが――――


「……して、どのようにヤツらを撃退した!?」


「陛下、そこは武功を上げた者から直接お聞きになるがよろしいかと」


 待ちきれない国王。どう答えようかと思案するクラウスに、妻オーフェリアが絶妙なタイミングで助け舟を出した。


 彼女はクラウスの妻――—―公爵夫人の身分を持つが、同時に西部方面軍の司令官でもある。そのオーフェリアが許可するのであれば誰も口など挟めようはずもない。


「よし、話せ! 王の前だからと委縮するような真似はするな!」


 ここでアベルの出番となる。

 階級では少将であるリチャードが最高位なのだが、それはあくまでも海兵隊内部なかまうちでの話であり、この世界の貴族としての地位を持つアベルが話したほうが問題もないと事前に打ち合わせ済みであった。


「エルディンガー伯爵家次男のアベルでございます。陛下、まずは我々がアンゴールとどのように戦うことになったかについて報告させていただきます」


 よどみのない言葉で戦いに参加するまでの経緯を語っていくアベル。彼もまたクラウスに負けていない。

 いや、むしろ年若く国の役職にも就いていない――――それこそ学園を卒業したばかりの人間が、重鎮たちを前にしてこれほどまでに話せるものだろうかと報告を聞く貴族たちに強い驚きを与えていた。


 秘蔵っ子のデビューにはいい機会だろうとアベルを見守るクラウスは内心でほくそ笑む。


「――—―陛下、私が身を包む服装をご覧になってお分かりの通り、我々は王国軍とは異なり少数精鋭の作戦行動を主目的として試験的にアルスメラルダ公爵領で設立された部隊となります」


「なんとそのような試みをしているとは!」


 エグバート王の口から放たれたのは驚愕の言葉。

 今でこそ国王として振る舞い、また体調の関係もあって控えているが、元々は武勇に優れた王子として名を馳せていた。また、小規模ながら戦場を駆けたこともある。

 そんな経験を持つ王からすれば、久方ぶりに届いた勝利の報と“新たな戦い方”などと嘯く存在に興味を持たないはずがなかった。


「今回の勝利は、王国西部方面軍があってこそのものだとは疑いようもありませんが、我々は彼らとはいささか異なる戦い方によって敵将を討ち取ることに成功しております」


 会場のざわめきが大きく上がる。雰囲気を盛り立てるには最大のBGMだ。


 ここまでは予定通りに進んでいる。部下を見守るリチャードの表情にも満足気なものが浮かんでいた。


「敵将を討ち取ったとな!? それは初の試みではないか!?」


「そしてその際、敵将を討ち取ったのはクラウス閣下のご令嬢であられるアリシア様でございます」


 王の関心が今自分たちへ最大に向いていることを肌で感じたアベルは、ここぞとばかりに畳みかける。


 そして、彼が投じた一石はこれまででもっとも大きなざわめきを呼び寄せた。

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