第88話 弱火でじっくりコトコト煮込む
「なに! クラウスの娘がやってのけただと!?」
身に病を抱えているとは思えないほどの驚愕が国王の口から漏れ、それは大きなざわめきとなって周囲に波及していく。
とっておきの爆弾発言を前にしては、今度ばかりは仕込みでどうにかなるものではなく、参列者たちの“生の感情”が波紋となって広間に染み渡る。
「はい、それも一騎打ちにて」
ざわめきの中でアベルは涼やかに答える。なんとなくしてやったような気分になれた。
「それはまことか!」
驚きが止まらないエグバート王の目が見開かれ、線がアリシアに吸い寄せられる。
いつしか式典の主役が微妙に移り変わっていたが、よくみればクラウスもオーフェリアも満更ではない表情を浮かべている。親バカの顔だった。
一方、当然のことながら、“本職”を差し置いて国王からの賞賛を一身に浴びる存在を見させられている騎士たちは気分が良いわけもなく、様々な感情が混ざり合った視線がアリシアへと注がれる。
――—―なんともまぁ居心地の悪いこと。これが王宮……いえ、政治の空気なのね。
粘つくような視線を受けて、アリシアは頭を下げたまま小さく鼻を鳴らす。
「陛下、そこは直接お聞きになられるがよろしいかと」
「よし、話せ。もっと近くに寄れ」
参列者から余計な反応が出る前にすかさずクラウスが助け舟を出し、国王もまた鷹揚に頷いた。
さすがに爵位を持たないアベルでは国王に直接提案をするのは僭越に過ぎた。
また、公爵が口を開いたとなれば彼よりも爵位や地位が下の者が割り込むことはできなくなるし、すでにアリシアたち海兵隊に強い興味を持ったエグバートを誘導すれば許可が下りるのは間違いないと睨んでいた。
事実として、王室派の数人は何か口にしようとしていたが、まさか国王の後に言葉を発することができるわけもなく、不承不承といった様子ではあるが口を閉ざしていくしかない。
様子を見守るアベルからしても見事としか言いようのないタイミングだった。
「アリシア・テスラ・アルスメラルダでございます。国王陛下におかれましては拝謁をお許しくださり、恐悦至極に存じます」
いよいよアリシアの出番となった。
先に前へ出ていたクラウス、アベルに並ぶと静かに口を開く。
「口上はもうよい。余は戦いの話を聞きたい。それで? どのように戦ったのだ?」
虚礼は不要だと告げて、エグバートはわずかに身を乗り出す。
「はい。母オーフェリアの率いる本隊を敢えて陽動とし、我ら別動隊にてアンゴールを率いる将の部隊を横合いから急襲。対応の遅れた隊列を突き破り――――」
先ほどのアベルにも劣らぬ澱みのない口調でアリシアは報告を続ける。
ちょうど途切れていた部分から続ける形となり、それがまた物語のように聞く者の胸に響いていく。
中でも特に影響を与えたのは当主に付き従って来た女性陣だった。
彼女たちもこうしてアリシアのような存在が現れ、また自分自身で意識してみるまでは疑問にも思わなかったであろうが、男にも劣らぬ活躍を見せられたことで自分自身の身に置き換えて考えたようだ。
自らが持たぬものへの嫉妬もあるが、それ以上のものとして憧憬にも似た視線をアリシアへと向けていた。
「……そうか。おぬしのような少女でも
報告を聞き、しばらくの間思考に移っていたエグバートが口を開いた。
国王の放った言葉に、アリシアに向けられていた負の感情交じりの視線がますます強まっていく。
そのほとんどは騎士たちからのものだった。しかし無理もない反応だ。
この世界における戦いの主力は騎士――—―騎馬戦力なのだ。彼ら“主役”を差し置いて戦果を上げたなどと言われ、また常識とは異なる戦い方で得た戦果を放され、納得して賞賛できる者がいるとすれば、むしろそちらの方が異常である。
くわえてアリシアは女の身であり、男のみで構成される騎士たちからすれば面目を潰されたどころの話ではない。
「最後の男の遊び場にまで女がやって来た」と嘯いた地球の軍人とはまるで異なるドス黒い感情を抱いていた。
先ほども触れたが、この世界は男尊女卑の傾向が非常に強く、西部国境をはじめとして武神に等しい戦歴を持つオーフェリアが塩漬け同然の扱いを受けていることからも、今回あげた戦果は単純な抜け駆け以上の効果を持つ。
もっとも、それこそがクラウスたちの狙いでもあった。
彼はアベルやリチャードから地球における男女の待遇差についても聞いてはいたが、なにも無理にそれをこの世界に適用させようとしているわけではない。
むしろ、あまりにも社会の形態が異なるため、数百年後でなければ混乱しかもたらさないことまで正確に理解していた。
仮に領地を持つ貴族の何割かを女当主に替えてみればわかるだろう。おそらく、すぐにその領地は荒廃し、国力も傾いてしまう。
単純な話だ。新たな当主が領地を治めるための教育を受けていないのだから。
しかし、それは彼女たちに適性がないことを意味することにはつながらない。埋もれた才能を発揮する機会すら与えられていないのがこの国の現状なのだった。
とはいえ、この先どうなるかはわからない。
すくなくともクラウスたちは“アリシアという前例”を作ろうとしているし、先ほどの女性たちの心にも“見えない弾丸”を撃ちこんである。
ある意味では、今回王都にまでやって来たのはこのためでもあった。
要するに、クラウスは国中から集まった貴族たちに新たな価値観を植え付けてやろうと思ったのである。いや、植え付けるというのはやや正確ではない。あくまでも“提示”というべきだろう。
クラウスからすればピンからキリまでの評価に分かれる者たちだが、領地を運営できている時点で――過去の遺産を食い潰している者は例外としても――バカではない。
確固たる実績を突き付けてやれば、より利を生む選択肢に手を伸ばせる賢明さはあると思っている。
もっともこの程度――――たった一度の戦果だけで、すぐさま旗幟を鮮明にする者は出てこないだろうし、それ以上に炙り出そうとする目的があった。
「クラウスの娘――――いや、アリシアよ。まことに大儀であった」
このような新たなものを拒絶せんとする人間を。
「おそれながら陛下」
そこでひとつの声が発せられた。
この状況下で発言できる存在は限られている。
「……なんだ、ウィリアム」
興を削がれたようにエグバートの表情が消える。
さすがにこの状況下で王子が口を開くとはクラウスたちも思ってはいなかった。
彼にはアベルたちの戦果を超える何かがあるわけでもない。
「ただ一度の戦果――――それもアンゴールのような蛮族を相手に挙げた程度で評価するのはいささか早計ではないかと存じます」
――—―さっきから気に入らなそうな顔をしているとは思っていたけれど……。
まさか言いがかりを吹きかけてくるとまでは想像できなかった。
「たしかに対外的な勝利を得られたことは賞賛すべきでしょう。しかし、それで大げさに持ち上げて、これまで国を守ってきた騎士団が蔑ろにされるような事態は避けなければなりません」
物は言いようである。
「どうだ、アルスメラルダ公爵?」
エグバートがクラウスへ視線を投げた。
「殿下のおっしゃられることはごもっとも。では、模擬戦を行いましょう。騎士団からの選抜で我らの率いる部隊と競わせればよろしい」
クラウスは平然と答えた。いや、それどころか内心ではほくそ笑んでいた。
そして、クラウスだけでなく、この場に控えている全員が内心で不敵な笑みを浮かべていたことは言うまでもない。
こうも都合よく向こうから引っかかってくれるとは思いもしなかった。
そうでなければまた数度の他国との小競り合いに介入する羽目になっただろう。
「わかった。追って進めるがよい。では、アルスメラルダ公爵よ。ご苦労だった。下がれ」
「はっ」
そうして謁見が終わったのであった。
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