第89話 Separate Ways


 謁見――—―という名の“儀式”が終わった後、クラウスだけが王そば付きから密かに呼び出しを受けて城内の部屋へと通された。

 城内でも限られた者しか知ることのできない王の私室であり、よほど慣れていなければ辿り着くのも不可能な場所にある。

 ある意味では、今の国王が最も自由になれる場所でもあった。


「……クラウス、あのような“茶番”を仕組んですまなかったな。しかも、こうして人目を忍ぶ場でなければ謝ることすらできぬ」


 寝台の上でヘッドボードに背中を預けた国王――—―エグバートが枯れた声で漏らした。

 双眸にこそ意志の光は宿っているが、それ以外は動かすのも困難な様子だ。

 よほど病の具合が悪いのだろう。あるいはそれだけでなく先ほどの謁見で体力を大きく消耗してしまったに違いない。


「陛下、臣に対してそのような――—―」


「よい、クラウス。畏まるな。ここには“俺”とお前しかいない。昔の口調でいい」


 クラウスの言葉を遮るエグバートは強い視線で訴えかけていた。


 今でこそ国王と公爵家当主――—―つまるところ主君と臣下の間柄となっているが、元々ふたりは学園で共に過ごした時期があった。

 王太子と公爵家の跡取りということで、学友として、友人として、そしてある意味ではライバルとして研鑽してきた仲ではあったが、いつの間にかここまで道が分かれてしまっている。


「……そんなに悪いのか」


 最初の言葉への反応はせず、あくまで旧友に向けた口調でクラウスは問いかける。

 エグバートの表情から調子が悪いのは一目瞭然だったが、それでもふたりが話を始める切っ掛けとして必要な儀式だった。

 その証拠に、王の表情がわずかに柔らかくなったような気がした。


「正直、気力だけでもっているようなものだな……。宮廷医官どもはなにも申さぬが、冬を迎えられても乗り切るのは……。老いたくないものだな、クラウスよ」


 長い溜息がこの国を治めてきた男の口から吐き出される。

 自らの余命を告げるこの国の主を前にクラウスはどのように答えるべきか逡巡する。


「しっかりしろ、そこまでの年齢じゃないだろうが。この期に及んで王が崩御などとなればまたぞろ面倒ごとが起きるぞ」


 臣下が王に向ける言葉としては無礼極まりないものであったが、旧くからの友のやりとりであれば何も問題はなかった。


「俺の身ひとつでか? ははは、予想されていたこと以外の何が起きるわけでもなかろう。もはや俺に実権はないに等しい」


「……コンラートとその一派の仕業か。小賢しいことをしてくれたな」


 式典の際にクラウスを見ていたシュトックハウゼン侯爵の“勝者気取り”としか思えない目が思い起こされる。

 考えてもみれば、ただ単に内務卿の地位を獲得しただけであのようにはならない。権力の掌握が済んでいるからこそできる態度だったのだ。


「ああ、今となってはやつらが握っているようなものだ。ウィリアムを通してな。だからこそ、あのように無茶苦茶な婚約破棄が罷り通ってしまったのだ。そして、貴族派が静観せざるを得ないこともわかっていてやりおった」


 鼻を鳴らすエグバートの顔に苦い感情が浮かぶ。

 すくなくともこの男は理解している。今の時勢で国を割るようなことが起きればどうなるか。そしてそれを避けるために貴族派が動けないことも。


「どうにもおかしいとは思っていたが……」


 クラウスは眉根を寄せる。


「とはいえ、あの局面ではこちらも対応しようにもできなかった。もし俺が積極的に動いていたら国を割る事態に発展していた」


 小さく息を吐き出すクラウス。

 貴族派筆頭に位置づけられる彼をもってしても、一度貴族たちの感情が沸騰してしまえば抑えることなど到底不可能だ。

 長きにわたって国の内側に堆積された火種への“着火剤”として、自分が抜群の熱量を持っている自覚がクラウスにはあった。


「で、あろうな。……しかし、ともすればその方が長い目で見てこの国のためであったかもしれぬ。弱ったからかそう思うことがある」


 国王の発言とは思えない言葉にもクラウスは答えない。


 本来であれば、政治――—―支配者同士の権力争いのために国の民を巻き込み、殺し合いをさせる以上の愚行などありはしない。


 しかし、何事にも例外は存在した。

 真に国のために必要ならば、時としてこともあり得るのだ。その可能性をエグバートは示唆していた。


「見たか、あの式典の程度の低さを……。アンゴールに毎度国境を脅かされておきながら、騎士団は自ら王都から打って出ることもなかった」


 実態はオーフェリアに率いられている西部方面軍が食い止めていただけで、当然ながら脅威が存在しなかったわけではない。むしろ危険度は年々大きく増していた。

 もちろん、互いに理解しているため敢えてそこには触れない。


「そのくせに、転がり込んできた他人の勝利で慢心し、そればかりか自分たちであればより華々しい戦果を挙げることができたと本気で思っておる。よもやここまでの国になっているとは思わなんだぞ」


 やりきれぬとばかりに苦い笑みを表情に浮かべるエグバート。

 ここまで状況が悪化していては、もはや笑うしか自身の抱えた感情の処理ができないのだろう。


「あまり関わってこなかった身が言うことではないが、いくらなんでも政治の季節が長すぎたな。武官までもが王都のよくない空気に染まっている節がある」


 数年前まではクラウスが内務卿に就いており、王族以外での最高位を務めることで王室派と貴族派のバランスを取っていたのだが、アリシアとウィリアムの婚約を機にその席から退いている。

 王室派へ譲歩した形であったが、その当時は緊張を緩和するために必要な措置だった。

 まさかそれがこのような事態を引き起こすとは思ってもみなかったが、それは油断としか言いようがない。


「それは俺もわかっている。王室派と貴族派の均衡ばかりを重視しすぎたことはな……。しかし、だからといってこのまま捨て置き、我が国に滅亡への道を進ませる愚行はできん」


 エグバートの表情にはある種の覚悟が浮かび、声にもいつしか硬い心が通っていた。

 いかに病に侵され儚い有様であるとはいえ、エグバートが一国の主であることを感じさせるものだった。


「お前に頼みたいことがある。実は王都の近くにある――—―」


 国王から告げられた内容に、クラウスはどのように言葉を返すべきかしばしの間迷うこととなる。

 すくなくともそれはこの国の運命を大きく左右する可能性すらあった。


「そのような顔をするな。お前らしくもない」


「……無茶を言わないでくれ。すべて俺に押し付けて先に逝こうとしているヤツにどんな顔をしろと言うのだ」


 心の底からの困惑を露わにしてクラウスは答えた。


「ははは、それすら俺からすれば贅沢な言葉だ。お前はあんなにも良い娘を持った。報告をした時の騎士どもの表情を見たか? 痛快なくらいであったぞ」


 旧友の滅多に見られぬ表情に肩を揺らしてエグバートは笑う。


 現在の情けない国情の中へともたらされた吉報に溜飲が下がるものがあったのだろう。

 クラウスを見るエグバートの言葉には隠しようのない羨望が入り混じっていた。


「……どうかな、あれにはまるで年齢相応の落ち着きがない。だが、手がかかるわりに、良くも悪くも面白いことをしてくれる。すくなくとも、あれは妻の血を引いたのだろう」


「よく言ったものよ。どちらの長所も受け継いだようにしか見えん。思えばオーフェリアにも悪いことをしたものだ……」


 もしも性差なく正当な評価を得られる時代であれば、公爵夫人でありながら然るべき立場で辣腕を振るっていても不思議ではなかった。

 せめて王族に連なってさえいれば……とエグバートとしては思わずにはいられない。


「王の一存だけで何とかできるものでもないだろう。下手に慣習を無視すればそのひずみが出ていた。だが、アリシアはそこに風穴を開けてくれるかもしれん」


 すでに布石は打った。


「そうか、俺のほうは……ダメだな。ウィリアムが王位に就いてはこの国はそう遠くないうちに他国に飲み込まれる。補佐する人間がおらん。もしもお前の娘が嫁に来ていれば違ったかもしれんが……いや、これは単なる未練だな」


 渇いた笑いと共に発せられたのはあまりにも非情な言葉だった。自らの血を引く息子を斬り捨てた言葉に等しい。

 だが、彼は国王であり、この国の安寧と発展に対する責任を負っている。ひとりの父親の視点を持つことなど許されないのだ。

 そして、だからこそ座して滅びの運命を待つわけにもいかなかった。


「あいにくだが、アリシアが頭角を現したのはくそったれな婚約破棄の後だ。あのまま婚姻が成っていたとしても、上手くいったかはわからんよ」


 あれだけ大きな転機がなければ、ここまで状況が変わることもなかったはずだ。

 なにが起因しているかわからないため断言はできないが、なんとなくアベルの前世意識が覚醒することもなかったように思う。そうなると海兵隊もこの世界に現れていなかったであろう。

 そしてアベルが以前のままであったなら、それこそ彼が語ったように公爵家が滅んで終わっていたことだろう。


 そう言っていいほどに、あの婚約破棄はすべてを変えた。


「そうか。だが、潜在能力はあったのだろう? つくづく惜しいことをした。アリシア、あの娘は間違いなく麒麟児きりんじだ」


 為政者としての目のままエグバートは満足気に微笑んだ。


「かもしれん。だが、あれが戦えているのは


 クラウスはまっすぐな目でエグバートを見る。

 あたかも主君が語らないながらも伝えようとしている意図のすべてを汲み取っているかのようだった。


「であろう。あの場に参列していた“得体の知れない兵士たち”も、そう遠くないうちになにかしでかしてくれそうだ。そちらの素性は訊かないでおくが――――クリンゲルにはアンゴールの王子もいるのだろう?」


 ふと口にしたエグバートの言葉にクラウスの表情がわずかに固まった。


「ふはは、答えずともよい。すこしはその仏頂面を動かせられたようだな。とっくに王としての実権は失ったが、それでも俺なりの“手”は持っている」


 これまでにない満足気な表情を見せるエグバート。今度はクラウスが苦い笑みを浮かべる番だった。


「結末を見届けられそうにないのが残念だが……いやはやこれもまた未練か。ところでクラウス、未練ついでにもうひとつ頼まれてくれんか」


「はぁ……。どうせ断れる話ではないのだろう? 先ほどの無茶な頼みも含めて企みが読めてきた。くたばる前の置き土産が多すぎやしないか?」


 ここぞとばかりに難題を持ちかけられている気がしてならなかったが、それもまた旧友の頼み事だと半ば諦めてクラウスは溜め息を吐きだし、それからゆっくりと頷いた。


「本来なら不敬罪で処刑するところだが……。憎まれ口を叩くわりには嬉しそうだぞ、クラウス」


 エグバートは見逃さなかった。

 見せた態度に反して、公爵の双眸にはどこか事態を楽しむような気配が存在していることを。



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