第86話 とりあえず見えないところで足を蹴るんです


 謁見の間に続く廊下は荘厳な重苦しいまでの荘厳さに満ちていた。


 より念入りに磨き上げられた床の上には深紅の絨毯が敷かれている。

 歩き廊下の終点にある扉もまた重厚な造りとなっているが、その表面には金細工が施されていた。


 控えの間をはるかに凌ぐそれは、まさしくそこをくぐり抜ける者に対してヴィクラント王国の権力を見せつけんとする神聖装飾である。


 扉の両脇には数人の男たちが一行の到着を待ち受けていた。


「準備はよろしいでしょうか、閣下」


 出迎えた内のひとりは文官――――老年に達するであろう宮廷式典官であり、その他は各騎士団の幹部だった。


 武と名誉を貴ぶ騎士としてのプライドがある以上、同僚以外の者が上げた功績にあまり良い印象を抱いていない――――特に海兵隊メンバーへ向ける得体の知れない人間への侮蔑、さらには妬み嫉みらしき感情の混じった視線はアリシアにも容易に読み取れた。


 もし王都から派遣されていた騎士が指揮を執っていれば、こうはならなかったであろう。

 公爵領のトップは当然ながらクラウスだが、アンゴールを撃破した軍の指揮官はオーフェリアだ。彼女が伝説に近い存在として謳われるとはいえ、「しょせんは女の身で……」という男尊女卑的な意識がないわけではない。


 また、より厄介なのが海兵隊の存在だろう。彼らは完全に私兵集団扱いとなる。


 この世界に戸籍制度はないが、それでも発言権のある地位――――国から叙された貴族として扱うことは王都に記録が残されているため不可能だ。

 ただ、そこは代々領軍に貢献してきた平民だなんだと書類の捏造はできるため、今回の功績を以って一代限りの騎士爵あたりにしてしまうべきだろう。

 平民の戸籍などないのだから、さすがにそればかりは確かめようもない。


 ――—―まぁ、あちらからすれば素直に喜べる話じゃないわよね。それと“貴族としての選民意識”かしら。自分もそうだけどあらためて見ると面倒なものばかりよね。


 そんな諸々の事情が自然と読み取れたアリシアは嘆息したくなる。


「いつでも結構だ」


「それは重畳。……しかし、勇猛で知られるアンゴールを打ち破った猛者たちと聞いてはおりましたが、思ったよりも普通な者たちですな」


 筋骨隆々とした偉丈夫の群れを想像していたのか、言葉を付け加えた宮廷式典官の表情にはいくぶんか拍子抜けしたようなものが宿っていた。


 公爵を相手にずいぶんな口のきき方と態度であるが、これは式典官が王室派に属している背景もあるのだろう。

 加えて、この場にいる騎士団の者たちが“自分より”と判断したのも大きいのだろう。


 そんな態度に、クラウスの斜め後ろに控えるオーフェリアから、わずかに剣呑な気配が流れ始める。


「それに加えてご令嬢までお連れになるとは――――」


 そんな気配には気付かず、式典官は一瞬だけアリシアに意味ありげな視線を向ける。


 これは「よくも婚約破棄された娘をこのような場に連れて来られたものだ、バカ親め」とでも思っているからであろう。

 つまり、彼はアリシアがアンゴールの指揮官を討ち取ったという報告を信じていないことになる。

 個人の思惑だけでこのような態度をとってくるとは思いにくいため、おそらく王室派としてそう見做していると判断してもよさそうだ。


 ――――まぁ、べつに構わないけれど。戦力を正確に評価できないならそれで。


 しかし、当のアリシアにはなにも響かない。

 海兵隊の力を借りたことは確かだが、それでも紛れもない戦果を上げているのだ。

 わかる人間だけがわかればいい。敵となり得る存在は特に。


 そうして聞き流そうとしたアリシアだが、直後のクラウスの行動に目を丸くすることになる。


「貴官のご期待に沿えず申し訳ないな。もっとも――――我々は見た目や口先だけで戦いを行っているわけではないのでな。そのあたりが貴官に理解できないのも已むを得まいよ」


 笑みを浮かべたまま放たれたクラウスの言葉に式典官は言葉を失った。


 嫌味のひとつでも言ってやれば尊大に見えるアルスメラルダ公爵の表情を崩してやれるかと思ったのだが、まさか皮肉を返されるとは思っていなかったのだ。

 笑ってやろうとした相手に笑い飛ばされたばかりか、武官の前でも恥をかかされるなどという結果を招くとは。


 彼の不幸はそれだけにとどまらない。

 よく見れば騎士団幹部たちも笑いを堪えていた。口元が小刻みに動いているばかりか肩も震えている。

 まさかこの空気の中で平然と意趣返しを仕掛けてくれるとは思っていなかったため、彼らにとっては不意打ちも同然だった。


 彼らの多くは王室派かよくて中立派だ。

 クラウスに対する好感情があるとは言えないが、それでも“武官として文官風情に舐められる”状況に不快感を覚えており、それがこのような反応を生み出したのだ。


 それがわかっていたから、クラウスは互いの関係に

 それも自分たちの留飲を下げるのと同時に。


 顔を真っ赤にしかけた式典官が懸命に怒りを覆い隠そうとする姿を見て、控えるアリシアたちは内心で感心するしかなかった。


「アルスメラルダ公爵、クラウス・テスラ・アルスメラルダ殿! ご入場!」


 これ以上の会話で恥をかかされてはたまらないと思ったのか、式典官は内心に渦巻く怒りを紛らわせようとするかのような大きな声を発して扉を開けていく。


 次第に開け放たれていく扉を抜け、クラウスを先頭に一行は黙ったまま謁見の間に足を踏み入れた。


 ――――これはまた……たいしたものを用意したわね……。


 柱の林立した長方形の部屋――――謁見の間は射撃訓練ができそうなほどの広さがあった。

 周囲には装飾がこれでもかと施されており、床や壁面への手の入れようも神経質なレベルに達している。

 さすがに貴族たちが集まるばかりか、国家における最高権力者までもが居合わせる場だ。


 そして、そんな場の空気を一層盛り上げようとするかのように、学園の卒業式の規模を凌ぐオーケストラによる演奏が始まった。

 これもまた必要なものなのだろうが、やはりアリシアには大げさなものに感じられてしまう。


 そんなアリシアが一瞬だけ視線を動かすと、海兵隊メンバーの表情にもわずかではあるが緊張が見られた。


 ―――無理もないか。さすがにわたしも緊張するし。


 床にはこの式典のメインゲストが進むべき緋色の絨毯が敷かれており、20メートルほど先の終点は一段高くなっている。玉座だ。

 持てる技術の粋を集めて作られた豪華な椅子に、この国の王であるエグバート・アレイク・ヴィクラントが座っていた。


 50歳ほどの男だが、久しぶりに姿を見たアリシアは小さく衝撃を受ける。


 


 遠目からでは体形くらいしかわからない。おそらく顔色も悪くなっているに違いないが、燭台を近くにまで配置しており、その反射で血色を誤魔化しているようだ。

 病と聞いてはいたがこれほどとは。


 ――――それほどまでに芳しくない状態なのかしら。


 そんなことを考えつつも、すぐにアリシアは視線を余所へ移した。


 緋色の道の両側には錚々そうそうたる顔ぶれが並んでおり、絨毯を挟んで右側には武官が、左側には文官や王族の関係者が列していた。


 もっとも王に近い場所には後継者として最有力であるウィリアムの姿もあり、無表情というよりも仏頂面に近い状態でクラウスたち――――主にアリシアのことを見ないようにしているのがわかった。


 ――――これはダメだな。下手をすれば


 将来の国王最有力候補の体たらくを目の当たりにして、クラウスは溜め息を吐き出したくなる。

 しかし、それを習慣と教養の力で堪え、彼は宮廷楽団の演奏が鳴り止んだところで堂々と進み出ていく。


 絨毯は見た目以上に深く、靴が沈み込むような感覚をその上を進む者へと与える。


 そんな中、踵を叩きつけるような軍靴の音が室内に響く。周囲からは息を呑む気配がする。

 これはクラウスのものではなく、彼の後を進む海兵隊のメンバーのものだ。

 ブルードレスという誰も見たことがない礼服に身を包む“兵”たちが奏でるそれは、下手をすれば先に演奏されていた曲よりも強く参列者たちの印象に残ったかもしれない。


 そう、狙っているのは音響効果だった。

 これはリチャードの入れ知恵――――「精々、見栄えのする儀式にして差し上げればよろしい」という言葉に端を発するものだ。


 式典を利用して国威発揚を目論む――――他人の功績を誇ろうとする連中に、公爵領が持つ“力”をある程度見せつけてやる。

 王都側が仕掛けてきたがゆえに反撃を行うだけだが、それはある意味においては王家の面子さえも潰しかねないものだった。


 そんな秘められし目的を知らぬ参列者たちは感心したようにクラウスたちが進むのを見ている。


 そうして玉座から10メートルほど離れた場所で、クラウスは立ち止まった。


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