第85話 迷子の迷子の緊張感


 そうして式典の日がやってきた。


 王宮へ登城すると、出迎えた廷臣がアリシアたちを待機の部屋へと案内していく。


 途中の廊下は異常なまでに完璧に磨き上げられており、塵ひとつ落ちていない。


 途中で何人かとすれ違う。

 皆、アルスメラルダ公爵たるクラウスとその妻オーフェリアに会釈をし、ふたりもまたそれに応じて進んで行く。

 会釈の傍ら、人々はアリシアら海兵隊メンバーを値踏みするような目線を飛ばしてくるが、それも仕方のないことであろう。


 なにしろクラウスは、本来であれば登城など許されない私兵――――海兵隊メンバーを伴っているのだ。

 これもアンゴールを退けたという功績をフルに利用していると言えよう。


 さらにいえば、彼らは海兵隊の礼服に身を包んでいた。

 21世紀を迎えた地球、しかも現代の軍服はスーツ型の開襟ジャケットが主流であるにも関わらず、アメリカ海兵隊の礼装であるブルードレスは異様に目立つ。

 その中で海兵隊のそれは、白の制帽に濃紺色のジャケットを白のベルトで留め、その下のパンツもまたブルー。

 加えて、得体の知れないライフル銃ではなく敢えてマムルーク刀風の軍刀を腰から下げており、窓から差し込む陽光を反射する軍靴が絨毯を叩く度、鈍い音を立てていた。


 いかに貴族の衣装が地球のそれと比較して派手なものが多いとはいえ、これが目立たないわけもない。


 だが、


「こちらでお待ちを」


 しばらく歩いて控えの部屋へと着く。


 中の調度は言うまでもなく一級品で統一されていた。

 以前に教会で見たそれらよりも品がよくグレードも数段高い。この中の物ひとつで平民の人生がいくつも買えるくらいの価値はあるだろう。


 地球人としての意識を持つアベルは、相変わらずこれらの価値を見出すことが難しい。

 とはいえ、国家を支配する王族の権威を保持するためなのだから、一概にこれを無駄だと言い切ることはできない。貴族として生きてきた意識がそうさせていた。

 

「無駄ではないが“無駄”だな」


 クラウスの従者――—―執事役と言いつつ、ちゃっかり将官服に身を包んでいるリチャードが周囲に自分たちしかいないことを確認して言い切った。


 これを揃えられる財力があるなら、限られた人間にしか見せない部屋など飾り付けずに公共工事などを行うべきだろう。そうすれば生産性も上がり、国力が上昇する。


 ところが、王族・貴族たちの多くは自分たちの栄華に関すること以外はオマケくらいにしか考えておらず、彼ら特権階級の凝り固まった意識からそんな考えは当分生まれそうにない。


「あなたがたからすれば奇異に見えるでしょうが、残念ながらそういう社会構造なのですよ、少将」


 上座のソファに腰を下ろしたクラウスが手を組みながら苦い笑みを浮かべる。


「でしょうな。文化として理解だけはできます。ですが、私としては閣下がそうではなくて本当によかった」


 リチャードもこれが文化の違いであることは承知の上で言っているのだ。

 さすがに気に入らないからというだけで、武力を以ってひっくり返すわけにもいかない。


 もっとも、M1A2エイブラムス戦車を何台か、あるいはM1128ストライカーMGS、それと念には念を入れて歩兵一個大隊でも用意できれば可能だろう。


 だが、残念ながら今の海兵隊支援機能では装甲車の召喚も不可能だ。

 ロックがかかっているということはいずれ可能になるはずだが、そのためにはどのような条件を達成すればいいのだろうか。

 このような非常に物騒なことをリチャードが考えているとは、彼の次席士官であるアベルさえも知らない。


 もしかすると、より厄介な人間をこの世界に招き入れてしまった可能性があったが、はっきり言って後の祭りである。


「私には華美な装飾で己の虚栄――—―自尊心を満たす趣味がないだけだよ。もちろん、必要性は理解しているがね」


 リチャードの雰囲気がそうさせるのか、貴族らしからぬ“本音”がクラウスの口を衝いて出たが、海兵隊メンバーは皆聞かなかったフリをした。


「その時として趣味が国を傾けることもございましょう。いずれにせよ、閣下がそれを必要としないだけで我々としては最大のパフォーマンスを発揮できます」


「そう言わずとも貴官たちには期待しているさ」


 オーダーさえあればいつでも最大限の戦果を上げて見せる。

 リチャードの言葉が暗に示す部分をクラウスは誤解せずに受け取った。


「失礼致します。よろしければこちらをどうぞ」


 そんなところで部屋付きの男性がノックと共に果物の盛り合わせを持ち込んできて会話が中断された。


 そして、そのまま数十分待たされた。


「なかなか呼ばれませんねぇ」


 護衛役として随伴しているエイドリアンは、部屋付きの男性にあれこれと果物を切らせて遠慮なくバクバクと食べている。


 公爵閣下を無視してこれでは、いったい誰が偉いかわかったものではない。

 実際、男性は果物を切りつつエイドリアンに向けて訝しげな視線を時折向けていたが、その場の誰も咎めようとしないのだから彼になにかできようはずもない。


「あれ、みなさん食べないんですか? 美味しいですよ」


 自分だけが呑気に食べているとは思わないのか、エイドリアンが他の面々に果物を勧める。

 完全にマイペースの領域を超えていた。


「……好きにしてくれていい。なんなら食い尽くしてくれても構わんぞ」

 

 これにはクラウスも呆れ交じりに口を開くしかない。

 この先、式典で待ち構えているであろう新たな策謀があることを考えると、さすがの彼も気が重くなってくるのだ。


 王都側がこうして彼らを呼びつけたのにはなんらかの意図があるはずだ。

 まさか「よくやった。西に負けずみんなも頑張ろうぜ、イェーイ!」だけで終わるはずもない。そう単純であればどれだけ気が楽になるだろうか。


「それじゃあ、わたしがいただこうかしら」


 そこで予想もしなかった人物から声が上がった。

 立ち上がったオーフェリアが進み出ると、なんと切り分けてあった果実をパクパクと食べ始めたではないか。


 唖然となる一同。

 しかし、オーフェリアに気にした様子は微塵もない。


「あら、たしかに美味しいわね」


「でしょう? これを食べないのはもったいないですよ」


 このふたりの均質圧延鋼装甲換算で1,000ミリレベルにも及びそうな強心臓には誰も敵わない。


 現に、公爵夫人というよりもそれをはるかに凌駕する武名で鳴らす伝説に近い存在を前に、部屋付きの男の果物を切る手は震えている。


 気の毒なところに配置されちゃったわね……。


 見えない位置から同情にも似た視線を送るアリシア。

 さすがの彼女もここで果物をぱくつく胆力は持ち合わせていなかった。


「……アリシア、此度は陛下も出席される。ないとは思うがなにか希望を聞かれたら、陛下の御心のままに、とでも答えておけばいい。あとは私がやる」


 “耳”がいるため表立っては言わないが、「言質を取られるようなことをするな」という意味でもある。

 なんだかんだといっても領主代行に過ぎないアリシアは、先達のそれをしっかりと心に刻み込んだ。


 それからさらに15分ほどして、廷臣が呼びに来た。


「さぁ、式典といこうか」


 胸中に渦巻く諸々を吹き飛ばそうとするかのように、クラウスは堂々と立ち上がった。


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