第123話 軋む歯車


 木々の葉が黄色や赤へと徐々に姿を変え、吹く風は日増しに涼しさから寒さを感じさせるようになってきた。

 それらは例年よりも幾分か早いように感じられ、王都の街中で平民たちは「今年は寒くなりそうだ」と言葉を交わして冬に備え始めている。


 ヴィクラント王国は北部を除いて比較的温暖な気候であったが、それでも冬の到来は厳しいものとなる。

 降雪量こそそれほどではないものの、北からの冷たい風が容赦なく吹き付け、平民などはあらかじめの備えがなければ飢えか凍死に見舞われることもあるため気楽に扱えるものではなかった。人々が気持ち足早になるのも当然といえた。


 遠く西方へと日が沈んでいく中、アルスメラルダ公爵家別邸の門を“東部の雄”と目されるリーフェンシュタール辺境伯家の紋章付き馬車がそっと潜り抜けていく。


 事前に先触れを出していたため警備の者が出てくるようなこともない。

 もっとも、屋敷2階の窓では王都駐在の海兵隊員が交代で警護を行っており、襲撃を受けたとしても24時間体制でハチの巣にできるようFN M240E6 7.62㎜多目的機関銃GPMGを設置してあった。

 なんとか気力で生き長らえている国王がいよいよ危なくなりつつあるとの情報を得たからだ。ないとは思うもどこぞのバカが予想斜め上の行動に出ないとも限らない。備えておいて損はないだろう。


「ブラインドガーディアンよりHQ。お客が到着した。不審な者などはなし」


 歩哨の兵士から内部へと通信がいく。


『こちら司令部HQ、了解。引き続き警戒を続けろ』


 訪問者――――リーフェンシュタール辺境伯が王都へやって来たのは公用によるものだった。

 先般起きたランダルキアとの戦いを終え、辺境伯自ら東部貴族の代表として王城へ戦功報告に来ており、その後でアルスメラルダ邸に援軍の礼を述べるため立ち寄った形となる。


 しかし、実際のところ辺境伯――――ユリウス・アルヴァ・リーフェンシュタールとしての“本番”はこちらだった。そのために、初陣でありながらあの激戦を生き延びることができた嫡男のヴィンフリートまでもこの場へと連れて来ているのだ。


「この度はアルスメラルダ閣下の援軍を賜り感謝の念に堪えません。我が領地を卑劣なるランダルキアの手勢から守るばかりか――――」


「リーフェンシュタール卿、こうした形で話すのは初めてだが、この場において堅苦しい挨拶は無用と私は考える。もっとも、あなたが王城でしてきたように社交辞令的な付き合いを、我々とも必要とされるのであれば話は別だが」


 応接室で始められたユリウスの前置きをクラウスは早々に手を掲げて遮る。

 いかに王家の縁戚である公爵といえども、貴族社会の慣習から見れば無礼とされかねないものだった。


 現に年若いヴィンフリートなどはわずかに眉をひそめていた。「辺境伯家を田舎者と侮っているのか?」と思ったのかもしれない。


 表情に出してしまうあたり「まだまだ若いな」とクラウスの隣に座るアリシアと、背後に控えるリチャード、アベル、メイナードがそれぞれ内心で微笑む。


「これは大変失礼いたしました。昼のまつりごとの感覚がまだ残っていたようです」


 息子とは異なり、ユリウスは表情を変えることもなく即座に言葉を止め小さく頭を下げる。このレスポンスの早さとフットワークの軽さはクラウスから見て十分評価に値する部分であった。

 社交辞令的な口調を選んだのも、クラウスが底を知るために探ってくるとユリウスも初めから予想していたからだ。彼は貴族派筆頭を微塵も侮ってはいない。


「いや、こちらも無粋なことを言ってしまった。されど、共に戦った間柄には無用のものではないかね?」


「公のおっしゃる通りです」


 幾分か肩の力を抜いてクラウスが促すとユリウスもまた相好を崩す。一連のやり取りで“互いのとれる距離”を理解した瞬間だった。

 腹の探り合いを越えたなんのてらいもないいい笑顔だ。ふたりの様子を見守るアリシアはそう感じていた。


「では、話を続けようか。今回、我々が送り出せた戦力は微々たるものであったが、それでも役に立ったのであれば幸いに思う」


「微々たるものなど……とんでもございません。これは世辞でもなく本心から申し上げますが、アリシア殿の率いる兵力――――遊撃兵団と申しましたか、彼らがいなければ勝利を掴むことはできなかったとすら思っています」


「ほぅ」


 クラウスはわざとらしく驚いて見せる。


「このヴィンフリートも戦を通して少しは成長したように思えます。あらためてアリシア殿には深く御礼を申し上げたい」


 ユリウスの隣でヴィンフリートはしきりに頷き、後半部で父親と同時に頭を下げた。

 戦いの前とで比べれば、アリシアの目から見ても幾分か精悍せいかんな顔つきになったような気がする。少年の気配は遠くなってしまったように感じられるが、この先のことを考えると甘さを残したままよりはいいはずだ。


「いえ、ヴィンフリート殿が戦場いくさばで自ら学ばれただけですわ」


 やんわりと謙遜の言葉を並べるアリシア。彼に何かをしたわけではない。これは紛れもなく本心だった。

 もしあったとしても戦の前にすこしばかり知った風なことを並べてみただけだ。


「左様ですか。親としては喜ばしく思う反面、なんだか寂しくもあります」


 ユリウスの言葉から察するに、今回の戦いでヴィンフリートが失ったものもあるのだろう。だが、そればかりは自分でどうにかしてもらうしかない。

 酒や女で心の隙間を埋めることもあるだろう。数日前、臨時の休暇を与えて夜の王都へ繰り出していった兵団の兵士たちがそうだった。

 もっとも、アリシアはそれを逃げだとは思わない。誰しもそうやってすこしずつ折り合いをつけていく。生き残っていくためには必要なものだと思う。


 ……自分がアベルを必要とするように。


「どうやら娘にとってもいい経験になったようだ。ましてやリーフェンシュタール卿からも斯様な評価をいただけたなら多少の無理をして送り出した甲斐がある」


 アリシアの表情からなにを読み取ったかクラウスが小さく微笑む。


「ええ、まさにまさに。我らが生きてこの場に来られましたのも間違いなく兵団のおかげです。そうでなければ此度の戦死者の列に我ら親子も並んでいたことでしょう」


 クラウス向けのリップサービスも含まれているだろうが、やはり褒められれば満更でもなく表情には出さないながらも誇らしげな気分がアリシアの胸中に広がっていく。


「ですが、今回の戦いで東部は大きな損害を受けました。少なからぬ貴族が討ち取られており、もしも春以降に再び侵攻を受ければどうなることか……」


 続くユリウスの表情には深い憂慮の色が浮かんでいた。ここからが本題だろう。アリシアからの報告を受けてクラウスはこうなることを予期していた。


「ランダルキア側の受けた損害も小さくはないはずだが、それでも楽観視はできないと?」


 クラウスの言葉にリーフェンシュタール親子が同時に頷く。


「閣下ともあろう御方が異なことを。楽観視などできようはずもありませぬ。最前線にいる我々は常に備えておかねばならないのです」


 ユリウスの表情には単なる貴族の打算だけではなく、武によって生き延びねばならないという明確な決意が現れていた。


 


 ヴィクラント勝利の報は瞬く間に国内を駆け巡ったが、それに反して王都での動きは実にささやかなものだった。これがそこらにあるような戦であれば勝利の凱旋とばかりに貴族たちがこぞって登城とじょうしていたであろう。


 しかし、今回それは叶わなかった。東部での戦いが予想以上に激しく、多くの貴族が討ち取られてしまっていたためだ。

 長らく戦を経験していなかったヴィクラントの脆弱さが露見してしまった形であり、勝利の代償としてはあまりにも大きなものといえる。


杞憂きゆうであればそれでいいのです。しかし、そうでなかった時には取り返しがつかなくなる。おそらく次の時に、今回ほどの兵力を招集できるかも現状では……」


「だから、こうして我々に接触を? 卿とは派閥が異なるわけだが……」


 双方の立場を明確にするため敢えて口にするクラウス。


「ええ、承知の上です。ですが、偶然にも援軍を派遣していただいた以上、直接閣下に御礼を申し上げることは何も不自然なことではありませんからね」


 小さく微笑むユリウス。彼としてはこのタイミングを除いて他にはもうないと考えていた。だからこそ事前にアリシアを通してそれとなく意向を伝えていたのだ。


「正直に申し上げて、王城にはあまりにも危機感がなさすぎる。「逆侵攻はいつできる?」とウィリアム殿下から下問されました」


 その場にいたアルスメラルダ側の人間すべてが絶句した。あの王子、どこまでバカになってしまったのかと。


「もうおわかりでしょう? 派閥などに拘泥して家そのものを滅ぼされるわけにはいかないのです。この国には――――時間がない」


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