第122話 Someone Told Me Long Ago. There's A Calm Before The Storm.


「ひとまず勝ったわね」


 城壁へと登り、地平線の向こうへ視線を送りながらアリシアは呟いた。吹きつける涼しい風が髪をなびかせ、戦で火照った肌を冷ましていく。


 砦にヴィクラントの旗を立てた直後、砦を占領されたと理解したランダルキアは撤退を開始。本来であれば追撃戦を行って残敵を掃討するのだが、主力とのぶつかり合いで戦力を大きく消耗していたヴィクラント側にそれを実行に移すだけの余力はなかった。


「辛勝ですがね。正直、我々がテコ入れをしていなければどうなっていたかわかりません」


 傍らに立つアベルが応じる。彼以外のメンバーは合流した銃兵隊と共に敵味方双方の負傷者の救助を行っている。


 捕虜の扱いは国際法など存在しない以上その国に委ねられるが、幸いにしてヴィクラント王国は先進国家に属すると見做されているため後日ランダルキアとの交渉を行って身代金を得る方向で進むだろう。片っ端から処刑など蛮族アピールしているようなものだ。

 兵士にはピンキリあるとしても、貴族であればよほどのことがなければ国も粗略にはしない。領地を運営できるノウハウを持つ血脈はそうそう替えがきくものではないし、祖国のために戦った者に報いる姿勢がなければ不信感を持たれるだけだ。


「はぁ……。これだけ底上げしなきゃいけなかったのだから素直に喜べるないわよね。負けるよりは万倍もマシだけれど」


 世辞抜きにすれば僅差の勝利だ。溜め息だって漏れる。


 あのまま東部貴族たちに任せていれば早々に主力はすり潰され良くて引き分け、最悪の場合は撤退せざるを得なかった可能性がある。

 間違いなく決め手は砦の制圧だった。そのために今回の目玉であるスプリングフィールドM1873シリーズのみならず“切り札”の無反動砲AT-4迫撃砲M252まで使用している。あれらだけなら魔法の一環とすれば特に追求もされないだろうが、LAV25A3まで持ち出した日には「召喚獣です」で強引に押し通すしかない。


「アリシア殿!」


 不意に投げかけられた声が思考を打ち消す。

 金属鎧の擦れる音を響かせながら足早に近づいてきたのはリーフェンシュタール辺境伯だった。わずかに肩を上下させていることから、戦いが終わった足で真っ先にやって来たらしい。


「なんとか勝てましたな」


「ええ、おめでとうございます閣下」


 それまでの感情はすべて隠し、にこやかな微笑みを浮かべて勝利を寿ことほぐアリシア。


「……もっとも、ギリギリの勝利でしたが」


 返ってきたのは苦い笑いだった。先ほどの会話が聞こえていたわけではないだろうに……。アリシアは内心でそう思うが、やはり兵を率いる領主として気になるところであるらしい。


 対ランダルキアの最前線ともいえるのだからむしろ当然の反応かしら? 次がないと考えるのは楽観的どころか現実が見えていないことになるし……。


「こちらが弱かったとは言わないまでも、相手の練度がこちらを上回っていたのは間違いないでしょう。勝てたのは運もあったかと」


 相手がおもねることを求めていないと判断したアリシアは、目先の勝利に酔うことなく冷静に事実のみを指摘する。辺境伯もまた厳しい表情のまま頷いた。


「運も実力のうちと今は思っておきたいですな。いずれにせよ最終的な戦果としては、ランダルキア側へわずかに踏み込むことができたに過ぎないレベルです。ですが、勝ちは勝ち。国としての体面は保てました。ここからどうするかは王都が決めることになりますが……」


 現場を見ていない者が決めるのだからろくなことにはならない。深く考えると勝利の余韻が吹き飛んで憂鬱な気分になってくる。


「後継者としての実績を欲するウィリアム王子は動こうとするでしょう」


 周りには聞こえないよう声を落として続きを口にする辺境伯。


「予想され得る事態ですわね。とはいえ、さすがにそれは内務卿がお止めになられるかと」


 古傷に触れられるもアリシアは微塵も冷静さを失わない。数歩退いた場所に控えるアベルもまた辺境伯の発言を止めようとはしなかった。

 彼が自分たち――――主にアリシアを試していると気付いたからだ。かつての婚約破棄を未だに引き摺り、虎視眈々と復讐の機会を狙っているか否かを見極めるために。


 それは何も彼が王室派だからではない。

 もしもこの先アルスメラルダ公爵家と何らかの形で協力関係を結ぶとした時、アリシアが王家への恨みを抱えていれば思わぬ障害となりかねないためだ。

 王国のために――――いや、建前ではなく本音で語るのであれば最も優先すべきは己の血脈を保てるかどうかだ。

 そのためであればリーフェンシュタール家が貴族派に鞍替えすること、今はそこまでしか考えないようにしているがそれとて大いに検討する価値はある。この戦でアルスメラルダ公爵家が派遣してきた遊撃兵団にその可能性を垣間見た。


 しかし、もしもその中で小娘の復讐心が要らぬ争いを招き寄せるのだとすればそのような船に乗ることはできない。感情のままに赴くのではいかに国のためであっても“大義”として成立しないからだ。


「やはりそうなりますか」


「十中八九は。短期間のうちにこれ以上出血するような事態をかの御仁は許さないでしょう」


 脳内お花畑王子ウィリアムがどう思っているかはわからないが、兵は野菜と違って種を蒔いたら畑で収穫できるわけではない。国を食い物にする寄生虫と言っても過言ではないシュトックハウゼン侯爵だが、彼なりに母体そのものに影響が出ては元も子もないことは弁えているのだ。


「ならば、戦以外に考え得る次なる手は、やはり東部貴族の立て直しでしょうか」


 主力部隊に参加していた東部貴族の多くが討ち取られた、もしくは領軍に大打撃を受けた状態で今すぐ次の手を打つのは不可能だ。

 戦力の再編もそうだが、東部貴族たちで当主を失った貴族たちの処遇が必要となる。今のままでは領地を維持できないと判断されれば取り潰しもありうる。いかに王室派に属していようが税が取れなくなるなら甘い顔はできない。それこそ貴族派につけこまれる。

 もちろん、なるべく同じ派閥の貴族領に統合させようとするが、おそらくそれにも限度がある。今回、あまりにも多くの王室派の貴族を動員させてしまったためだ。


「あら、この期間に閣下は真の意味で東部の盟主となられるおつもりですか?」


 さらりと触れた内容に辺境伯の眉がわずかに動く。

 東部における貴族の領地見直しで予想される未来のひとつがそれだった。


「なんと、アリシア殿はそこまで見通されているのですか」


 社交辞令も多分に含まれているのだろうけど、さすがにこの反応は白々しいなとアリシアは思う。その流れが理解できているから今回“布石”を打ったというのに。


「事実、土地を治める人材を少なからず失いました。王都もそのように動くでしょう。もっとも、それは表面的な部分のみ。アルスメラルダ公爵家との繋がりを得ることで名実ともにしたいと思っています」


 いくらなんでも本音を晒しすぎではないか。これにはアリシアの眉も反応せずにはいられなかった。


「そこまで心底を晒していただけるなら、?」


 あえて踏み込んでみる。そうでなければこの会話そのものが無意味になってしまう。


「……それも気付いておられましたか」


 辺境伯の表情がにわかに固まり、口から感嘆の溜め息が漏れた。反応としては悪くない。


「辺境伯が我々――—―どちらかというと武器が主でしょうが――――ご興味を持たれていることはわかっております。そして“一番乗り”をするために、現時点でもある程度のご意向を伝えてこられるとも」


 一度アリシアは言葉を切る。武器が欲しいなどというのは副次的な部分であり、むしろ核心となるのはこの先だ。


「ですが、そのためにもアルスメラルダ公爵が本当に信頼に足る人物であるかの確信が欲しい。肉親への情で判断を誤るようであれば慎重にならざるを得ない。……違いますか?」


「まさしくその通りです。試すような無礼な真似をしたことは平にご容赦を」


 辺境伯はアリシアに正面から向き直りそっと頭を下げた。いかに公爵家令嬢が相手とは言え爵位を持たない者への対応としては異例と言える。しかも、同じ貴族とはいえ従者の見ている前でだ。


「閣下、小娘相手にそのような真似をなさっては……」


「滅相もない。我らにこの戦での最大の功績―――砦を制圧した手柄を譲っていただきながらこのような真似をしたのです。恩知らずの田舎者と罵られても何ら不思議ではありますまい。将来の関係を考え、つまらぬ面子に拘泥して遺恨を残したくないのです」


 手柄を譲ったのは単純にアルスメラルダ公爵家の戦功が目立ちすぎるとまずいとの認識からだが、それは辺境伯も重々承知していることだろう。非礼を詫びた上で借りを作ることまで受け入れて話をしているのだ。


「では謹んで謝罪を受けさせていただきます。わたくしといたしましても、辺境伯に過分とも思えるご評価をいただけたのは喜ばしいかぎりですわ」


 ふわりと笑みを浮かべて答えるアリシア。その態度にリーフェンシュタール辺境伯は強い衝撃を受けた。

 身を包む野戦服ふくはお世辞にも品があるものとはいえない。口さがない者ならば「これが公爵家令嬢か」と眉をひそめたことだろう。


 しかし、多くの権謀術数に長けた貴族たちには及ばずとも、戦で兵を率いる剛毅さを見せながら武一辺倒ではない清々すがすがしさすら感じる少女のなんと美しいことか。

 嫡男ヴィンフリートがもっと――――今の20倍くらいしっかりしていれば婚姻を申し込みたかったほどだ。

 王子に婚約破棄された身? そんなものは関係ない。どんな手を使ってでも囲い込んでおくべき人材だ。たとえウィリアムがいい顔をせずともやりようはいくらでもある。


 もっともそれが不可能であることはついさっき思い知らされたが。


「その上で率直にお訊ねします。閣下は何を望まれるのか」


「王国の存続と平和。それも他国の軍門に下るようなことのない未来をもって。もちろん、我が家が断絶するのは真っ先に避けなければならないですが」


「なるほど、よくわかりました……。では、


 次に少女が見せた笑みには大身貴族たるリーフェンシュタール辺境伯であっても背筋が震えるほどの凄味があった。


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