第70話 ほのかな距離感


 優しい風の吹く草原に、遊牧民たちの歌声が響き渡る。


「Kolme rautaa~♪」


 伴奏には棹の先端部分が馬の頭を模した馬頭琴モリンホールやアンゴールよりもさらに西方より伝わったとされる二胡などの弦楽器、笛や太鼓の音が賑やかに木霊する。


 漂う音楽へと耳を傾けつつ飛び交う歓談の声はどれも明るく、酒が入っているためか時折大きな笑い声があがる。


 木を彫って作られた肉叉フォークスプーンが乾いた音を立てて激突し、肉を取り合う男たちがそれぞれに声を上げる。

 飴色になるまでじっくりとタレや香辛料で焼かれた豚と思われる足に豪快に噛り付く者、酒の合間に発酵した乳で作られたスープをゆっくりと啜る者、主菜を軽く頬張ってから付け合わせのパンを千切って口に運ぶ者など様々だ。


 即席の宴だが、穏やかな時間が流れていく。


「戦っていた連中と一緒にいるたぁ思えない……ってのはちと言い過ぎか」


 エイドリアンがひっそりと漏らす。


「そりゃそうよ。私たちにとっては敵でも、家に帰れば良き夫であり良き息子であり……あまり考えない方がいいやつね」


「そうだな」


 さすがにアリシアには聞こえないよう小声にするだけの分別はこの男にもあった。

 だからこそレジーナも素っ気なくはあるが言葉を返したのだろう。


 賑わいの中心からやや外れた――――たまたまそこだけ緑が深くなっている場所に生えた木の根本で、アベルたちは静かに酒杯を傾けていた。


 アンゴールの民の遠慮のない食べっぷりとは異なり、アリシアとアベルは上品な作法で食器を操っていた。

 さすがに貴族としての教育を受けているだけのことはあるが、海兵隊メンバーだけであればもうすこしラフな食べ方になっていたことだろう。


 ちなみに、少し離れたところに立つエイドリアンとレジーナは、護衛としての役割があるため、あまり酒に口をつけていない。

 彼らの性格を考えると、本当は飲みたくて仕方がないはずだ。


 終わったあとで酒でも差し入れてやらねばとアリシアは考える。


「やぁ、アリシア殿。それにアベル殿たちも」


 投げかけられる声。

 首を動かして声のした方向を見ると、スベエルクが軽く手を掲げて歩み寄ってくる。


「これはこれはスベエルク殿下」


 アリシアがそっと立ち上がって頭を下げ、アベルもまたそれに続く。


 スベエルクとは今さら説明する必要がないほどに見知った仲ではある。

 だが、それでも場というものがある。


 アンゴールの民が大半を占めるこの場において、王族に名を連ねる者に非礼と見られるような真似をするわけにはいかない。

 それが貴族としての教育を受けてきたアリシアの反応だった。


「よしてくれ。もうすこし気楽に接して欲しいものだ。定住の者のようにかしこまったやり取りは好まん」


「それは失礼いたし――――失礼してしまったかしらね」


「ふふ、それでいい。今後はあなたの領地で世話になるのだ。せめて友人として接したい」


 アリシアの返答に満足したのかスベエルクは相好を崩す。


「それよりも、アリシア殿たちはあちらに混ざらないのか?」


 スベエルクが指し示したのはアンゴールたちの宴の輪。

 先ほどと同じく歓談をしているように見えるが、視線がそれとなくこちらを向いている。


 “ファーン”の長子たるスベエルクが異民族のところへ行っているからか、単純に異民族そのものに興味があるからか、あるいはその両方だろう。

 

「この場にいる知り合いも殿下だけだし……。余所者が中心に入っていくのはいい顔をされないと思うわ。それに……」


 アリシアは途中で言葉を切る。

 その先を続けていいものか迷ったのだ。


 クラウスと“ファーン”の会談がいかに上手くいったとはいえ、互いに戦いの中で仲間――――同胞を失っている。


「ふむ……」


 スベエルクはやや逡巡してから静かに語り始めた。


「たしかに、私たちは戦った――――いや、殺し合った間柄だ」


 彼なりに言葉を選ぼうとはしたのだろう。

 しかし、それでもスベエルクは最終的に真正面から語るしかないと判断したのだ。 


「何も思うところがないと言えば嘘になる。むろん、周りにいる者たちだけでなく私もだ」


 当然のことだろう。スベエルクもあの戦いでは部隊を率いていたのだ。

 しかも、彼の部隊で出た死傷者の多くは、アリシアたち海兵隊メンバーによって生み出されている。


「だが、刃を交えた結果として、互いの関係が悪い方向に転がることもなく、こうして酒を飲むことができている。それが互いの民が直接酒杯を酌み交わすまでに至ってないとしても、この一歩に価値があると私は思う」


 スベエルクが言い終わるのとほぼ同じタイミングで、一陣の風が吹き込んできた。


 それは強く吹いたものではなかったが、なぜかこの場へと染み入るようにそこへ立つ人間の間を抜けていく。


「まぁ、互いにどう歩み寄っていいか、まだわからないのだろう」


 スベエルクも今はこれが精一杯の形なのではないかと結論付ける。

 アリシアもアベルも無言のままだが、表情で肯定の空気を醸し出していた。


「……んじゃ、それこそ余興でもするしかねぇな。酒の席でなんかやって盛り上げるのは定番だろ」


 そこで空気を読まない男、エイドリアンが無責任に口を開いた。


 よく見れば、ちゃっかりと酒が進んでいる気配がある。

 アリシアはともかくとして、アベルやレジーナも遠慮している中、この男だけは構わず飲んでいたようだ。


「ちょっと、アンタ。また思い付きでそんなことを――――」


「いやぁ、案外良い考えかもしれんぞ」


 レジーナの言葉を遮って発せられた声は――――


「父上!?」


 突然スベエルクの肩に手を回して顔を覗かせた“ファーン”のものだった。


 声こそ上げなかったものの、アリシアやアベルたちも十分驚いていた。

 それこそ、エイドリアンももうすこしで酒の杯を落としそうになるほどに。


「やかましいぞ、スベエルク。そう耳元で大声を上げるな」


 間近で上がったスベエルクの大声に顔を顰めつつ、“ファーン”はほのかに赤くなった顔に笑みを浮かべる。


「クラウス殿やオーフェリア殿と飲んでいるばかりで、娘御殿とはろくに会話もできてはおらなんだ。聞けば我が息子と一騎打ちをしたというではないか。どれほどのメスゴ――――巌のような巨躯をした娘かと思えば、まさかこんなにも可憐な少女だとはな」


 すぐ目の前に立って顎鬚を撫で、しみじみと語りながらアリシアを見下ろす“ファーン”。

 草原の覇者とも呼ばれる男から唐突に向けられた賛辞に、アリシアは顔を赤らめるしかない。


 一方、それを眺めるアベルたちは内心で思っていた。


 こんなファンタジー世界にもゴリラはいるんだな……と。


「して、“長弓”の。おぬし、先ほど余興と申していたな」


 そこで当初の思考に戻ったか、“ファーン”はエイドリアンに視線を向ける。

 彼の言う“長弓”とはどうも狙撃手スナイパーのことを指しているらしい。


 この時点で、スベエルクが捕虜となっている間に、先に帰還したアンゴール兵から“ファーン”へと断片的であっても海兵隊の情報が伝わっていることが窺えたが、海兵隊メンバーはそこへ言及はせず、また表情に出すような真似もしない。


「――――はっ」


 相手の風格が風格だからか、あるいは海兵隊でシゴかれた記憶が脳に刻みつけられているからか。

 話を振られたエイドリアンは反射的に直立不動の姿勢をとってしまう。

 この時、「サー!」と言わずに済んだのは、やはり長年の経験があってのことだろう。


「えー、まぁ、あれです。刃を交わす時期は過ぎ、今は酒杯を交わす時。我らと貴国アンゴールつわものたちは、形こそ異なれど同じで戦士であります。友誼を結ぶためにも、それぞれの持つ技量を見せ合うのはいかがかと愚考する次第でございます」


 傍らではレジーナがぽかーんとした様子でエイドリアンを見ていた。

 この男にこんな社会性があっただなんて……と、言葉には出ていないが顔にはしっかりと書いてある。


「なるほど、道理ではある。……たしかに必要かもしれん、このを壊すためにはな」


 何かを思いついたようにニィっと笑う“ファーン”。まるで子どものようにも


といくか。ワシ直下の猛者がお相手しよう」


「我らに弓に優れた者はおりませんが」


 花を持たせればいいのかと問いかけてエイドリアンは口を閉ざす。

 “ファーン”が何を望み、また何を必要としていないのかを即座に理解したのだ。


「なるほど、――――と」


「ふっ、道化のようで存外聡いなようだな、おぬし。……支度をしておく。準備が整ったら来るがいい」


 愉快そうに告げ、“ファーン”は一旦自身の席へと戻っていく。


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