第57話 一騎打ちは戦の花
『ゲッコー。アレだ、やれ』
無線機越しにアベルの指示を受け、エイドリアンはM40A7狙撃銃の銃口を向ける。
それとほぼ同時に、鋭い銃声が混沌とした
「ヒッ――――
傍らに陣取って掃射を続けていたラウラが、予想もしない怒声を受けて思わずビクっとしてしまう。
完璧に上手くいったはずの狙撃が不発に終わり、さすがのエイドリアンも湧き上がる感情を制御できず声を荒らげたのだ。
「あのラッキーボーイめ! 別のやつが弾を逸らしやがった!」
放たれた弾丸はエイドリアンが正確極まるリードを取ったことで、標的――――本命部隊の指揮官ではなく、その副官の頭部へと寸分
ところが、標的の前に偶然出てきた別の兵士の頭部を貫通した弾丸は軌道を変え、副官ではなく
「あっ、当たったのって――――」
事態を察したラウラの顔が青くなる。
「そうだよ。だが、
しかし、ここでもまた偶然が起きていた。
馬の上下運動と地形の不安定さ、彼の頭部を覆っていた金属製の兜――――それらのすべてが偶然にも重なり合って、彼を死神の弾丸からあり得ない確率で守っていたのだ。
その指揮官らしき遊牧民の男は着弾の衝撃によって馬から落ちかけるが、寸前で馬にしがみつき体勢を立て直す。
当たり方も浅かったのだろうが、人間一人を貫通したことでかなり威力が減衰していたらしい。
「だが、次は――――ダメか……」
すぐにボルトを引いてエイドリアンは次弾を薬室に送り込んだが、謎の攻撃を受けたことで指揮官と副官の周囲を護衛兵らしき騎馬がカバーするように囲ってしまう。
アイツら、自らを盾にするつもりか? クソ、これじゃ狙撃ができない。
エイドリアンは忸怩たる思いを表情に滲ませてスコープから目を離し、インカムをとった。
『こちらゲッコー。すみません、失敗です』
「いや、ご苦労だった。あとはこちらで片付ける。お前は
アベルは深く言及することはせずに通信を切る。
あんな
なにより、その悔しさはエイドリアンが一番強く感じているだろう。
「あんなことってあるのね……」
呆然としたようにアリシアが見ていた。
エイドリアンからの報告を受けるかたわら、アベルたちもまた遠くから標的の様子を窺っていた。
彼我の距離はまだ四百メートルはある。こちらも動き出すならそろそろだろう。
「タマにあるのよ。それか弾避けのお守りでも持っていたのかしらね」
「弾避け?」
「今度説明するわ。――――お、兜を捨てた?」
それぞれが覗く双眼鏡の向こうで、アンゴール軍の指揮官が兜を脱ぎ捨て、隠されていた顔が露わになる。
青みのかかった黒い髪に、やや浅黒い肌。すっと切れ長に走る目が狼のような鋭さを感じさせる。
「あら、イイ男」
――――若い。異民族の年齢はよくわからないけれど、自分と同じくらいかしら?
レジーナの声を聞きつつ、アリシアもその姿を確認した。
「名のある
大陸公用語を口にしながら曲刀を抜き払い、L-ATVの異様な外見にすら怯む様子はなく単騎でまっすぐに突っ込んでくる。
――――コイツは猛将だ。
一目見てアベルはそう判断した。
だが、素直に相手の土俵に降りていってやる必要は――――
「……レジーナ、ちょっとそこ変わってくれる?」
出ていこうとする人間がいた。
「ちょ、アリシア!?」
いきなり何を言い出すの!? と突然のアリシアの申し出に思わず素が出てしまうレジーナ。
「相手は一騎打ちをお望みなのでしょう? ここで受けて立たなきゃ女が廃るわ」
いやいや、そこはべつに廃らないでしょう……。
レジーナはツッコミを入れたくなったが、大真面目なアリシアの表情を見てなんとか飲み込むことに成功した。
「あのエイドリアンの狙撃から逃れるなんて相当な確率だわ。きっと、そういう“流れ”なのよ」
彼女は運命論者などではない。
むしろ、“あれ以来”そういった不確かなモノを安易に口にはしなくなったはずだ。
だが、アリシアは敢えてそう口にした。
「しかし……」
「それに、誰彼構わずに銃弾で薙ぎ倒せばいいというわけでもないでしょう? この戦いで勝利を得るにはそれなりの手順が必要だわ」
ここまで言われては、レジーナもアベルもそれ以上を口にすることはできなかった。
アリシアの言う通り、先ほどまで相手にしていた敵だけならまだしも、後続の本命と合流した以上、このままアンゴール全部隊を殲滅することはほぼ不可能である。
それに、なによりも公爵領軍の犠牲が増えていくだけだ。
ならば、一騎打ちなりで早々に決着をつけるべきだろう。
先に言い出した以上、相手もそれを望んでいる気配はある。
「なら、わたし
アリシアの言葉は決意に満ちていた。
完全にやる気になっているアリシアの目を見れば、ここで何を言っても聞かないことは明白だった。
相手が本当にアンゴール軍の指揮官なのだとしたら、本来であれば一騎打ちとて公爵領軍トップであるオーフェリアに任せておくべきだろう。
しかし、ここで「いえ、責任者が違うのでちょっと待ってください」なんて言えるだろうか?
絶対にアリシアは言おうとしないだろう。
レジーナと位置を変わりながら、アリシアはM27の代わりに、あらかじめL-ATVに積み込んでいた
「相手に合わせて馬と剣を用意するわけにもいかないけれど、わたしたちは
緊張をほぐそうとしてか、アリシアは小さく笑う。
明らかに相手は強い。
いかにL-ATVの加速があれど、
「――――出して!」
アリシアが叫ぶ。
もはや有無を言わさない勢いだった。
それを受けて、アベルも覚悟を決めてアクセルを踏み込む。
このままL-ATVごと相手に体当たりをカマす方法もあった。
6,400㎏にも及ぶ車体重量の全力突進を受ければ、馬ごと簡単に即死させられる。
だが、それで勝ったところでアリシアは決して喜ばないだろう。
本来なら勝利を最優先とするべきだ。従者として、チームを率いる身としてアリシアを危険に曝すべきではないし、アベルたちからすれば
しかし、アベルはそれを躊躇した。
それが何の感情によるものなのか、この時点でアベルははっきりと気付いてはいなかった。
「かかって来なさい!」
一方、声を張り上げたアリシアの表情は不敵に笑っていた。
少しでも気を緩めれば震えそうなのに、身体の中には昂揚感がしっかりと存在している。
自分でも不思議だと思った。
なにしろ半年前までは想像すらしなかった場所に自分はいる。
そして、命のやり取りをしているのだ。
「いいわ、アリシア。やるんだったら必ず勝ちなさい」
見届ける覚悟を決めたレジーナが語りかけてくる。
この戦いの中で、なんだかレジーナとの距離が縮まった気がしてアリシアは嬉しくなる。
「ご武運を」
アベルも短くそうつぶやいた。
それだけで十分だった。
「ええ、絶対に勝つわ。見ていて」
接近しつつある敵との距離がひどく遠くに感じられる。
なんて、もどかしい。
まるで恋人との逢瀬を待ち望むか少女のようだ。
でも、本当にそうしたいのは――――。
浮かび上がってきたのはこの鉄火場には場違いな感情だった。
しかし、ひとつの顔が脳内に浮かんだ瞬間、アリシアの震え出しそうな感情は完全に消え去っていった。
同時に、暴れ出しそうな昂揚感さえもどこかへ行ってしまった。
今あるのは――――ただこの一撃に懸ける不退転の覚悟だけだ。
そして、ついに両者の視線が交差する。
「参る!」
「行くわよ!」
男の曲刀が唸りを上げて右手側から迫る。
一切の迷いがない太刀筋。
触れれば一撃で肉体を深くまで切り裂いていくだろう。
そんな中、ふたつの腕と関節のバネを最大限に使い、アリシアは全力の一撃としてM-14を振るう。
極限の状況下であるからか。
妙に冴え渡った思考の中で、普段ならば絶対に追えないであろう敵の鋭い剣閃をアリシアは自身の目で捉えることができた。
ここだ――――!
どこを狙えばいいのかがわかった。あとはそこへと目がけて銃剣を滑り込ませるだけ。
しかし、相手もそれに反応した。曲刀の軌道を強引に変えてとっさに防御の姿勢をとる。
甲高い金属音と共に、刃と刃が激突した。
「ぐっ――――!」
L-ATVの加速とアリシアの放った最高にして渾身の一撃を受け止めきれず、アンゴールの指揮官は馬から落とされる。
「アベル、止めて!」
すぐにアベルはブレーキを踏んで、L-ATVを停止させる。
その瞬間アリシアは外へと飛び出していき、M-14に装着された
L-ATVから下りる時に弾倉は差し込んであり、ここで反撃をされたとしても対応できるようにしてある。
「さて、まだ続けるつもりかしら?」
L-ATVが敵の部隊と指揮官の間に割り込むように停止し、“不測の事態”に対応できるように停止したのを確認した上で、アリシアは相手に問いかける。
すでに銃座にはレジーナがついており、運転席から銃口を覗かせるアベルと揃って油断なくM320グレネードランチャーを装備したM27を構えていた。
「……いや、俺の負けだ。兵を退かせよう」
これ以上戦闘を続ける意思はないと、それまで握っていた曲刀を遠くに放り投げて口を開くアンゴールの青年指揮官。
流暢な大陸公用語が飛び出てきたことに今更ながらに驚くアリシア。
戦っている間は意識がそちらには向かなかったが、どうもこの青年がアンゴールの中でも高等教育を受けているのは間違いないようだ。
それでいて、武にも優れているだけでなく物腰にも気品のようなものが感じられることから、それなりに身分の高い存在なのかもしれない。
敵意のないことを確認したアリシアが銃剣の切っ先を下げると、それから彼は身振り手振りで残っている騎馬部隊に撤退しろと合図を出す。
一瞬副官らしき人間が近寄ってこようとしたが、それに対して首を横に振って制止するだけだった。
「……賢明な判断に感謝するわ」
アリシアもアベルたちに臨戦態勢を解くように合図を送る。
それを見届けたのか、残っていたアンゴールの兵たちは副官らしき男に率いられるようにして撤退していく。
先発隊の兵たちは撤退を躊躇するようだったが、援軍が彼らを無視するように撤退していくのを見ると、慌ててその後を追うように退いていった。
「俺の首ひとつで、これ以上の死人を出さずに済むのなら安いものだ。義理も果たしたしな」
自分の率いてきた部隊が遠ざかっていくのを見送るように視線を送った青年は、小さい笑みを浮かべてアリシアを見る。
その際、青年のつぶやいた言葉に引っかかりを覚えたが、アリシアはまず先に口を開くことにした。
「……なにか勘違いをされていないかしら? あなたを捕えたのは、べつに処刑することが目的ではないわよ」
「そのような反応が返って来るとは思ってもいなかった」
困惑したような表情で言葉を返すアリシアを見て、男は小さく苦笑を見せる。
「敵として戦った者に敬意のひとつも払えないのなら、そもそも戦いなどするものではないわ。いつ自分がそちら側になるかもわからないのだから。……まぁ、蹂躙した側が言うセリフでもないとは思うけれど」
肩を竦めて見せるアリシア。
それを見て青年の笑みが苦笑から柔らかなものへと変わっていく。
「戦いは強い者が勝つ。ただそれだけの話だ。相手が埒外の武器や魔法を持っていたとしても、それを知らずに挑んだ“運のなさ”が我々を敗北に追いやったということだ」
「そう言ってくれると少しだけ気が楽になるわ。わたしにはあなたの身柄をどうこうする権限はないけれど、最大限努力することは約束します」
「充分だ。仮に処刑されても貴殿を恨むようなことはないだろう」
すでに自分が処刑されても構わないと覚悟を決めた表情を浮かべる青年を、アリシアは素直に好ましいと思った。
ここでファビオのように罵詈雑言を吐かれたら興ざめだったでしょうね。
「こんな状況で自己紹介をするのもなんだと思うけれど、わたしはアリシア。アリシア・テスラ・アルスメラルダ。この領地を治めるアルスメラルダ公爵家の娘よ」
すっと手を差し出すアリシア。
その白磁のような繊手を見て、青年は少しだけ困惑したような表情になる。
「男女の行動が逆な気もするが、剣を交えたせいか不思議とイヤな気分はしないな。だが、敗者とはいえ俺にも矜持がある」
失礼にはならない程度にアリシアの手を拒否して男はゆっくりと立ち上がった。
そして、頭ひとつ高い位置からアリシアをまっすぐに見据えて口を開く。
「俺の名はスベエルク・ウランフール。武成直轄軍に所属し今回この地への援軍の役目を父“ファーン”より命じられていた」
野性味はあるものの柔らかな印象を受ける笑みと共に向けられた青年――――スベエルクの言葉に、アリシアは驚愕のあまり言葉を失ってしまうのだった。
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