第106話 圧倒的じゃないか、我が軍は


「ぐあっ!?」


 不意に風切り音が鋭く鳴り響いたと思った瞬間、ひとりの騎士が叫んだ。


 騎士たちが一斉に振り向くと、彼の鎧の心臓部には矢が突き立っていた。


「ばかな! 矢での攻撃だと!? しかも、こんな――――」


 騎士鎧を貫通するような矢を放つなど演習ではない! そう叫ぼうとしたところで、マンフレートは攻撃を受けた騎士が落馬していないことに気付く。


「団長殿、これは模擬の矢です……」


 攻撃を受けた者が申告するのだから命に別状はないのだろう。

 よくよく見れば先端のやじり部分が吸盤状に加工された素材で作られたもので、刺さっているのではなく張り付いているといっていい。


「ふ、ふざけおって……!」


 いきなりの挑発的な攻撃にマンフレートの顔が兜の下で怒りに赤く染まる。


 普通はここで副団長であるルドガーがいさめるものなのだが、残念ながら彼にはそれをできるだけの人生経験も実戦経験も、いわばすべてが不足していた。


 これから敵戦力とぶつかろうとしている以上、なによりもまず、空気抵抗の大きな模擬戦用の矢で遠距離から精密狙撃をやってのける異常さに気付くべきだ。

 しかし、それさえもまた経験が足りないがゆえに思い至ることなく終わる。


「ふむ、これは1名死亡ですね」


 騎士たちに同道していた演習統裁官とうさいかんが無愛想な表情のまま、羊皮紙に書き込んでいく。

 第1騎士団から派遣されてきた男だが、同じ騎士だというのにまるで容赦がない。


「団長、敵と思われる人影を発見!」


 目の良い騎士からの報告に全員の気が引き締まる。

 視線を向けた先には木々の間からかすかにこちらを覗き込んでいるのが見えたが、こちらの動きを察したのかすぐに姿を消す。


 よくも発見できたものだ。どういう魔法を使っているのか、言われなければほとんどわからなかった。


「斥候のつもりか? まずは血祭りにあげてやれ!」


「そうだ、一気呵成いっきかせいに叩くぞ。突撃を許可する!」


 副団長のルドガーが檄を飛ばし、頷いたマンフレートの言葉に騎士たちが一斉に馬を走らせる。


「あれは……!? 警戒! 警戒! 障害物あり!」


 そこで先頭を進んでいた騎士が叫ぶ。

 意図的にか土が盛られていたせいで近付くまでわからなかったが、木々を組んで堅牢に作られた柵が仕込まれていた。


「止まれ! 止まれ!」


 あやうく全力で突っ込みかけ、騎士たちは慌てて馬を操って止める。

 さすがに日々騎兵としての訓練を積んでいるだけのことはあって馬の扱いには長けていた。


「くそ、拒馬きょばだと!?」


 もし間に合わなければ先頭の馬が足を取られて転倒し、そのまま後続が接触・転倒からの大損害を被るところだった。

 開始早々そのような目に遭って模擬戦が中止にでもなろうものなら王国の歴史に残る汚点となる。


「早速、仕掛けてきたというわけですか。目の付けどころは悪くないですが、早くも連中の底が見えてきましたね」


 まともに戦えないからこのような小手先の手段に出てきたのだとルドガーは判断した。


 小手先の技に頼る時点で敵の戦力は大したことなさそうだが、それであってもこのまま進むのはさすがに危険だ。視線を周囲に向けるも、まともな道はここ以外には存在しない。

 一瞬、強引に迂回という選択肢が脳裏を過るもすぐに打ち消す。確実に誘導されていると気が付いたからだ。


 もしも無理に山道から外れて進軍を続ければ、方向感覚を見失うばかりか、生い茂る木の枝葉に阻害されて馬上の人間が大怪我しかねない。かと言って、ゆっくりと進んでいては狙い撃ちにされるだけだ。


 模擬戦用の矢で死ぬことはなくとも、同行している木で鼻を括ったような態度の演習統裁官により容赦なく“戦死”判定を下される。

 敵の矢はどこから飛んできているかわからない上に恐ろしく精確だった。


「おのれ、小癪な真似を……!」


 卑怯な戦い方を仕掛けられたことに怒りが湧き上がるが、ここで迷っていても埒が明かない。

 今すぐ怒鳴り込みに行きたい思いは強かったが、国中が注目している模擬戦の最中に文句を言った騎士団として記録を残したくはない。プライドが鎧を着て歩いている彼らにもその程度の分別は備わっていた。


「……総員、馬から降りろ。4人組で別れて進むぞ。」


 馬を使えなくしたのならそのまま進んでいくと予想されているはずだ。

 ならば一網打尽を避けるべく隊を5つに分けるしかない。


 後になって考えれば、この判断こそが最大の失敗だった。

 もっと言ってしまえば、相手側がわざわざ盗賊役を引き受けるような状況になんの疑いも抱かなかったこと、いやそもそも――――模擬戦の相手に名乗りを上げたことが間違いだった。





 しばらく進むと木と木の間に縄が張られていた。馬で進んできた際に足止めを狙ったものだろう。慌てて仕掛けたのか見え見えだ。


「ふん、馬で飛び越えて来ると思ったのか? こんな縄なんぞ張ってからに」

「子ども騙しだな」

「邪魔臭い。阿呆どもの仕掛けたものなんか引きちぎってやれ」


 ひとりがつまらなさそうに鼻を鳴らし、これみよがしに存在する縄を引っ張った瞬間、真横から飛んできた土塊つちくれに騎士たちがまとめて吹き飛ばされた。


「なんだ! 罠だぞ!」


 後続が叫んだがもう遅い。


「続いて第1分隊壊滅……と。脱落した方は麓まで下りていてください」


 統裁官は容赦なく彼らを脱落させた。まったく驚いた様子もなく、その態度が残った騎士たちを苛立たせる。


 一瞬にして戦力の5分の1が消し飛んだ。


「これで壊滅判定だと!? ふざけるな! あんな戦い方があるものか!」


 すっかり頭に血が上ったルドガーが統裁官へ抗議しに行くが、帰ってきたのは冷ややかな視線だった。


「グレッツナー男爵、あれが騎士の戦い方かと訊かれれば私とて“否”と答えましょう」


「ならば!」


「ですが、相手は騎士ではなく盗賊ではなかったでしょうか? あれが土塊ではなく岩や先端を尖らせた木の槍がついていたらどうなっていましたか? 実戦ならそれくらいはやってくるでしょう」


「うぐっ……!」


 ド正論の言葉にルドガーは反論を噤むしかなかった。


 罠が張り巡らされている可能性があると周囲に警戒しながら進んでいくものの、その甲斐もなく次に餌食になったのは第2分隊だった。


 巧妙に偽装されたワイヤートラップに足を引っ掛け、頭上から大量に散布されたのは黒コショウと唐辛子の粉末だった。

 当然ながら、王国における香辛料の価値は同量の金と同じとまではいかないが、それでも安く買えるようなものではない。海兵隊ではMCX機能でいくらでも入手できる。


 結果、殺傷力はほとんどないものの、“人間の悪意”が最大限に発揮された罠を浴びることとなった。


「ゲホ! ゴホッ! なんだこれは!」

「コショウと何かだ! ヘークション! い、息ができ、あああああ! 肺が熱い!」

「あああああ! 目がぁ! 目がぁ!」

「クソ、あいつら嫌がらせにどれだけ一生懸命なんだ! ぶぇっくしょーい!!」

「前が見え……ぎゃあ!」


 呼吸困難に目潰し、さらに転倒による骨折。


「……まぁ、これも壊滅判定でいいですかね」


 対抗側が徹底的な嫌がらせに出ていることに、やや呆れた表情を浮かべながら評価を紙へと書きこんでいく統裁官。

 歯に衣着せぬ物言いではあったが、反論する気力の残っている者など誰も存在しなかった。さすがにやられ方が無様すぎたのだ。


 いや、すでに面子がどうとかいう次元ではなく、むしろどこから襲い掛かってくるかわからないトラップがこの山に張り巡らされていることを思い知った騎士たちは「次は自分たちの番か」と完全に及び腰になっていた。


 それからも第2騎士団の面々は数々の仕掛け罠ブービートラップに引っかかっていく。

 木の上から降ってくる金ダライ、踏むと同時に跳ね上がってくる「大当たり!」と書かれた板。

 どれだけ気を付けたつもりでも、その裏をかくように発動するのだから回避のしようがない。


 だが、撤退の文字だけはなかった。


 勝てそうにないから逃げ出したなどと言われた日には第2騎士団そのものが解散させられかねない。それだけは騎士の矜持――――というよりも社会的に死にたくない思いだけで動いていた。


 結果――――


「納得いかぬ……! こんな戦いなどあるものか……! これが……! こんなものが戦いと呼べるか……!」


「男爵、このような目に遭った貴殿の気持ちはわからなくもないですが……。落とし穴の底で統裁官の私を圧し潰しかけて言うものではないと思います。はやくどいてくれませんか……」


 ルドガーが憤怒の炎を燃やしているのとは対照的に、一緒に穴に落ちる羽目になった統裁官は同僚の下敷きとなったまま小さく溜め息を吐きだした。


 そうして、開始1時間も立たずに第2騎士団は張り巡らされた罠により壊滅した。

 当然のことながら、彼らは対抗部隊と戦う――――剣を交えることすらできなかった……となってもおかしくはなかったのだが、そのような“つまらない結果”になっては面白くないと黙っていられなかった人間がいた。


「どうやらみなさま脱落されたようですわね。これで我々の勝ちかと。よろしいでしょうか、バルシュミーデ子爵?」


 背後から模擬戦用のナイフを首筋へそっと押し当てているアリシアの姿があった。

 緑色の迷彩服に身を包み、ブッシュハットを被っている。

 おそらく木の上にじっと潜んで大将がやって来るのを待ち構えていたのだろうが、マンフレートにはまるで気配を感じ取ることができなかった。

 騎士鎧を身に着けながら山道を登らされた疲労と、いくつも仕掛けられた罠によって集中力を著しく欠いていたのもあるだろう。


 それでも、騎士としての訓練を積んだことのない公爵令嬢ができる動きではない。


「私ひとりが残った時点で……もう抵抗は無駄だ……」


 両手を掲げて素直に負けを認めるマンフレート。もはや負け惜しみの言葉を口にする気力すら残ってはいない。


 よく見れば、周囲にも似たような恰好の者たちが幾人も潜んでいた。自分たちは最初から彼らの監視下にあったようだ。


「信じられん……」


 夢だと思いたかった。


 こんなことになるなら第4騎士団のエルハウゼン子爵が止めた時に「臆したか」と鼻で笑わうのではなかった。マンフレートは心の底から後悔していたが遅きに過ぎる。


 エルハウゼン子爵は、自身の管轄が西方――――アルスメラルダ公爵領を含む地域であるがゆえに、アンゴールとの戦いについても他の騎士団よりも詳しく知っており、この模擬戦が完全な貧乏くじであることを最初から看破していたのだ。

 一方のマンフレートは勝利がもたらす報酬に目が眩み、思考力がまともに働いていなかった。


 だが、彼を擁護するわけではないがマンフレートの考えこそ普通だった。今回の件にしても事故を引き当ててしまったようなものだろう。

 騎士同士のぶつかり合いでもない集団戦で騎士側が負けるなどまずあり得なかった。この世界では軍事力の中枢を担っている存在なのだ。


 しかし、アルスメラルダ公爵領の遊撃隊――――今回は海兵隊メンバーも参加しているのだが――――はそれを容易く覆してのけた。


「さて、いささか搦め手寄りではありましたが、、ご理解いただけましたでしょうか?」


 すこしだけ誇らしげな様子でマンフレートに問いかけるアリシア。


「ああ、我々の……負けだ……」


 理解もなにも領主代行みずから出張ってきた上に、為す術もなく兵力を無力化されてしまってはどうすることもできない。

 これ以上の醜態を晒さないためには、潔く負けを認めるしかなかった。


 こうして、おそろしいほど呆気なく、そして圧倒的な戦果をもって、模擬戦はアリシアたちの勝利で幕を下ろしたのだった。



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