第107話 新たな予感


「開始1時間で壊滅判定だとっ!? どういうことだ、バルシュミーデ子爵!!」


 模擬戦の行われた山の麓――――第2騎士団側の天幕内で怒りの声が響き渡る。


「お前ら、えある王国騎士団だろうが! なぜ格下の兵などに負けるのだ! しかも、戦わずしてだと!? 私をバカにしているのか!」


 この模擬戦には、そもそもの発端というべき第2王子のウィリアムも観戦に立ち会っていた。

 といっても、後方の安全かつ豪奢な天幕の中でのんびりと結果を待っていただけである。


 いずれにせよ、ウィリアムはこの模擬戦に勝つつもりでいた。


 より厳密に言えば、「騎士団を派遣したのだから素性の知れない雑兵など容易く撃破してくる」ものとばかり思っていた。

 そのため、期待を裏切られるように山から戦死および負傷判定を受けて下りてくる騎士の姿を見るごとに、顔色が赤みを増していった。


「殿下、たしかに彼らは騎士ではありません。ですが――――」


「負け犬の言い訳など聞きたくもないわ!」


 マンフレートの言葉を遮り、怒りでヒートアップしたウィリアムが身体を震わせながら陶杯を投げつけた。

 力任せに放り投げられた陶器の塊は騎士団長の肩に当たって砕け散る。鎧がなければただでは済まなかっただろう。


「っ……!」


 突然の暴挙とも呼べる振る舞いに、にわかに空気が緊張を帯びる。

 とはいえ、次期後継者たるウィリアムを相手になにができるわけでもない。


 何人かは「本当にこの王子が後継者で王国は大丈夫なのだろうか?」という考えが頭をよぎる。

 しかし、第1王子が病を理由に長年表舞台に出てきていない現状、目の前で感情のままに当たり散らしている青年しかこの国の後継者は存在しない。


 いずれにせよ、ウィリアムの激昂具合は明らかに常軌を逸していた。

 自身が組織した騎士団でもないにもかかわらず、模擬戦の敗北でここまで感情を乱す理由は何なのか?


 考え得る理由としては、先般行われた戦勝式典で起きたやり取りが発端だろう。


 アルスメラルダ公爵領の遊撃部隊がアンゴールの侵攻部隊を相手に挙げた戦果。それに疑問を呈したのがウィリアムであり、クラウスはそれに本模擬戦をもって応えた形となる。

 地球であれば“売り言葉に買い言葉”と受け取られそうなものだが、この世界の貴族社会でそれは通じない。


 王族・貴族の発言には責任が大きく伴い、今回のケースで言えば先に仕掛けた側となるのはウィリアムだ。彼がもし憎まれ口を叩くことだけを目的として模擬戦など意識すらしていなかったとしても、まんまと相手側に自分たちの領域へと持ち込まれたのだから政治的には失点と言わざるを得ない。


「“女”が組織したような軍に負けるなど、斯様かように弱い騎士など我が国には必要ない! 今日限りで第2騎士団は解散だ!」


 ――――つまりはそういうことか。


 その場にいた何人かは得心に至った。

 要するに、婚約破棄したアリシアが率いる部隊に負けたことが現実として受け入れられないのだ。

 次期国王たる自分よりも目立つ戦果を挙げた不届き者など粉砕されて然るべきだと本気で思っていたのだろう。あるいはそうしなければ自尊心を保っていられなかったかだ。


 学園に通い、先般卒業したばかりのウィリアムには軍事的知識はない――――この世界的に適当な言葉を探すとすれば“騎士の経験は皆無”である。

 王族の嗜みや教養として剣術や軍に関する教育を受けてはいるだろうが、やはり軍を動かすにおいて実戦経験に勝るものはない。

 結局のところ、権威こそあるが軍事的にはまったくの素人の個人的な理由で職業軍人の一角を担う彼ら騎士は振り回され、不要な模擬戦に引っ張り出されて面子を潰されたのだ。


 そう考えるとマンフレートとしては、怒りのひとつも覚えずにはいられなくなる。


「お待ちください、ウィリアム殿下。騎士団の解散など簡単にできるものでは……」


 あまりよくない空気になりつつあると気付いたのか、国王の代理として派遣された侍従が諌めるように口を挟む。

 だが、それは敗北によって冷静さを失った王子には逆効果だった。


「なにぃ? 王族の命令が聞けないと言うのか!」


「僭越ながら、騎士団の任命および罷免の権限は現在陛下の代行を務められております内務卿にのみございます」


 無茶苦茶な発言を繰り返す第2王子を相手に、冷静そのものの面持ちで侍従が放った言葉は厳然たる事実であった。

 未だ王太子にもなっていないウィリアムにはそのような権限など存在しない。


「くっ、もういい! 時間の無駄だ! こんな場所にいられるか! 俺は王都に帰るぞ! 次は第1騎士団を動員だ!」


 さすがのウィリアムも自身の癇癪かんしゃくで大事になりかねないことに気が付いたのか、感情のやり場を失ったかのように吐き捨てて天幕を出て行ってしまう。


 付き添いである侍従たちも、この場でどれだけ説得したところでウィリアムが耳を傾けるとは思えないのだろう。仕えるべき相手の無茶を受け、慌てたように帰り支度を始める。


 一連の動きを憔悴しょうすいしきった表情でひとしきり眺めたマンフレートは、そっと立ち上がり、人の気配が激減した天幕を何も言わずに出ていく。


 しばらく歩いていると、第4騎士団団長であり今回観戦武官として足を運んでいたライムント・キルン・エルハウゼン子爵が遠くから歩み寄ってきた。


「やぁ。災難な目に遭ったらしいな、バルシュミーデ卿」


「エルハウゼン卿か……。色々思うところはあるが、結局は貴公の発言に耳を貸さなかった私の身から出た錆だな。笑ってくれ」


 さすがにすっかり弱り切っている同僚に対して軽口を叩くような真似はしなかった。


 ライムントからすれば今回の件はライバル――――それも上位の人間が犯した失態だ。

 貴族同士での足の引っ張り合いなど、この国では日常茶飯事といっていい。そうならなかったのは、騎士としての仲間意識が競争心を上回ったからだ。


「そう言うな。次期国王と目されている方からの要請は絶対も同然。卿が名乗りを上げなかったとしても、誰かしらの騎士団は対抗馬に立たされていたさ。無論、私は最後まで逃げおおせるつもりだったが」


 騎士の風上にも置けない行為だとは思うがね……と続けながらライムントは曖昧な笑みを浮かべる。


 彼の“臆した振る舞い”によって、すくなくとも第4騎士団の面目は保たれた。

 ある意味、ライムントは勝者であり、敗者となったマンフレートにどう接するか悩まずにはいられないのだろう。


 それゆえ、ライムントは同僚がその身に秘めたる野心によりこの模擬戦に名乗りを上げたことをなかったものとして扱った。


「今なら貴公の選択が最上だったとわかるよ……」


 マンフレートは力なく笑う。


「あまり気を落とすな。慢心があったとはいえ、舞台設定から相手の思惑の内にあったと誰も気付けなかった。これではどの騎士団が出て行っても結果はほぼ一緒だろう」


「今回はそうだろう。だが、殿下は第1騎士団を動員して再戦を期すと言われていた。次は戦いを平原にするかもしれんぞ。そうなれば今度こそ騎兵が真価を発揮できる」


 再戦を行うのであれば同じ過ちを繰り返すことはない。

 自分たちが人柱になったようで癪ではあるが、次に戦う騎士団にとっては大きなアドバンテージとなるはずだ。


「いや、さすがにそれはシュトックハウゼン侯爵が許しはしまい。度重なる騎士団の動員など金がかかりすぎる。内務卿からすれば、負けるつもりはなかったとしても今回のこれも余興として片付けるだろう」


「……たしかに、あの方は騎士や軍の出身ではなかったな。ならば我らのように面子には拘泥せぬか」 


 国費からの支出を自身の利権に結び付けるのが大好きな内務卿が何度もそのような“浪費”を許すはずがない。

 そもそも、騎士でもない彼からすれば戦いなどはどこまでいっても“他人事”である。


「しかし、そうであるなら初めから模擬戦そのものを止めてくだされば良いものを……」


 さすがに両者ともウィリアムへの直接の批判は避けた。

 騎士は王家ではなく国家に忠誠を誓った存在ではあるが、それでも国家の支配者である王族への不忠を疑われかねない発言は憚られたのだ。


「それはそれで内務卿の立場が許しはしまい。あぁ、そうか……」


 途中まで喋ってライムントは何かに気付いたように小さく唸る。


「どういうことだ?」


「あくまでも推測だが、負けた後の王室派の出方がわかっていたからこそ、アルスメラルダ公爵も模擬戦の設定を今回のものにしたのだろう。一見自分たちが有利なだけに見えるが、騎士団側も「遊撃隊のお披露目が目的で、敢えて彼らが得意とする戦いで相手をした」と言える余地を残しておけば最低限の面目は保てるからな」


 一部の者の個人的な理由に振り回され、国内でいたずらに反目し合う無意味さをクラウスは可能な範囲で回避したのだ。


「公爵はそこまで考えて……。しかし、王室派が首を縦に振らなければ真っ向から戦う可能性もあっただろうに」


「いや、そこでも勝てるとの確信があったから模擬戦の提案をしたのだ」


「まさか!」


「あり得ないことだと一笑に付して片付けるか? しかし、考えてもみろ。そもそも――――」


 そこでライムントは言葉を切り、周囲の様子を窺った上で同僚にそっと近付いて小声で語りかける。


使?」


 なるべく考えないようにしていた可能性を指摘されたマンフレートは言葉を失う。

 罠によって第2騎士団が壊滅させられたのは事実だが、それを抜きにしても彼らは山中を進む騎士たちを最初から追跡していたのだ。その各種技術から高い練度を有していることは容易に想像がつく。


「アンゴールの襲撃にしても彼らはたまたま居合わせたに過ぎないと聞いている。そうでなければ領主の娘が戦に参加すること自体あり得ないだろう?」


「それはそうだが……」


「大事なのはそこではない。限られた状況下でアリシア殿率いる少数の部隊がアンゴールの騎馬隊の横腹を食い破ったのだぞ? 今回のように罠など満足に仕掛けられる場所ではないにもかかわらずだ」


「つまり……今回見せた罠では彼らの実力は測れないと?」


 汗を浮かべて問いかける同僚へ、ライムントは神妙な表情でそっと頷く。

 それから想像の埒外にある未知の存在と遭遇してしまったかのような表情で恐るべき予想を口にした。


「おそらく、彼らはいかなる戦況下でも確固たる戦果を挙げるための訓練を受けているし、まだ本当の力を見せてすらいない」


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