第108話 遠雷
「――—―という具合に、たいそうお怒りになったウィリアム王子は早々に王都へ戻られました。これが一応の
「はー、ひどすぎて言葉が出ないわ。もはやつける薬もない感じね」
ちょっとした騒ぎのあった場所からいくぶんか離れて設置された天幕。その中に用意されたデッキチェアに背中を預けたアリシアは、クリフォードが指向性マイクを用いて盗聴していた内容の報告を受けて大きな溜め息を吐き出した。
「誰よ、観戦を許可したバカは。あれでもこの国の後継ぎなのよ? しかも現状替えの利かない……」
ささくれ立ちそうになる気持ちを落ち着けるように、サイドテーブルに置かれた青い飲み物に手を伸ばす。
「あら、これ美味しいわね」
贅沢に使われた氷によってよく冷やされているのもそうだが、喉を通り抜けていく液体を構成する複数の果汁とアルコールが調和して香りと味わいが完成されている。
こんなものを口にするのは初めてだと感嘆の溜め息を漏らすアリシア。
「ブルーハワイというカクテル――――酒や果汁を氷と共に混ぜたものでございます」
「え、これ手作りなの? 本当に少将はなんでもやってしまわれるのね」
「いえいえ、買い被りにございます。さすがになんでもはできません。できることのみにございますれば」
ほほほと笑う燕尾服姿のリチャード。
わざとらしい喋り方と相まって、実に胡散臭いセリフに仕上がっていた。
この人にできないことなどいったいどれだけあるのだろうか? アリシアは真剣に考えてしまう。
ちなみに、リチャードは今回現場指揮官の役目をアベルに譲り、主人の帰りを天幕内で待っていた。なぜか簡易バーセットを用意して。
「それで、少将にできることのひとつがこの飲み物を作ることなのね」
「若い頃、軍に入る前はバーテンダー……酒場で酒を調合して客に出す者の真似事をしておりましたので」
リチャードは「セバスチャン」と呼ばれたそうな表情をしていたが、アリシアはそれを意図的に無視した。
近頃、この少将殿の悪ふざけは少々度が過ぎている。
冗談のような物言いになってしまったが、それはともかくとしてどうにも掌で転がされているような気がするのだ。
かといってリチャードに悪意があるわけでもなく、興味と好意からくるものなので不快ではない。
まるで孫を見る祖父のような振る舞いとでもいうべきか……。いや、なんというかひどくむず痒いのだ。
「それで今度は軍人ではなく執事の真似事を?」
「まさしく。本格的にその道に入るのも悪くないと思い始めていましてなぁ」
神妙な表情で頷くリチャードだが、どこまでが本気でどこまでが冗談かわからない。
「少将、そのあたりで……」
「おっと、すまんな」
見かねたアベルが話題を変えて言葉を挟むとリチャードも軽口を止める。
現在、この天幕にいるのは、元から待機していたリチャードと情報収集にあたっていたクリフォード、そしてアリシアに付き添う形で下山してきたアベルと中隊長のマックスだけだ。
他の参加者は山に残って仕掛けた罠の解除作業を行っている。放置して地元の人間が引っかかっては目も当てられない。
「ですが、こういった酒を嗜好品として貴族向けに売り出すのも悪くはないでしょうね」
アベルが提案することからわかるように、この世界に21世紀地球ほど酒の種類は存在しない。
酒文化の発展が遅いこともそうだが、世界規模に匹敵する交易体制が構築されない限り、そういった各種文化が混ざり合うこともないのだろう。
「そうなると、販路は貴族の多い王都をターゲットにするべきかしらね。……あぁでも、王都で思い出したけれど、今回の一件でわたしは近付くのもイヤになりそうよ」
ストローからブルーハワイをちゅーっと飲みつつ、アリシアは味わいの余韻に乗せて溜め息を漏らす。
「お嬢様はますます目の敵にされてきていますからね」
我が道を行こうとすればするほどにアリシアは
次期国王としての箔をつけるため、ウィリアムとしてはどうにかして今国内でもっとも名を売っている若手貴族であるアリシアに勝ちたいのだろう。
だが、いい加減諦めて他のことをするべきだとアベルは思う。
彼の思いつくレベルでは勝てないから今の状態があるのだし、そもそも臣下を相手に張り合う王族など聞いたことがない。
いかにそれがアリシアへのコンプレックスからくるものだとしても、本来王族と貴族では立つべき次元が違うのだ。それをウィリアムはまるで理解していない。
「あのね、アベル。わたしはもう関わり合いになりたくないのよ?」
「相手がそう思ってくれないのですね、わかります。ある意味モテモテだ」
「……つまらないことばかり言っていると、ひっぱたくわよ?」
「冗談ですよ、アリシア様」
さすがに軽口を叩きすぎた。あまり怒らせるとマズいと思ったアベルは名前を呼んで目下の機嫌を取る。
「もう、ちょっと油断すると海兵隊のおふざけが出ちゃうんだから……」
不満げに口を尖らせるものの、案外満更でもない様子のアリシア。
彼らふたりの間柄が密かに進展しているとはいえ、衆目のある場所ではここまでが限界だ。
だが、たとえ“様”がついていても、好きな相手から名前を呼ばれるだけでアリシアは嬉しいのだ。
「いずれにしても、模擬戦はいい具合に終わらせられたわ。せめて気持ちよく勝ったままでいられたら良かったのだけど、案の定“外野”が邪魔してくれたわよねぇ……。あれだけ偉そうに文句を言うのなら、すこしは自分で戦ったらどうなのかしら?」
「それはなかなか難しいかと。人は評論家には簡単になれても、将軍になれるものではありませんから」
似たような経験があるのか、答えるリチャードの目には昔を思い出すような色が浮かんでいた。
彼のような存在であっても、安全な場所にいて結果だけを論じる人間にはあまりいい思い出がないらしい。いや、もしくはなまじ優秀だからこそか。
「さすがは少将。金言ですわね。もっとも、それを本当に届けたい相手はこの場にはいないのですけれど」
アリシアもまたどうにもならない状況に苦笑を浮かべる。
「でもまぁ、いいわ。これで我々の有用性はそれなりに証明することができた。あとは実戦で戦功を挙げられれば目下の狙いは達成できそうね」
「アリシア様、その様子ですと実戦の可能性があるのですか……?」
それまで黙ったままアリシアたちの話を聞いていたマックスが遠慮がちに口を開く。中隊長を拝命しているとはいえ、彼に戦略といった細かいことはわからない。
「ええ。忌々しいことに、あの第2王子様のせいでね」
仏頂面を作ってアリシアが答える。
「というのは?」
「最後の最後で王子様が余計なことをしてくれやがったからよ」
アリシアは堂々と王族を批判する。不敬罪に問われかねないが、もはや完全に“やる気”で言っていた。
「今回の第2騎士団は運の悪い被害者みたいなものだけど、王族があんなアホなことを口にしたなんて他国に知られてみなさいよ。みんなこぞって国境線を引き直しにちょっかいを出してくるわ」
王国内――――特に王都には他国の
そうなれば、当然ウィリアムの“具合”も他国に知れる。次期国王候補筆頭の第2王子が、王太子となったわけでもないのにこうも様々な場所に国王の如く顔を出しているのは、現国王のエグバートにもしものことがあれば何の障害もなく彼へと王位がスライドすることを意味していた。
もちろん、後継者がまともな人間なら特段気にする必要もないだろう。
しかし、王国は見事なまでの失態を犯していた。
「そうか……。この国のトップ自ら他国に舐められる切っ掛けを作ってしまったわけですね。しかも、挑発に乗りやすい短慮さまで見せてしまっている」
これでどこかの国が国境線で演習でも行おうものなら、ウィリアムは真っ赤な顔で軍を差し向けることだろう。
「ご明察。どこが真っ先に挑発してくるかはわからないけれど、すくなくとも
明言こそしないが、アルスメラルダ公爵領限定で“ファーン”と交わした不可侵の密約がある。
交易で大いに潤っている現在、アリシアたちを本気にさせてまで国境線を引き直す意味はないはずだ。
「最近、クリンゲルで見かける西方人と思しき者たちがその保証というわけですか」
「ふふ、何から何まで説明しないで済むのは助かるわ。あなた、本当に商家の次男坊なの?」
どこかいたずらめいた表情で笑いかけるアリシア。
ひとまず間諜の気配がないことからマックスとギルベルトは放置したままだが、たかが商家の護衛に没落したとはいえ貴族の元嫡男がつくはずもない。
昨年の夏にアリシアがキツくへし折ったが、ギルベルトにも貴族としてのプライドは最低限残っているはずだ。それをマックス――――アルフォード商会はどのように説き伏せたというのか。
疑問は尽きないが、もちろんアリシアたちも何もしなかったわけではない。
アルフォード商会にマックスなる次男坊が存在していることは確認済みだ。商学を学ぶため長らくイスペランド帝国に留学していたとのことだが、せっかくそれだけの経験を積んでおきながら、国内に戻ってからキャリアを捨てるように遊撃隊になど入るものだろうか?
「入隊時に提出した書類の通りです。むしろ、その癖で商人たちの動きが気になったのですよ」
対するマックスはもっともらしい言葉を返す。その整った顔に大きな変化は見られない。まだ立場を明らかにするつもりはないらしい。
「なるほど、そういうことにしておきましょうか」
この場でこれ以上の探り合いは無意味と判断したアリシアは会話を打ち切る。
マックスも敬礼して天幕を出て行く。
「さて、次の戦いに備えるためにも遊撃隊の規模を拡大しなければいけないわね。それなりに経験も積めたでしょうし、今回の模擬戦参加者を……それと海兵隊メンバーも全員一階級昇進させたいのだけれどいかがかしら、少将?」
「矢継ぎ早の昇進ですか。正直、促成栽培となるのは否めませんな。なによりも訓練が足りておりません」
あまり気は進まないようだが、かといって完全に否定するつもりもないらしい。
「でしょうね。でも、時間がないの。たぶんこの勘は当たるわ」
「そこまでおっしゃるのであれば是非もありませんな。遊撃隊の規模が大きくなればいずれは士官・准士官も必要となりますし、それは我々も同じこと。我らは戦時昇進ということでいいでしょうが、他もまぁ……致し方ありますまい」
アリシアの言葉を受け、しばらく思案したリチャードは肯定的な返事を口にした。
いずれにせよ、1個中隊――――100人そこらの軍では戦でろくに活躍できないのもまた現実だった。
少数精鋭で敵の後方を
現状1機だけだが、MHー53K大型輸送ヘリも使えるようになったし、LAV-25歩兵戦闘車も召喚可能だ。後者は1台でも弾が切れるまで暴れ回れば、この世界の敵軍1個大隊くらいは足止め、あるいは殲滅できるかもしれない。
だが、それでは根本的な解決とはならない。
「なんとなくではありますが、今までの流れからするとそろそろ増援が来そうな気配です。そうすれば、第1期の兵士たちの訓練を継続しつつ、新たな兵士の訓練も行えましょう。今は多少財政上の負担となっても遊撃隊を拡張すべきです。我々はまだ国外はともかくとして、国内から本格的な脅威とは見做されておりません」
アベルが
「イベントごとに海兵隊の規模が大きくなっているものね。それに乗っかる形で拡張するのは賛成だわ。時は金なりってね」
頷くアリシアも、自分たちが抱える問題点を正確に理解していた。
アベルとカイルの意識が混ざり合ったことに端を発する海兵隊召喚は、目下ではあるが破滅の運命を打ち破ってくれた。
しかし、もしもこれが狂ってしまった世界の歯車を正すことを目的としているならば、それを達成した際には海兵隊がこの世界からいなくなる可能性がある。
それがいつになるかはわからないが、この先も『海兵隊支援機能』に頼りすぎていてはいつか王国の軍事力が崩壊してしまいかねない。
だからこそ、人材・兵器双方からの底上げを図っているのだ。
「ここからが王国の正念場よ。でも、勝つわ。わたしは滅びの運命なんてつまらないものには負けない」
立ち上がって天幕の外へと進み出ながら、アリシアは自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
その先にあるかもしれない別離は考えないようにしつつ――――。
『
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