第69話 酒でも飲むか!!


 思い立ったら即断とばかりに、返事すらろくに聞かずに“ファーン”は動き出す。

 しかし、それと同時に会談は終わったとばかりに場の空気も弛緩していく。


 護衛を含め遠くに控えていた遊牧民たちも、そんな空気へ従うかのように動き出す。


 新たな天幕を張り、火を起こし、連れていた羊を屠殺し――――慣れた手つきでアンゴール風の宴の準備が進められていく。


「なんつーか、あんだけ雰囲気をあっちこっち引っ掻き回したわりに、ずいぶんと切り替えが早いもんだなぁ……」


 遊牧民たちの動きに取り残されたアリシア一行。

 その中で、もっとも空気を読まない呑気な男――――エイドリアンが小さくつぶやいたが、それはこの場にいるすべての人間の気持ちの代弁でもあった。


 あっという間に変わってしまった空気について行けずにいるアリシアたちだが、無論アンゴールの者たちは構わず宴の準備を進めていく。


「さぁ、どうしたクラウス殿。主役が席につかんでどうする!」


 すでに酒杯を手にした“ファーン”が、会場の中心に張られた天幕の中に腰を下ろしクラウスたちを呼ぶ。

 その隣ではスベエルクが父の張り切りぶりに、すこしだけ困ったような表情を浮かべていた。


 “ファーン”とスベエルクが座る席の隣には、あきらかにクラウスたちのために空けてあると思しき場所がある。

 ここへ来て座れということらしい。


「行こう。せっかくの歓待を断る理由もない」


 表情を崩したクラウスが歩を進めながら促すと、オーフェリアとアリシアも小さく頷いてそれに続く。


「従者と護衛の方々はこちらに」


 その中で、アベルたち海兵隊メンバーはやや離れた場所に案内される。

 軽んじられているわけではなさそうだった。

 むしろ、アベルを貴族の系譜と認識して貴人への礼を取ってくれている。


「もうじきに始まる」


 準備を続ける遊牧民たちを眺めながら“ファーン”が言う。

 クラウスもしばらくその光景に目を向ける。


 そして、草原の真っただ中に宴席が現れた。


 それは「これがささやかな宴?」と、大身貴族であるアリシアたちであっても首を傾げることを禁じ得ないほどの規模となっていた。


 馬、羊をはじめとした遊牧民たちが好むであろう料理の数々が、細やかな刺繍が施された絨毯の上に所狭しと並べられていく。

 作られたばかりの料理が湯気を上げ、それと同時に食欲を刺激する香りを容赦なく放ってくる。

 普段食べている料理よりも鼻腔へと強烈にしてくるのは、香辛料をふんだんに使っているからだろうか。

 特に豪快に焼かれた肉料理の数々が目の毒だ。

 異国風エスニックだが実に美味そうな匂いに、アリシアたちの胃が勝手に動き出す。


「酒を酌み交わしてこそ互いをより深く知ることができよう。さぁ飲め」


 にやりと笑って酒の入った革袋を掲げる“ファーン”。


「頂戴いたします」


 クラウスは小さく頭を下げて礼を述べ、杯へと酒を受ける。

 それが宴開始の合図となった。


「皆は好きにやる。我らもそうしようではないか」


 こういう時に“ファーン”が一言発したりはしないのかと思っているクラウスたちの目の前で、アンゴールの民たちはそれぞれに酒杯や料理へと手を伸ばしていく。


 ――――それにしてもたいしたものだ。


 クラウスは感心する。

 遊牧民が集まったとはいえ、やはり草原の覇者と呼ばれるだけのことはある。

 大国にも匹敵する資力を持っているのが一目でわかった。


 自分たちの力を見せつけるのも外交のうちだ。

 宴席とは謳っているが、これには先ほどクラウスが語ったことへの意趣返しも多分に含まれていた。


 もっとも、クラウスがあのような言葉を口にしなかったとしても、結果的に“ファーン”は同じことをしていたと考えられる。

 たとえ力を誇示することが目的だったものに、友好の意志が加わっただけだとしてもそれはそれで喜ぶべきことだった。

 

 あらためて考えると、アンゴールが本気でなかったこと、それに加えてアリシアとアベルが率いる海兵隊の活躍、その両方に感謝すべきなのだろう。

 “ファーン”から差し出される酒杯に自身のそれを軽く打ち付けながら、クラウスは内心で安堵の息を漏らしつつ口をつける。


 馬の乳から作ったと思われる酒だった。

 原料が原料だけに独特の風味があるが、不思議とその癖が心地よく感じられる。


「ほう、クラウス殿はいける口のようだな。我らアンゴールでは“赤い食べ物”と“白い食べ物”で皆が生きている。これがその“白い食べ物”だ」


 勧められるままに二杯三杯と杯を干し、クラウスもまた“ファーン”の杯に乳酒を注いでいく。

 これでは酔いが回るよりも先に満腹になってしまいそうだ。


「葡萄酒に比べると酒精が低かろう。なのですこしだけこれを加える」


 近くに控えていた給仕役に命じて、別の容器を持って来させる。

 透明に近い液体が加わると、急に杯の酒精が増したように感じられた。


「これは……蒸留した酒ですか?」


「ほう、わかるか」


 愉快そうに杯を口にする“ファーン”


「我が国ではあまり普及しておりませんが、帝国や他国から一部入ってくるものもあります」


「過去に帝国から奪った技術らしい。これで馬乳酒をたくさん飲まずとも酔うことができる。稀に度を過ごすがな」


 剛毅な笑みを見せ、“ファーン”は杯を一息で呷る。

 この男が酔いつぶれる姿などクラウスにはまるで想像できなかった。


「……さて、愚息がそちらの世話になるのだ。交易のひとつもせねばならんな」


 しばらく飲んだところでおもむろに“ファーン”が口を開く。


「ならば、砦を中継地点といたしましょう。そこまでは貴国の護衛があっても構いません」


 はじめと変わらぬペースで酒杯を干しながらクラウスが返す。


「ふっ、物事に聡い御仁とは話が短くて済む。……道の整備はこちらでやろう」


 クラウスの飲みっぷりも含めて、得られた回答に満足したように“ファーン”は酒杯を呷る。


「スベエルクが赴くのだ。我らは貴殿の領地には手は出さん」


「“ファーン”の支配下にない遊牧民も存在すると思われますが?」


 気になる点は都度解決しておくべきだろうとクラウスは問う。


「好きにせい。貴殿らの持つ鉄の魔道具で思う存分蹂躙するがよい」


 変な言質を与えないでほしいものだな、とクラウスは軽い頭痛を覚える。


 無論、飲み過ぎたからではない。


 そもそも自分は積極的に遊牧民を狩ろうとは思わない。

 それ以前に王都での政争もある。


 だが、娘が生まれて多少落ち着いたとはいえ生まれながらの戦闘狂ナチュラルボーン・ウォーモンガーのオーフェリアは、「砦周辺の安全を守るため」と嘯いて嬉々として自ら兵を率いて討伐に繰り出しかねない。

 また、娘であるアリシアもここ最近は妻の血が色濃く出始めたのか武断な行動に出ることもある。


 ――――ふたりがまたぞろなにかしでかしてくれそうだな。


 酒を飲み進めていくクラウスの表情に、わずかではあるが苦い笑いが生まれるのだった。


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