第3話さらば貴族な日々よ もう戻れない


 アリシアが絶体絶命の窮地を迎えているのと時を同じくして、彼女の従者であるアベル・ナハト・エルディンガーの身にも大きな変化が起きていた。


 変化とはいうものの、それはあくまでも内面に留まるものであり、この場にいる誰も――――もっと言えば彼の両腕を拘束している人間にさえ、異変が起きていることには気づいてなかった。


 う、ん――――?


 意識が混濁するような一瞬の眩暈のあとに訪れたのは、より強固になった意識が深いところから急速に浮かび上がってくるような感覚。

 そして、次に感じたのは困惑の感情だった。


 ――――これは、どういうことだ……?


 目の前で繰り広げられる事態もそうだが、それよりも先にを把握しなければいけない感覚にアベルは襲われていた。


 彼はアルスメラルダ公爵家に代々仕える護衛を出してきたエルディンガー伯爵家の次男坊である。

 公爵家の令嬢にして幼馴染も同然に育ったアリシアの護衛兼従者として、この貴族子弟たちが集まる学園に入学していた。


 ……それと同時に、アメリカ合衆国海兵隊武装偵察部隊フォース・リーコンは第五武装偵察中隊に所属する少佐カイル・デヴィッドソンでもあったはずだ。


 東京オリンピックが終わって数年後、極東アジアの某大国で民主化の動きが突如として強まり、革命同然の混乱が勃発。

 焦った政府軍が鎮圧のために核兵器を使用するという情報を掴み、それを阻止するための先遣隊として沖縄から派遣され、上陸作戦を行おうとしたところで眩い光が――――。


 そこでカイルとしての記憶は途切れている。


 であれば、これは夢だろうか。


 カイル――――アベルは真っ先にそう考えた。

 さすがに死んだとは思いたくない。もしかしたら、作戦時のなんらかの事故によって昏睡しているのではないか。


 しかし、海兵隊員として幾多の苦難に遭遇してきた経験が、その楽観的な考えを瞬時に打ち消す。


 ……いや、そうではなさそうだ。

 少なくとも、この関節を拘束されている感覚――――ほのかな痛みと窮屈感は、紛れもない現実のものだと今のアベルに訴えかけている。


 なによりも、アベルはこの光景に見覚えがあった。

 より厳密に言えば、として知っているものでもあったのだ。


 それは日本に駐屯している時、愛娘がやっていたゲームで見た光景そのままであったからにほかならない。


 『プリティーな君とぷりんす様たち!』略して『プリぷり』というタイトルのゲーム。


 凄まじい略称にドン引きして、最初は傍で見ている程度だった妻までもがどっぷりハマってしまい、家にいる時はまったく興味のない彼までもが、ふたりの会話に付き合わされるようになってしまったほどの強烈な存在だ。

 アベル――――カイル自身も最初は「たかがゲームにそんな熱を……」と思っていた。


 しかし、気難しい年頃の娘とこの頃めっきり会話が少なくなった妻――――そのふたりと会話ができる切っ掛けとなってくれると気付いたため、翌日にはハードとソフトを購入してプレイすることを決意。

 部隊チームの部下たちからは「鬼の中隊長が家では乙女ゲーでご機嫌取りとは……。涙ぐましい努力ですね、少佐」などとからかわれながらも、暇を見つけてはせこせことプレイをしていた。

 最終的には、こっそりネットでwikiを見たりして会話が盛り上がる情報を仕入れてみたりと、朱に交わればなんとやらでカイル本人もいつの間にかすっかりゲームそのものにハマってしまっていた。

 そんな経験によって、この世界ゲームのことはカイルの記憶に深く残っていたのだ。


 では、どんな内容のゲームなのか。


 他のゲームをロクに知らないのでカイルにはなんとも言えないのだが、妻と娘が言うにはそのストーリーはよくある“乙女ゲーム”そのままだという。


 中世ヨーロッパ風の世界で、親さえも知らず市井の孤児院で暮らしていた主人公が傾いた下級貴族の忘れ形見であることが発覚し、貴族社会へ足を踏み入れるのと同時に学園へと入学。

 貴族らしからぬ性格や振舞いで貴族の子弟や各国要人の息子、果てにはメインの攻略対象である第二王子までもと身分の差を越えて絆を深めていく壮大な恋愛ストーリーだ。

 彼はあまりその手のものには詳しくなかったが、古くはシンデレラなんかの童話を引き合いに出せば王道系のストーリーとなるのだろう。

 

 そして、目の前で床に組み伏せられているアリシア。

 彼女はその主人公――――レティシアの恋敵ライバルキャラとして登場する。


 決して悪辣な性格をしているわけではないのだが、いかんせん公爵家の娘として育てられた矜持による凛とした振舞いが、主人公の視点フィルターを通したプレイヤー側から見ると鼻についてしまうらしい。

 そんなアリシアと貴族社会の中に入ってきたある種の“異物”である主人公とではまさしく水と油。

 事あるごとにぶつかってしまうのだ。


 客観的に見れば、それは主に婚約者である第二王子にレティシアが横恋慕しているからぶつかるのであり、それ以外でも貴族社会における家柄での序列だとか風紀だとか諸々を乱す主人公の振舞いをなんとかしようとしていただけだ。


 それがどういう物語上の都合か知らないがことごとく裏目に出てしまい、アリシアは華やかな貴族としての生活から一転、不遇の人生へと転がり落ちていく。


 だいたいのルートで、学園社会を引っ掻き回す主人公をなんとかしようとして攻略対象たちの不興を買い、それでも諦めずに動いて(本人にとっての)バッドエンドに突入してしまうのだ。

 これを貧乏くじと言わずしてなにというべきだろうか。


 また、本人もそれで心が折れてしまうのか、第二王子ルートに至っては婚約者を掻っ攫っていった主人公を憎悪するあまり、父親を唆して蜂起させて貴族派――――公爵家をはじめとする反乱軍――――が王国を内乱状態に陥れる。

 そして、その中で公爵家に眠っていた古の禁忌魔法を、実の父親を排除した後に使って王国軍に大打撃を与えるが、最終的には王都に眠る“古の聖剣”を復活させた第二王子を旗頭とする王家派に反乱軍もろとも倒されることとなるのだ。


 ライバルからラスボスにランクアップしたアリシアの最期は、残った一族と一緒に捕らえられ、晒し者になったのちに断頭台の露と消え……という悲惨なものだった。

 さすがにここまで重苦しいシナリオをプレイして、これを書いたライターは現実社会でなにか辛いことでもあったのだろうか? とカイルは感じてしまったくらいだ。


 しかし、記憶に刻みつけられたゲーム知識がカイル――――アベルに違和感を訴えていた。


 あのゲームに逆ハーレムルートは存在していなかったはずだ。

 にもかかわらず、なぜかレティシアの周りには、メインキャラである第二王子を筆頭として攻略対象の男キャラすべてがルート分岐後の好感度で集まってしまっているようにも感じられる。


 なんだこれは?

 

 アベルは不審に思う。

 前世では全シナリオをコンプリートしたつもりでいたし、娘たちの話にもそれこそwikiですら、こんな一夫多妻制の逆をいきそうなシナリオについては語られていなかった。


 ――――いや、それよりもだ。


 どのような不可思議な現象フェノメノンが自分の身に発生したかはさておき、これが“現実”として起きているのであれば、この先に待ち受けている展開は最低でもアリシアの幽閉、最悪の場合では内乱のち貴族派の壊滅である。

 必然的に、護衛兼従者であるアベルもその“とばっちり”を受けることになるだろう。

 アリシアもろとも死刑か、お家断絶による貴族身分の剥奪……冗談ではない。


 これがもう三十分もすれば覚めてくれる夢であればそれでもいいが、もしそうでなかったとしたら――――。

 少なくとも、自分たちにとっての“最悪の事態バッドエンド”を回避するしかなくなってくる。


 考えたいことは山のようにあったが、それでも一旦、自分は死んでしまったものと仮定して、文字通り必死でアベルは脳を働かせる。

 なぜもっとシナリオの早い段階で前世の意識が覚醒しなかったんだと憤りつつも、とにもかくにもこの状況を打破しなくてはならないと思考を“海兵隊”のものへと切り替える。



 ――――まずは、この場からの戦略的撤退トンズラを成功させなければならない。



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