第4話 ファーストミッション! お嬢様の撤退を支援せよ!


 鋭く息を吐き出しながら瞬間的に両方の腕に力を入れて捻り、アベルは左右から自分の腕を掴んでいるイケメンふたりの体勢を同時に崩しにいく。

 そして、不意を突かれて隙だらけになったところにすかさず足払いをかけ、そのまま一気に床へと転ばせる。まさに一瞬の早業だった。


「ぐあっ!?」


「うっ!?」


 鈍い音とともに、ふたつの悲鳴が重なるように上がる。


 いかに彼らが剣術など騎士の必須武術が達者であっても、近接戦闘CQBとなれば話は別だ。

 人体の構造を理解した上で考案された格闘術がまったく発展していないこの世界では、簡単な体術だけで相手は転がされてしまう。


 むしろ、この程度の拘束で動けなくなるとは我がことながら情けない……。

 アベルは数分前までの自分をだらしなく思いかけたが、拘束しにきている連中の親玉がこの国の王子とあれば、抵抗を躊躇って当然かと納得する。

 少なくとも、意識が融合する前の十七歳程度の判断力でそこまで決断するのは厳しいだろう。


「き、貴様よくも――――!」


 衆目に晒された場所で地面に這わされたことで、立ち上がりながら顔を真っ赤にして怒るふたりの少年が身構える。

 反射的に彼らは腰に手をやるものの、さすがに両者とも得物は差していない。

 剣が貴族の嗜みだとしても、学園で剣術の授業以外で持ち歩くなど非常識以外の何物でもないからだ。


「それはこっちのセリフだ、クソ新兵ファッキンニューガイども。続けてもいいが、次は骨の一本や二本は覚悟するんだな」


「な、なに……?」


「そもそもだ。私はアリシア様の従者である以前に、王国貴族としての矜持を持っている。その上で問う。か弱き女性を地面に這わせるのが、この国の栄えある貴族男子のやることか?」


 一切物怖じしないアベルの言葉。

 混ざったスラングの意味はわからなかったようだが、真正面からアベルが鋭く睨みつけると対峙しているふたりもたじろぎ目線を逸らす。

 まったくの正論をぶつけられたこともそうだが、今までに経験したことのない圧力を持つアベルの眼光に気圧されてしまったのだ。


「それと、いつまでも年頃の女性にベタベタと触れている貴様らもだ。不幸なすれ違いということで今の時点までの責任は問わないでおく。痛い目を見たいなら止めないが、さもなくばすぐにアリシア様から離れろ」


 アベルの威圧をこめた言葉に、アリシアを取り押さえていたふたりの男が慌てて離れていく。

 一瞬でふたりを地面に転がらせた彼の動きを見て、同じ目に遭わされてはたまらないと思ったからだろう。

 よくもその程度の根性で女性を押さえつけたものだ、とアベルは内心で不快感を覚えずにはいられなかった。


「アベル貴様ぁ! 伯爵家子弟の分際でこのような不敬が許されるとでも思っているのか! よもや、国内外から貴族子弟や各国要人の血縁が集う伝統ある学園の風紀を乱したアリシアを庇い立てするつもりではなかろうな!」


 さすがに自分の“威光”でなければ効果がないと判断したのか、あるいは単純な怒りからか、眉を吊り上げたウィリアムが一歩前に進み出てきた。


 しかし、アベルは怯まない。


 ここで退いてしまえば、流れは一気に取り返しがつかなくなる。

 公爵令嬢のアリシアがここまでの屈辱を受けた時点でギリギリの状態だった。自分が防波堤とならなければ状況はどんどん悪化していくだけだ。


 まぁ、それはそうとして――――


 アベルは内心で笑う。

 肩書きを利用しただけでなんの覇気もない人間の凄みなど、前世の新兵訓練時に受けた教練指導官殿ドリルインストラクターから受けた罵倒の0.01%も恐ろしくなかった。


「……殿下、勘違いをなさらないでいただきたい。むしろ風紀の乱れを正そうとしていたのはアリシア様です。差し出がましいと思い、従者である私が口を挟むことは控えておりましたが、この際ですから申し上げさせていただきます」


 言葉を止めてアベルは一歩進み出る。


「学園にいる以上、建前ではありますが誰もがみな平等に“ひとりの生徒”として扱われます。ですから、ザミエル男爵令嬢が殿下たち――――国王陛下や、この国あるいは他国の重鎮として名を連ねる方々の御子息たちと、日々の中で友誼を交わされるのもまた自由ではありましょう」


 ここでアベルは表情を引き締めた。


「しかし、それはあくまでも建前。自由とは無制限のものではありません。もし周りと友誼を交わすにしても、それなりの家格の者から始めるなど然るべき手順があるのではないですか?」


 お前たちがアリシアにやったことはどうなんだ?


 目の前の者たちを牽制するように、アベルはウィリアムたちに向ける視線を強めた。

 もっとも、彼の視線が本当に向けられているのは、ウィリアムの影に隠れたひとりの女――――レティシア・ローザ・ザミエルであった。


 アベルの眼光を浴びたレティシアは耐えられなかったのかウィリアムの背後に隠れてしまう。


 ――――つまらん小娘か? いや、今は後回しだ。


「まさか説教のつもりか? 従者風情が次期国王たるこの私になにを――――」


 視線が自身に向けられたものと激昂しかけたウィリアムが口を開きかけるが、それは不発に終わった。

 最初の部分から脳内で補完すると「従者風情がなにを生意気な」といったところだろうか。

 たとえ建前でも『生徒間の平等』を謳う学園内で、従者とはいえ伯爵家の人間に向けてそんな発言をしていれば新たな問題になっただろうな。アベルは怒りを通り越して呆れそうになる。


「僭越ながら、私が忠誠を誓っているのはこの国と王家に対してであり、ウィリアム様――――あなた様個人ではありません」


「な、なんだと……!」


 ウィリアムが激高するが、アベルは怒るだけで何もできない王子は無視し、ショックで地面に倒れたままのアリシアをゆっくりと抱き起こす。

 王族にさえ一歩たりとも退く気配を見せず、主を守ろうと常に視線は正面から返したまま言葉を続けていく。


「仮にも王家の縁戚たるアルスメラルダ公爵家の令嬢に対して斯様な恥辱を与えた件、いかに王子殿下といえど何事もなく済ませられる問題ではないとご理解いただきたいものですな」


 言うべきは言い切った。

 少しばかり実力行使を伴ってしまったが、最悪の流れだけはなんとか回避できたはずだ。

 あとはこの場で「男爵令嬢レティシアに謝罪しろ」などと言い出さないことを祈るのみ。

 そうなれば、この国は本当に真っ二つになりかねないし、アベルが強行手段に出なければいけない可能性まで出てくる。


 一方、今まで受けたことのないアベルの言葉に、ウィリアムの顏は怒りで真っ赤に染まっていたが、そうかと思った途端に今度は真っ青になる。

 自分がしでかしたことのマズさに、今さらながら気がついたのだ。


 だが、もう遅い。


「――――さぁ、アリシア様。行きましょう。ここはもう我らのいるべき場所ではないようです」


 アリシアの意思に働きかけるように言葉を投げかけると、主人の目にわずかばかりの生気が戻ってくる。


「そう……ですわね……。ありがとう、アベル……」


 優しく手を添えてゆっくりと本人の力で立たせると、アリシアは息を吐き出し、それからウィリアムたちに強い意志の込められた目を向けて口を開く。


「……ウィル……いえ、ウィリアム殿下をはじめとして、皆さまにはわたくしの意図するところがご理解いただけませんでしたようで残念でなりません。それでも夏期休暇の前の日でほっといたしましたわ。お休みの間に、すこしでも考え直していただけることを切に願っております。それでは、ごきげんよう」


 言葉と共にアリシアは、まさに高位貴族令嬢の名に恥じない優雅な一礼を見せた。

 そのまま踵を返してアベルの脇を通り過ぎ、堂々とした歩みで講堂を出て行ってしまう。


「ま、待て、アリシア……!」


 ウィリアムの声が背中へと投げかけられるが、アリシアは一切振り返らず去っていく。

 彼女の立ち振る舞いは、まさにアベルが前世のゲームで見た悪役令嬢そのものであった。

 いや、間近で見ているだけに、主人公の視点フィルターを通していては見られなかった“本物の美しさ”をもってアベルの目に映りこむ。


「行きますわよ、アベル……」


「はっ」


 背後を警戒しながらアリシアの後を追うアベルは気がついていた。

 アリシアの声は悔しさのあまり震え出し、目からも涙が溢れ出る寸前であったことを。

 それでも最後まで言い切ったのは、まさしく彼女が持つ矜持のなせる業であろう。

 アベルは主人の気丈さに感心すると同時に、密かに心の中でひとつの決断をしていた。



 このお嬢様なら、よくわからないこの世界でも俺が仕える価値があるやもしれない――――と。



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