第2話あゝ無情


「アリシア! 君との婚約だが、この時をもって破棄させてもらう! とんだ女と婚約などしていたものだ!」


 床へと組み伏せられ、無慈悲にもつきつけられる宣告に呆然とした表情を浮かべる少女。


 まさしくその宣告は、少女にとって青天の霹靂であった。


 そして彼女の後ろでは、このような事態を止めようとした彼女の従者が、下手に動けないように両手を取られて拘束されている。


 いくらなんでもこのような暴行スレスレの行動をとることなど、普通であればできるものではない。

 しかし、少女を満足気な表情を浮かべて断罪している金髪碧眼の美少年は、ウィリアム・アレイク・ヴィクラント。このヴィクラント王国の第二王子という少なくとも国内であれば口を挟める人間とて片手を越えても両手以下には収まる人間だ。

 仮に組み伏せられている少女に相当数の味方がいたとしても、そこへ仲裁に入ることはできはしないであろう。


「そ、そんな無茶なことが――――あうっ……!」


 許されると思っているのかと少女は口に出そうとしたものの、抵抗すると思われたのか組み伏せる力が強まり、それ以上続けることができなかった。


「アリシア様! くそ、離せ!」


 後ろでは彼女の従者からの声が上がっているが、それでなにが変わるわけでもない。


 でも、このままでは――――。


 本来なら卒倒しかねないほどの屈辱的な状況下でありながらも、少女は内心でひどく焦っていた。


 少女の名前は、アリシア・テスラ・アルスメラルダ。

 彼女はこの国の公爵家の一人娘であり、第二王子ウィリアムの婚姻相手として納まることがもう何年も前から親同士の間で決まっていた。

 いわゆる政略結婚というヤツで、貴族社会ではどこにでもあることだ。


 さて、もし正常な判断ができるのであれば、この時点で政略結婚がどれだけの重要性を持っているかはおぼろげながらでも理解できるだろう。

 国王その人ならまだしも、限られた権力・財力しか持たない王子の一存で婚約が破棄なんてできるものではないことだと。


「ザミエル男爵令嬢への度重なるいやがらせ行為! これが貴族令嬢のやることか! アリシア、君にはひどく失望したぞ!」


 しかし、当のウィリアムは自分の発言に酔いしれており、行為の問題性にはまるで気が付いていないようだった。


 国王を元首とした王制を敷くヴィクラント王国だが、決して王家が完全な支配体制を確立しているわけではない。

 この国では、王家派と貴族派が長い間対立を深めてきた。それは双方どちらかに権力が偏り過ぎないようにしていたためともいえる。

 そんな中で、近年影響力を増しつつある他国の脅威に備えるべく新たな試みが行われようとしていた。


 跡目を継ぐとされている第二王子――――第一王子は体調を理由に、現時点では廃嫡こそされていないが跡目争いから遅れている――――と縁戚に当たる貴族派筆頭の公爵家令嬢を婚約させ、国として盤石の体制を築き上げようとしたのだ。


 いい加減、両派も長年の争いに疲れ、融和政策をとろうと決意したわけだ。


 さて、そんな歴史的な背景もある中で、実際にどうなるかはともあれ、「婚約は破棄だ!」などと将来婚姻する人間の片方が叫んでしまえばどうなるか。

 どう考えても両派閥の対立をいたずらに再燃させるだけであり、むしろそのようなことをされた側の貴族派が怒り狂い内乱に発展する可能性すらある。

 そして、そんな混乱を虎視眈々とこの国を狙っている他国が黙って見ていてくれるはずもない。


 そもそも、実際に破棄するかどうかを決めるのは王子ではない。

 あくまでも最高権力者たる国王のジャッジだ。


 しかし、それを口にしてしまうだけでもどれだけの影響があることか。


 つまり、そんな判断すら、にはできなくなっているのだ。


 原因は彼女――――ウィリアムの後ろに隠れるようにして、床に這わされているアリシアをただ見つめている少女にあった。


 貴族の子弟にしてはかなり地味な格好に黒い髪。

 美しい部類には入るのかもしれないが、それでも貴族令嬢たちの中に交じわれば華やかさがまるで足りていない。

 無邪気ささえ感じるその容貌には、この状況をいまいち理解していないような雰囲気があった。


 それを見たアリシアは胸がざわつかずにはいられない。


 あなたは、いったいなにをしたいの――――?

 

 無論、そこには婚約者の心を奪われた嫉妬の感情もある。

 しかし、それよりもこんな地味な庶子上がりの女が、どういうわけか第二王子をはじめとしたこの国の重鎮の息子たちをことごとく虜にしているのだ。

 どう考えても真っ当な状況とは思えないし、なにかがおかしい。


 だが、アリシアはそれを口に出そうとはしなかった。


「どうした! 申し開きがあるならしてみるがいい! もっとも、そんな真似などできるはずもないがな!」


 いざ事がここに及んでしまっては、気勢を上げるほどの元気もアリシアには残されていなかったというのが本当のところかもしれない。


 仮に、それらをこの状況で周りに訴えてみたところで、いったいどれほどの意味があるのだろうか。

 傍目には、不利な状況にある人間がただ感情のままに喚き散らしているようにしか見えないだろう。

 学園とはいえ、貴族を中心とした社会とはそういうものだ。勢いを失った者を助けようとする人間などおらず、敗者はそのまま淘汰されていく。


「まぁ、これ以上は私もこんな女の顔など見ていたくもない。さっさと然るべき処分をしてしまうべきだな」


 ウィリアムにはもはやアリシアへの情けといった感情は微塵も存在していないようであった。


 どうせ、わたくしがなにを言っても……。


 今まで自分がどうにか軌道修正を図ろうとしてきた試みがまるで効果を発揮しなかったことを考えると、ここで下手に抵抗をすればそれこそどのような目に遭わされるかわかったものではない。

 考えるほどに涙が滲んできそうになる。


 わたくしは、ここで終わってしまうのかしら――――。


 そう諦念の感情を抱いてしまう程度には、アリシアは自分を取り巻く状況にすっかり絶望してしまっていた。



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