鉄血の海兵令嬢(旧題:まりんこ!~立ち塞がる敵はすべて倒す! 不屈の悪役令嬢は異世界を海兵隊と駆け抜ける~)

草薙 刃

第1部~お嬢様、婚約破棄されるってよ!~

第1章~お嬢様、海兵隊員になるってよ!~

第1話 ブートキャンプへようこそ!



「There is my recruit. I will train her to the best of my ability. I will develop her into smartly disciplined, physically fit, basically trained Marine, thoroughly indoctrinated in love of Corps and country. I will demand of her, and demonstrate by my own example, the highest standards of personal conduct, morality, and professional skill !!」


(これなるは我が新兵なり。我は我の能力の及ぶ限り、彼女を鍛える。我は基礎的に訓練され、軍団と祖国への愛を徹底的に叩き込まれた海兵員に彼女を成長させる。我自身が規範となり、彼女に最高水準の個人的品行、道徳、そしてプロとしての技術を示すだろう!)



 放たれる謎の呪文めいた未知の言葉ともに、少女の目の前に立つ人物の衣服が光を放ちながら魔力によって別のものへ再構成されていく。


 光の中から現れたのは、茶色のキャンペーンハットを被り、グリーンシェード色の制服に身を包んだ麗しき青年の姿。

 儚げな風貌に反して、まるで地面に深々と打ち込まれた杭であるかのように直立不動で立ち、呆然としたままの少女を正面から猛禽類を思わせる目つきで見据えている。


 今まで生きてきた中で少女が見たこともない類の恰好だった。それでも、彼の身から放たれる圧倒的なオーラというかプレッシャーだけは肌で感じとれた。


 魔力を介して顕現した物理現象としての放射ではなく、あくまでも単なる視線を浴びせられているだけなのに――――


 夏の炎天下にいるにもかかわらず、少女の背筋がぞくりと寒気で震えた。


傾注Attention!! ……さて、お嬢様! たった今この時より、貴様はこの地上で最下等の生物に格下げとなる!」


 その言葉が皮切りとなった。


「いいか! これからが貴様をひとりではなにもできない無様な公爵令嬢おじょうさまから、敵として立ち塞がるヤツらを無慈悲に薙ぎ払えるクソッタレのファッキン殺戮兵器キリングマシーンに作り変えてやる! 俺を呼ぶ時は“教官殿ドリルインストラクター”と呼べ。また、口からクソを垂れる最初と最後に“サー”をつけろ!」


 真っ当な感性なら聞くに堪えないような罵声が嵐のような勢いで放たれた。

 それを口にしているのは、少年と青年の狭間にいると言っても差し支えのないひとりの人間であった。


 細身の長身に、色の薄い銀色の髪と線の細い鼻梁が描くかおは美少年と呼ぶにふさわしく、双眸に嵌る冬の湖を思わせるコバルトブルーの瞳もまた美しいアクセントとなっていた。

 誰が見ても高貴なる血統貴族に身を連ねると確信できる。


 だが、今の彼はそれらの要素をすべて吹き飛ばしても足りないだけの荒々しい気迫に満ちていた。


「ちょっ、これはいったいどういうことですの!?」


 一連の光景を前に、半ば呆然としていた少女から非難めいた声が放たれる。

 ようやく、彼方に旅立ちかけていた意識が現実へ帰還したのだ。


「そもそもこんな辺鄙な場所に有無を言わさず連れてきて! 納得のいく説明を――――」


ふざけるなShut Up、金髪縦ロールが! 誰が質問を許した!」


 少女の言葉を掻き消すほどの強烈な怒声が放たれた。あまりの剣幕に少女は言葉を失ってしまう。


「貴様はアホか? それとも強烈なドリルヘアーが貴様の本体か? 許可なく口からクソを垂れるなと言っただろう! 貴様には“はい”以外の選択肢は用意されていない! 繰り返すが、口からクソを垂れる最初と最後に“サー”とつけろ! わかったか! わかったらとっとと返事をしろ!」


 少女がどう思っていようが一切関係ないといわんばかりか、さらにそれに対して数倍の罵声で怒鳴り返してくる。


「さ、サー……!」


なにもI Can't聞こえねぇぞHear You! その大袈裟な縦ロールは飾りか!? すこしは腹の底から大声を出せ!」


 今にも消え入りそうな少女の声を覆い被す大声が畳みかけるように放たれる。慈悲もなにもあったものではない。


「サー! 状況が理解できません、サー!」


 状況が飲み込めないながらも、腹の底からできる限りの声を捻り出し、少女はなんとか相手に合わせようとした。もちろん縦ロールは飾りなどと言えるはずもない。

 相手の目を見て、これが冗談や酔狂でやっているものではないと気がついたからだ。


「――――よろしい! 質問をする際は許可を取るものだが、貴様は今日が初めてだ! 特別に答えてやろう!」


 より一層、少女に向ける視線を強くして青年――――いや、“教官殿”は口を開いた。


「貴様はつい先日、第二王子ウィリアム殿下より婚約破棄を受けたな、ウジ虫め! しかも学園の大勢の見ている前で! さぞや悔しいことだろう!」


 ゆっくりと、しかし鋭い動作で小幅に歩を進めながら、“教官殿”は少女に一気に喋り切りながら説明を行う。

 時々飛び出る生まれてこの方一度も浴びたことのない遠慮のない物言いが、少女の胸に棘となってつき刺さる。


「しかし! 我々はで屈したりはしない! マスのカキすぎで脳みそがピンク色になったボンクラどもを相手に屈辱的な敗北を喫したままで許されるか? ……否! もしこのまま終わらせようものなら、公爵家はおろかこの国は亡国の一途を辿るだけだ!」


 淀みのない独特のリズムで語り続ける“教官殿”。

 辛い記憶がフラッシュバックしそうになる中、少女は感情がぐちゃぐちゃになり口を開くこともできない。


「だから、我々は備える! 夏期休暇の間に、貴様をどこに出しても恥ずかしくない、ひとつの完成された兵器に仕立て上げてやる! 安心しろ、公爵閣下より「すべて任せる」と仰せつかっている!」


 その言葉を受け、少女の背中に冷や汗と脂汗の混合液体が浮き出てきた。

 生物としての本能で逃げ場はないと理解したのだ。


「俺の訓練は厳しいが必ず勝利をもたらす! わかったか! わかったら返事をしろ!」


「サ、サー! イェッサー!!」


 ヘタをするともっとひどい言葉を浴びせられると思い、反射的に大声で返事をする。

 幸運なことに、この時点で少女が生来持つ順応性の高さがプラスに働いていた。


 そして、この時から始まるのだ。


 地獄の夏休みヘル・ブートキャンプが――――。







「どうした! 貴様の根性はそんなものか! あの庶子上がりの男爵家令嬢淫乱ペギーにすべてを持っていかれたままで終わるのか!? 悔しくないのか!! それともよわい二十を前に、修道院にブチ込まれて葉っぱを散らした枯れ木ババアのような生活が送りたいのか!? 答えろ!!」


 “教官殿”の容赦ない罵声が炎天下の訓練場に木霊する。


「サー! 絶対に嫌であります、サー!」


 腕立てをする姿勢のまま、全身を震わせて少女が叫ぶ。


「ならば腕も動く! 動かないのは貴様が動かないと思っているからだ! 錆びついた根性を何とかしてみせろ! 俺は無茶は言うが無理は言わん! 続けろ!」


 無茶苦茶な根性論だが少女は決して反論だけはしない。

 もしも反論などしようものなら、間違いなく十倍以上の罵声となって自分に返ってくるからだ。


 すでに生来の秀麗な顔は五キロのランニングにより汗でボロボロになっている。

 ついでに涙がこぼれそうなのを堪えてくしゃくしゃだ。


「どうした、ちゃっちゃと腕を動かせ! まさか棒っきれみたいな腕が食人鬼オーガのように太くなるのが心配でできないのか!? ふざけるな、小娘が! 腕立てができるようになってから心配しろ! とっととやれ!」


 それでも少女は決して諦めようとはしなかった。


 震える腕を無理矢理動かそうとして腕立て伏せを続行する。もう回数は十回を越えていた。

 この年齢になるまで、世の貴族の例に漏れず――――蝶よ花よくらいの勢いで手塩にかけて育てられた少女には、腕がおかしくなるどころか今すぐヘシ折れるのではないかと思える回数だった。


 左右の腕はどちらもとうの昔に限界を迎えている。両足もランニングの負荷でプルプルと震えていた。唯一動くのは腰だけだ。

 泣いてはいけないとわかっているのに、あまりのつらさに視界が新たに出てきた涙で滲んでいく。

 とうとう我慢できず、目尻から溢れた涙が水滴となって零れ落ち、夏の渇いた地面へと吸い込まれ消えていく。


「泣くな! 腕立てをしろ! 誰が地面とファックしろと言った!! そんなヘボい腰使いで誰が満足するんだ!! 俺が命じたのは腕立てだ、腕立て!! 下手くそなストリップダンスじゃねぇ!! あと十回だ!! やってみせろ!!」


 しかし、どれほど辛そうにしても一切の容赦はなかった。

 このままではやって来る“最悪の結末”を回避するために、ふたりは必死で鍛えていた。



 そう、すべては――――あの時から始まっていたのだ。



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