領都の日々 そのに


「空が綺麗ねぇ」


 広がる青空を見上げながら、アリシアは機嫌良さそうに商業区のはずれから街の中心側へ向かって通りを歩いていく。後ろを歩くアベルも、主人の足取りを見るだけでわかるほどだった。

 ここのところ、新設する遊撃兵団の訓練関係で執務が劇的に増え、満足に外出もできなかったのも影響しているのだろう。


「いくらか治安も良くなったし、みんなが安心して歩けるのはいいことよね。“話し合い”って大事だとしみじみ思うわ」


 スレヴィたちの工廠は、金属加工の大きな音が出る関係で領都でも外れの方に建てられていた。初歩的な工作機械――旋盤もあるし、プレス加工機もある。ガッツンガッツンとうるさいのだ。


 普通の街なら悪所と呼ばれるであろうが、今はこうして人がなんの心配もなく歩けるようになっている。

 具体的に言えば、こうしてアリシアが歩いても王都にいた時のように近寄ってスリの類はおらず、無礼な連中の指の向きを変えてやる必要もない。

 もっとも、それはそれで少し物足りない気もするのだが。


「……はて。“話し合い”ですか?」


 アベルが小首を傾げて問いかけた。彼の記憶とは微妙な齟齬そごがあるようだ。


 スリをはじめとした、いわゆる“よろしくない者たち”を束ねていた非合法組織の類は、海兵隊メンバーを中心とした話し合いと“ほんの少しの実力行使”で完全に黙らせた。片っ端からとならずに済んだのは不幸中の幸いである。


「そうよ。95%以上は話し合いで納得してくれたじゃない」


 残りの5%未満――もっとも態度とやり口が悪かった組織は、妙なことを企む前に構成員が揃ったところで事務所を強襲された。言うまでもなく見せしめである。

 サブマシンガンとショットガンで至近距離から穴だらけにされた惨殺体を見れば誰だって意識も変わる。ちなみに鉛弾を喰らった人間の意識は、変わるどころか二度と帰ってこなかった。


「尊い犠牲によって領都の平和は守られたのよ。そして今それを存分に享受できているじゃない。楽しい買い物ができるわよ?」


 鍛冶屋にナイフを100本、直々に発注しに行った者のセリフじゃないのでは?


 買い物に行くのは結構だが、やはりアリシアには年相応の――そこまで考えてアベルは既視感デジャブに襲われていることに気付く。


 だが、今回いるのは王都ではない。巻き込まれるトラブルも発生しない……はずだ。


「せっかく仕立て屋に行くのですからご自身の服も作られてはいかがですか?」


「そうね……。考えてもなかったわ」


 何度でも言うが年頃の少女がそれでいいのだろうか。新兵訓練ブートキャンプで逆境には勝てたが、すこしばかりやり方を間違えたかもしれない。


「いらっしゃ――これはこれはアリシア様、アベル様! ようこそおいでくださいました!」


 仕立て屋に入ると30代くらいの女性店主がすっ飛んできた。


「ええ、こんにちは」


 妙な圧を受けたアリシアは思わず後ずさりしそうになるがなんとか耐えた。

 揉み手のようなあからさまに品のない仕草はしてこないものの、代わりとばかりにやたら店主の動きが良い。そんなはずはないのだがまるで訓練を受けた兵士のようだった。


「それにしてもお久しぶりでございます! 本日はどのような服をお作りに? 今あるオススメ生地のストックですがこれなどは――」


 用件を話す前に盛大に勘違いした店主から、アベル共々あれこれと服を作らないか勧められる。矢継ぎ早に言葉を繰り出されるものだから制止を挟む隙間がない。

 もっとも、見目麗しい美男美女の組み合わせであるふたりを目の前にすればこうなってしまうのだろう。日々の訓練によって鍛え上げられた均整の取れた両者の身体にどのような服が似合うか考えてしまう。ある種の職業病なのかもしれない。


「ごめんなさいね、ミリヤム。悪いけれど、今日作りに来たのはわたしたちの服じゃないの」


「そんなもったいない! せっかくアリシア様とアベル様の素敵な身体を見られ……もとい、採寸させて……じゃなかった、素敵な服を作れると思いましたのに!」


 店主――ミリヤムは久しぶりにアリシアと会うのもあって早くもダメそうだった。今の彼女は残念極まる人間となってしまっている。煩悩がダダ漏れだ。


「貴族相手の商売も結構だけど、毎日の消耗品としての服の売上も気にしたら? レアな生地抱えていても大変でしょう?」


 人格はともかくとして、店の商品はたしかな品質だった。そこが救いとも言える。


「なんの! 好きでやっておりますゆえ! さぁ、この生地はこれからの季節に――」


「先にお仕事の話をしても良いかしら? その生地については後で聞かせてちょうだい」


 この勢いでは自分たちの服も発注しなければ本題に入れそうになかった。

 仕方がないので少しくらいは付き合ってやるとして、アリシアはまず本題を切り出すことにした。

 もうすこしミリヤムの反応を楽しんでいても良かったが、公爵家の家紋の入った書類を見せると一瞬で彼女の態度が変わる。こういうところはプロだった。


「公爵家としての正式な依頼です。わたくしが領主代行になったのはご存知かしら?」


「ええ、就任の宴を行われなかったのは残念ですが……」


 ミリヤムが表情を曇らせた。

 出席者に衣装を売るチャンスを逃したと言いたいのではなく、アリシアのドレス姿を見られなかったことが残念だったのだ。実際、王都の戦勝式典で着ていたドレスを仕立てたのは彼女だった。ある意味どこまでもこの女店主はブレない。


「その関係で新たに兵団を立ち上げます。そこで訓練兵たちに統一された衣装を用意するつもりよ。人数は100名だから予備も入れて200着強。動き回るのでとにかく丈夫でデザインはこんな感じのものを――」


 持ってきたデザイン案のイラストを見せると、ミリヤムは食い入るように目を通していく。


「なるほどなるほど……。これは野外で活動するための衣服ですわね? ポケットが多いのは小物を入れるため、まだら模様になっているのは――もしかして森なんかに入って周囲に溶け込むためですか?」


 顔を上げたミリヤムがアリシアを見た。


「……あなた、従軍経験とかなかったわよね?」


 思わずアリシアは言葉を失いかけた。目の付け所がすさまじい。なんでこの女は仕立て屋をやっているのだろう?

 しかし、逆に言えば今後も彼女にはこの手の依頼を任せられる。こうやって若い女の身ながらも店を構えている以上、職人にもそれなりのツテがあるだろう。


「最低でも200人強を用意となりますと、結構な職人を集めなければなりません」


「余計なことをせず指示通りに作ってくれればいいわ」


「それはもちろんです。ただ各工房でも親方ではなく下働きの弟子たちにやらせる形でしょうけれど」


 公爵家の頼みとはいえ一品ものではないのだから、親方は仕上がりの監修くらいしかしないのだろう。それはそれでまったく問題はない。彼らにきちんと給金が出るのなら。


「構わないわ。見積もりをちょうだい」


「そうですね……。これくらいでいかがでしょうか?」


 提示された金額を見たアリシアは小さく唸った。

 悪くない。というか明らかに安い。


「ねぇ、ミリヤム。本当にこれでいいの?」


 織機が開発されていないこの世界で布は高価なものだ。貴族の依頼である以上、それなりの品質では作ってくれるだろうが、値段を考えると驚くほど安い。ちょっと心配になるレベルだ。


「敬愛するアリシア様から金銭をいただくわけにはいきませんが――」


「ちょっと待って」


 即座に止めた。さらりと怖いことを言わないでほしい。


「ふふ、冗談です。先ほども申し上げましたように、下積み職人の修行代わりになるので費用を安価に抑えられるのですよ。もちろん、この後にお買い上げいただく服でしっかりいただければと思いますが……」


「しっかりしてるわね。安心したわ。うん、わかりました。約束していたし自分の服も仕立てていただこうかしら」


「よろこんで!」


 アリシアはパーソナルカラーになりつつある紺色の服を注文し、それ以外の色もいくつか揃えることにした。こちらはなかなかにいい価格だった。生地が良いので当然だと思う。

 

「ではこちらで採寸をさせていただければ……」


 じゅるりと音がしたような気がした。たぶん……気のせいだろう。


 次に犠牲になるアベルもまた聞かなった振りをした。



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