第49話 嵐を呼ぶヤツら



 報告を受けて立ちあがったオーフェリアは、駆けつけた兵士に向かって口を開く。


「ただちに全兵士たちへ伝達! 完全武装で戦闘配置につくように! ――――それと、敵の規模はなるべく正確に知らせなさい」


 少しだけ後半部分の声のトーンを落としてオーフェリアは兵士に鋭い視線を返す。


「はっ、失礼致しました! 敵は数百騎におよぶ見込み! これまでにない規模の侵攻です! こちらまでは八半日三時間もかからないと見られます!」


 直立不動の姿勢を作って王国式の敬礼をすると、兵士はオーフェリアに向かって言い直す。


「ご苦労様、持ち場に戻りなさい。……なるほど、ついに“ファーン”が本気になったというわけね」


 先を急がねばならないのだろう。「失礼します」と告げてふたたび駆けていく兵士の背中を見送りながらオーフェリアが小さく言葉を漏らす。


「“ファーン”ですか?」


 聞き慣れない言葉にアリシアが反射的に訊ねる。


「あぁ、今の学園ではそんなことも教えないのね。連中の親玉――――アンゴールの王よ。各部族の頂点に立つ存在ね。兵たちは準備もあるでしょうし、少しだけ話しましょうか」


 そこからオーフェリアは椅子に座り直すと、アリシアたちに向けて語り始める。


 今から三百年ほど前に、それまでバラバラに勢力争いに明け暮れていた遊牧民の各部族を圧倒的な武力と指揮能力で倒していき、ひとまとめの国の規模にまで大きくした偉大なる男。

 それが彼らアンゴールの言葉で『暴風』を意味する“ファーン”と呼ばれる王なのだと。


 各部族を束ねる族長を王都“武成ブセイ”に集めて定住させ、彼ら族長が組織する会議から選出される強権を持った存在で、驚くべきことに世襲制ではない。

 各部族から“ファーン”となるに相応しいと認められた候補者が数十年に一度だけ選ばれ、族長会議での承認を得て“ファーン”として即位することができる。

 「常に強者が率いよ」という初代“ファーン”の意思が強く反映されているのもあるのだろうが、アンゴールはこの世界ではことに珍しい完全実力主義の共同体だった。


「今までは、向こうからすると東方の辺境を縄張りにする部族が単体で攻めて来ていたようだけれど、今回の規模を考えるとあっちの王都から命令が出ているんじゃないかしら」


 今までにないアンゴールの本格的な侵攻であるはずなのに、オーフェリアの口調に緊迫感は欠片も存在してはいない。

 むしろ、これから起きるであろう戦いに待ち焦がれているような気配すらあった。


「アンゴールが大規模な軍を出してまで王国と戦おうとするのは何があるのです? 狙いはわからないのですか?」


 訪問して早々、大規模な戦いに巻き込まれそうになったアリシアが困惑の表情を浮かべて問う。

 大規模な敵が近付きつつあるという報せを受けて母親オーフェリアのことが心配になったのもある。


「さぁ? わからないわ。生憎と剣戟でしか彼らとは語り合ったことがないもの」


「わからないって――――」


 そんな娘からの言葉に、なんてことのないように返してのけるオーフェリア。アリシアは絶句するしかない。

 実際に戦ってきた者だからこそ言えるセリフだが、貴族の身分を持ちながらに言えるとなるとそうそうあるものではない。


「それに、。そもそも、木っ端部族の略奪に大した目的なんてあるはずがないわ」


 と、アベルを含め何人かは勘付いたが余計なことは口に出さなかった。


 実際、正式な国交もない中で略奪に来る騎馬民族なんてものは正直なところ盗賊となんら変わらない。

 それでいて政治的な意向もないようであれば、わざわざ捕虜にする必要もないと判断したのだろう。

 なんとも殺伐としているが、ある意味では合理的でもある。


「一応言っておくけど、王国として一切引くつもりはないって意思表示のためでもあるのだからね? 実際、今までは国内ウチもそれなりに落ち着いていたからそんな対応でも良かったのよ。仮に向こうが“やる気”を出してくれちゃっても多少は対抗できたからね」


 たとえ表面上であってもヴィクラント国内がここ最近では一番安定していたため、アンゴールの大規模侵攻があったところで“王国として”対抗することができたのだ。


「でも、今はもう違う。国内では“新たな風”が吹き始めていて先が読みにくい状況になっているわ。その上で、西からも“脅威”が迫っているのよ。なんでしょうね、結構厄介な状況なのにどうにも血が騒いできちゃうわ」 


 言葉とともにオーフェリアは口唇を不敵な形に歪めて拳を軽く握り締める。


 

 べつに平穏であることに不満を持っているわけではない。


 ただ、オーフェリアは知ってしまったのだ。

 血の匂いと暴力の香り、そしてそれに昂揚を覚える自分を――――。


 クラウスを愛して結婚もしてみたし、子どもアリシアを産んで愛情を注いでみたが、それでもオーフェリアが完全に満たされることはなかった。

 もちろん、家族はかけがえのない存在として何よりも深く愛しているし、それはそれで大いなる充足感を得てもいる。


 しかし、戦いに関してはだった。

 言うならば、空腹を紛らわせるために睡眠時間を多めにしてみたが一向に空腹が満たされないようなものである。


 だから、その渇きを癒すため、こうして西部国境に塩漬け同然の扱いをされても盗賊の討伐や遊牧民との戦いを繰り返してきたのだ。

 間違いなく生まれてくる時代を間違えている。自分でもそう思っていた。

 ――――つい最近までは。


「さて、私はここの部隊の指揮を執らねばならないわ。アリシア、今ならまだ屋敷に戻るだけの時間は十分にあると思うけれど?」


 「どうする?」とオーフェリアは立ち上がりながら口を開く。

 その言葉には母親として娘の身を案じようとする感情が含まれていた。


 だが、


 気遣う以上に、しばらく見ぬ間に変貌を遂げた娘が。それを楽しみにしているような雰囲気さえある。


 これも、ある意味では試されているのかしら?


 少しの間逡巡したアリシアは、それまで言葉を発することなく控えてくれていた“チーム”に向けて視線を送る。


 アベルは静かに微笑み、エイドリアンは不敵に笑いつつ肩を竦め、レジーナは組んだ腕の中で小さく親指を立て、ラウラは小さく頭を下げる。


 皆がそれぞれの表情を浮かべつつも「好きにやったらいい」と言ってくれた。


 それらを見たアリシアは深く息を吸み、ゆっくりと吐き出してからオーフェリアを見た。


 ――――ここで逃げるなんて。それにお母さまが戦うと言っているのにそれを放ってなんておけるわけがない。


「……お母さま。我ら五人、微力ながらこの戦いに参加させていただけないでしょうか。我々の力、アンゴールの連中に見せつけてあげようではありませんか」


 覚悟の込められたアリシアの瞳がオーフェリアを正面から見据えた。


「ええ、ありがとう。あなたたちを心から歓迎するわ。“この世の果て”へようこそ」


 それを受けたオーフェリアはすぐに満面の笑みを浮かべた。




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