第25話 路地裏はステージに



 鍛冶屋からの帰り道を歩くアリシアはひどく上機嫌だった。


 砂漠仕様のキャメルカラーのブーツを履いたすらりと長い脚の歩みもじつに軽やかであるし、それこそ美しい旋律を奏でる玲瓏な鼻歌がアベルの耳にまで聞こえてくるくらいであった。

 ただ、そのご機嫌である理由が「腰を飾るためのサバイバルナイフをゲットしたから」であることを考えると、アベルとしては素直に喜べなかった。


「ずいぶんとご機嫌であられますね」


「ええ、が手に入ったから」


 にっこりと無垢な笑みを浮かべ、そのままふわりと移動してアベルの腕に抱きついてくるアリシア。

 初めてのことではないだけに他意はないのだろうが、予期せぬ不意討ちにアベルはドキリとしてしまう。

 これではまるで恋人同士の戯れのようではないか。初めてのことではないのにどうしても狼狽えかけてしまう。


 ……まぁ、そんな甘い感情も、自分の太もものあたりに触れるナイフの柄の感覚ですぐに現実へと引き戻されてしまうのだが。


「僭越ながら、そういった反応は普通アクセサリーとかそういうものが手に入っての反応だと思うのですがねぇ……」


 年頃の女性の反応ではないとさりげなく注進してみるアベル。

 少なくとも、よほどの特殊性癖でも持っていなければ、貴族令嬢がナイフをゲットしてご機嫌にはならないだろう。

 アベルの知っている範囲だと、だいたい猟奇殺人とか地下室での拷問癖とかとても表沙汰にはできない性癖なわけだが。

 

「あら、心外ね。そういう風にわたしをのはアベルでしょう?」


「……誤解を招くような表現を使うのはやめていただけると嬉しいのですが」


 余人が聞いたら間違いなくにとられるであろう言葉に、アベルはヒヤリとしてしまう。


「ふふふ、これじゃ“責任”を取ってもらわないといけなくなるわね」


 そんなアベルの示す反応を面白がって、アリシアはさらに艶然と微笑んで言葉を続けようとする。


「お戯れを……」


 婚約破棄をするとウィリアムが騒いだ頃のように、下手に塞ぎこまれたりするよりはずっといいのだが、それでもこれは心臓にあまりよくないとアベルは思う。

 先ほどから体内を巡る血液が頭に上がってきたり下がったりでじつに忙しない。

 なんにせよ、第二の人生が心臓への過負荷で早々に終了となるのだけは勘弁してほしいところだった。


「なによぉー、アベルも婚約破棄された女はイヤだって言うのぉー?」


 アベルは困惑の感情を隠せない。

 どういうわけか、今日のアリシアはずいぶんと自分に絡んでくる。

 一見平静には見えるものの、やはり正式に婚約を破棄されたことで現れる影響に対して少なからず不安を覚えているのだろうか。


 それとも、件の人攫いに関することなのか。

 ラウラから朝方報告を受けていたが、それから少し考えにふけっているような様子もある。


 いずれにせよ、これで酒でも飲んだら絡み酒キャラになりそうだなとアベルは変な想像をしてしまった。


「いや、そういうわけではありませんが――――」


 とりあえず、どういう風にアリシアを宥めようか。そう思いながら放った言葉の途中で、急遽アベルは足を止める。


「ちょっと? どうしたのアベ――――」


 アリシアが怪訝な顔を向けようとしたが、そこにあったアベルの表情を見て、すっと真顔になると同じ方向を向く。

 その時には、路地裏から聞こえてくる声をアリシアの聴覚も捉えていた。


「……もしかして、さっそく当たりを引いてしまったのかしら? ともかく、行くわよ!」


「承知しました。ただ、あまり無茶だけはされないようにお願いしますよ!」


 言葉を交わしながらも路地裏に向けて速足で向かうふたり。その目はすでに海兵隊マリーンのものになっていた。










 路地裏に足を踏み入れようとすると、なにやら奥から言い争う声が聞こえてきた。

 どうにも剣呑な空気だとふたりは足を急がせる。


「おいコラ! 大人しくしやがれ!」


「いや! やめて!」


 というよりは、どう考えても人攫いの真っ最中にしか見えない。

 路地裏の奥をよく見れば、男が三人がかりでひとりの少女を抑え込もうとしていた。


 その光景にアリシアは我が目を疑ってしまう。


 いくら日が傾きかかっているとはいえ、まだ昼間といっていい時間帯だ。

 それなのに、どれだけ堂々と――――いや、考えなしな犯行なのか。

 さすがにアリシアもアベルも呆れそうになる。


「……アベル、念のためだけど向こう側に回りこめる?」


「ええ、退路は塞ぎます。お任せください」


 短くアベルと言葉を交わしてから別れ、アリシアは歩を進めていく。


 くだんの人攫いなら、なんともいいタイミングで遭遇したと言える。

 しかし万が一、なにかの間違いだったら面倒だし、念のため声をかけてからにしようかと一瞬だけ躊躇したところで、アリシアの目がある一点を捉える。


 


「うるせぇぞ、ブン殴られてぇのか!」


「やだ、はなして! 誰かっ!」


 耳朶じだを打つ甲高い叫び声によりアリシアは確信に至る。

 攫われそうになっている人間は、なんとあの花売りの少女――――スレヴィの娘であった。


「そこ、なにをしているの!」


 瞬間的に頭に血が昇りかけたアリシアは、鋭く声を張り上げて前に進み出ていく。

 一方、突然投げかけられた声に、男たちはぎょっとした様子でアリシアの方を向く。

 普通、このような人気のない場所で、しかも女が自分たちに声をかけてくるとは思いもしなかったのだろう。


「お、お姉さ――――もがっ!」


 少女が叫ぼうとするが、近くの男に口を塞がれる。


「な、なんだ、テメェは!」


 邪魔をするなとばかりに、少女を拘束しようとしていた人間とは別――――もっとも近くにいた男が顔を凄ませてアリシアに近付いてくる。

 しかし、アリシアは一切怯まず、男の歩みと同期するように悠然と近付いていく。

 次第に詰まっていく双方の距離。


「……なんだ、よく見たらすげぇ別嬪じゃねぇか。ちょうどいい、お前も一緒に攫っていってやろ――――がばっ!」


 アリシアの美貌を見て下卑げひた笑みを浮かべた男だったが、思いついたセリフを最後まで言い切ることはできなかった。

 目にもとまらぬ速さで繰り出されたアリシアの前蹴りが、男の鳩尾みぞおちにめり込んでいたからだ。

 服装に合わせた一見なんの変哲もないブーツだが、内部にはしっかりと鉄板が重ねて入れられている。

 これに海兵隊仕込みの格闘術による蹴りが加わったため、見た目の数段重い凶悪な威力を発揮していた。


 ちなみに、を狙わなかったのはアリシアなりの慈悲だ。

 命の危険に関わってもないかぎり、“男の尊厳”を無闇やたらに粉砕したりしないようにと教え込んだアベルの薫陶とも言うが。


 そして、そんなアリシアの一撃がこの路地裏の空気を変えた。


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