第62話 あなたの想いは?


 アリシアの乗った馬車の中でにわかに非常事態宣言マーシャル・ロウが出かかっている中、アベルはなぜかその後ろを進む馬車に揺られていた。


「悪いわね、アベル。わざわざ別の馬車に乗ってもらって」


 なぜ自分がここに居るのだろうか?

 

 アベルの内心に渦巻く疑問を感じ取ったように、オーフェリアは形の良い口を開く。


「いえ。私はアリシア様の従者ではありますが、公爵家にお仕えしていることに変わりはございません。閣下と奥方様を護衛するのも仕事のうちです」


 アベルは平静を装って返した。不意をつかれた動揺は隠しきれただろうか。


「仕事が増えて申し訳なくは思っているのよ?」


 オーフェリアは少しだけ遠慮がちに笑った。


 今回の諸々を夫クラウスに伝えるため、急遽彼女も領都へ戻ることになったのだ。砦の守備は副官に任せてあるので心配はいらないが、突如として動き出した時流に早くも巻き込まれていた。


 こうしてオーフェリアが動く以上、スベエルク――いや、アンゴールからの申し出を半ば受け入れたことになる。

 もちろん、万が一の際には砦は捨てても構わないと伝えてあるがその心配も杞憂に終わるだろう。


「それに、仕事を選ぶようではプロとは言えません」


「そんなつもりで言ったのではないのだけれど……。まぁ、そういうことにしておいてあげるわ」


 彼女の望んでいた回答ではなかったのだろう。小さくオーフェリアは溜め息を吐き出す。


「さて、あらためて礼を言わねばならないわね。アベル――いえ、とお呼びするべきかしら?」


 オーフェリアには語らなかったはずの前世の名前を呼ばれ、アベルの中にいる“もうひとつの自分”が小さく感情を揺らめかせた。


「……驚いてもくれないのね」


 オーフェリアは妙に残念そうな表情を浮かべた。

 アベルを驚かせようと仕掛けるタイミングまで計っていたらしい。


「ご期待に沿えず申し訳ございません。ですが、閣下には申し上げていたことですので。?」


 感情の揺らめきすらない、きわめて冷静な表情でアベルは答えた。

 自分だけが呼ばれた以上、こういった会話になるだろうなと予想していた。そのため気持ちの備えがあったのだ。


 そもそも、砦でオーフェリと話した時からアベルは違和感を感じていた。


 あのクラウスがオーフェリア相手に「あとは娘に訊け」などと手抜きをするだろうか。

 いや、間違いなくそのようなことはしない。


 嫁を相手に適当なことをすると後が怖いのもあるだろうが、同時にクラウスは公爵家当主としての役目もきっちりと果たしていたわけだ。


「ふふふ、あの人がアリシアの従者にするはずだわ」


 感心したようにオーフェリアは笑みを深めていく。


「正直このようになると予想もしておりました。しかし、本当に人が悪いことをされますね。スベエルク殿下の気持ちが今ならよくわかります」


 返すアベルの言葉は淡々としていた。


 要するに、アベルはオーフェリアに試されているのだ。


 たとえクラウスがすでに認めているとしても、オーフェリアが彼同様にアベルたち“チーム”について認めてくれるとは限らない。まずは警戒すべきですらあった。


 仮にも国の中枢にいる第二王子派が、たったひとりの少女レティシアによってぐちゃぐちゃに掻き回されつつある現状を考えれば当然の反応だ。

 アベルがレティシアと同じように王国を混沌へと叩き込む要因とならない保証もなく、すでにクラウスやアリシアが籠絡されていないとも限らない。


 ましてや、アンゴールとの砦をめぐる攻防戦でを見せつけたのだ。

 ただ単に戦に勝ったと手放しで喜べるほど単純な話ではあるまい。


「本当に優秀で助かるわ。いっそ、あなたみたいな人間が王族に転生してくれていたらどれだけ良かったか」


 オーフェリアはそう言うが、アベルからすれば冗談ではなかった。


 もしそうなっていたら、最終的に迎える結末は下手をすれば今以上に厄介なものになる。


 早い段階から自分の意識があれば良いだろうが、もしアベルの時と同じタイミングで王族に転生でもしていたらどうか。アリシアの起こす反乱を鎮静化させた後が本格的に危険なことになるとアベルは思う。

 ウィリアムルートのエンディングは、聖剣を手に入れ反乱軍を倒したウィリアムが新たな王に即位し、晴れて主人公ヒロインであるレティシアと結ばれる。

 だが、シナリオ自体は結婚式で終わっておりその後王国がどうなったかまでは語られていない。


 この世界に来て周辺国の動向を見るに、どう考えても長くない。


 まぁ、そもそも――アベルは不快感を覚える。


 悪いが願い下げだ。自分はあのようなことをしでかしてくれる節操のないクソビッチレティシアはまるで好みではないし、なによりもアリシアをこの手にかけたくない。


御冗God's談をNavel。一国の運命を背負う窮屈な身分にはなりたくはないですね」


 思ったままのことを言うわけにもいかずアベルは冗談めかして返したが、予想外に気持ちがこもってしまったのか小さく鼻が鳴った。



 わざとらしく肩を竦めてみせたアベルに、オーフェリアが間髪入れず言葉を挟んだ。

 アベルの目がふたたびオーフェリアを向く。


「自覚があるかどうかは知らないけれど、あなたの介入によってアリシアの運命は大きく変わったらしいじゃない」


 前を行く馬車に乗った愛娘アリシアの方向へ一瞬視線を向けたあとで、オーフェリアは実に興味深げな表情を浮かべてアベルを見る。


「まぁ、あのままでは私も含めて皆が滅びる運命しかありませんでしたから」


 ブートキャンプに関してはと思わなくもないが、そこにはあえて触れずにアベルは淡々と答えた。


「それはどうでもいいわ。少なくともアベルがあの人に語った運命とやらは回避できたみたいだし。それよりも、よ」


 そこでオーフェリアは居住まいを正す。


「わたしが言いたいのはね? 現時点で判断できる材料だけを見ても、出来事の中心にアリシアとあなたたちがいるってことなのよ。これをどう思う?」


 それが問題なのだばかりにオーフェリアは問いかけてくる。


「どうとは?」


 鸚鵡返しになる。

 問われている言葉の意味が漠然としすぎていてアベルには理解しがたかった。


「あなたは、この先アリシアとどう歩んでいきたい? そこが聞きたいの」


 アベルは言葉に詰まった。


 意味がわからなかったからではない。

 ついに自分の中に潜む気持ちをはっきりとさせる時がやってきたからだ。


「実を言えば、スベエルク王子からアリシアを嫁に欲しいと言われているわ。惚れただなんだと言ってはいるけどね」


 アベルの表情が固まった。


 もちろん単純な一目惚れではあるまい。

 政治的な背景があるはずだとそれらを考えようとするも、「なぜ?」という取りとめもない感情ばかりが先行し思考が妨げられる。


「あらあら、この話題にはちゃんと反応びっくりしてくれるのね」


 アベルの反応を見るオーフェリアはどこか嬉しそうだ。


「殿下に答えは返していないわ。これはわたしに決定権がないのもあるけれど。まぁ、本人に直接言ってみてはいかがかと言っておいたわ」


 ふふふと笑うオーフェリアは、まるでいたずらを仕掛けようとする子どものような目を浮かべていた。


「わ、私は、あくまでもアリシア様の従者です。そこに個人の意見を挟む余地など――――」


「ねぇ、アベル」


 歯切れが悪いながらも努めて冷静に返そうとしたアベルの言葉をオーフェリアは途中で遮った。


「あなたはどうしてそこまでアリシアのために動いてくれるの? その運命とやらのとおりに公爵家が没落するのなら、あなた自身もっと目立たないように生きる方法もあったと思うわ。お世辞を抜きにしても、あなたならそれだって可能だとわたしは思う」


 真意を問うようなオーフェリアの瞳がアベルを見据える。

 それは詰問するようなものではなく、アベルの本音を求めようとしていた。


「私は――――」


 たしかにオーフェリアの言うとおりだった。


 別にゲームと似た世界にいるだけで、行動範囲はゲームと違って無限大だ。


 たとえ貴族として生きることが難しくなっても、前世の知識を生かして商人になるなり、能力を使って傭兵になって立身出世を目指すなり“ゲームになかった選択肢”はそれこそいくらでもあっただろう。


 だが、その選択肢は今まで考えたこともなかった。

 いや、念頭にもなかったと言える。


「私は、アリシア様に負けて欲しくなかった」


 単純にイヤだったのだ。

 窮地にありながらも強がる姿を美しいと思った少女――アリシアが負けたままでいるのが。


 皆の前でアリシアが断罪された夏の日。

 あの時、彼女が浮かべた表情――泣き出したいのを懸命に堪えている姿を見ていたくなかった。

 彼女にそんな表情は似合わないとアベルは心の底から思った。


「たとえ、去り際の態度が単なる強がりに過ぎなかったのだとしても、そのままで終わらせたくはなかった。それほどまでに美しく感じたのですから。それに――彼女にそんな姿は似合わいません」


 自分でも不思議なくらい、アベルの口から想いを告げる言葉はすんなりと出てきた。

 胸のつかえが取れたような気分だった。


「……なんというか、ホント不器用よねぇ~。でも、あなたがそう思ってくれたからこそ、あの子は救われてひとまず悲劇を回避できた」


 右のこめかみに指を運んでいたオーフェリアはふわりと微笑んだ。


「わたしやあの人みたいに、武に関わらせなかったのはあの子自身が選ばなかったのもあったけど、それはそれでべつに構わないと思っていたわ。もうそういう時代ではないと思っていたから。でも、この国を取り巻く世情がそれを許してはくれなかったみたいね……」


 学園でアリシアは剣技など武に秀でてはいなかった。

 もしかすると、それもまた第二王子を裏で操っている人間に、婚約破棄を決断させた要因のひとつなのかもしれない。


 だから、アベルはまず戦えるだけの力と意思をアリシアに与えた。かなり強引な方法で。


 しかし、彼女は不屈の意志でそれを身に付け、自分が正しいと思うもののために行使しようと歩き始めている。


「ねぇ、アベル。もう一度訊くわ。?」


 オーフェリアは重ねて問う。


 すでにアリシアは進み始めている。

 ならば、自分も想いを表さねばならない。

 あの秋の夜、アリシアが語った想いの一端を現実とするために。


「私は、彼女と共に歩んでいきたい。運命があの少女アリシアを巻き込むというのなら、私はを使ってもそれに抗い、守り抜くでしょう。この世界に骨を埋めると決めた時、そう誓ったのです」


「お伽噺とぎばなしの悪鬼羅刹のように、あなたは世界を敵にでも回すつもりなのかしら?」


 問いかけるオーフェリアの視線に厳しい感情の色はない。

 ただ真意を問おうとするものだけが存在していた。



 コバルトブルーの瞳の中に潜む強靭な意思の宿ったアベルの瞳。

 そこから発せられる視線を真正面から受けたオーフェリアは、その鬼気とでも呼ぶべきものにあてられないよう小さく溜め息を吐き出す。


「……合格ね。あぁもう! わたしも若くないんだから、そんなに剣呑な目で見ないでほしいわ、心臓に悪い!」


 この話はもうここまでよとオーフェリアが片手を掲げた。


「……まぁ、アリシアが何と答えるかはわからないけれどね。でも、今のあの子はアンゴールにくれてやるほど安い人間じゃないわ。交渉次第だけれど、あくまでも彼らとは協力関係を構築するだけで、そこに血縁関係なんて結ばせてあげないわよ。第一、“ファーン”は世襲制じゃないじゃない」


 この期におよんでギャンブルなんか打たないわよとオーフェリアは一気に表情と口調を崩した。


「唯一気になるのは第一王子ね。第二王子があんだけポンコツでも、第一王子が復帰できるとなればこの国もどういう方向に転がっていくかわからないわよ。第一王子が旗頭になる器なら、あの人もアリシアを札として切らねばならなくなるかもしれない」


 オーフェリアの言葉にはどこか予感めいたものがあった。


「わたしはね、アベル。個人的にはあなたを応援したいと思っているの。わたしとあの人も恋愛した上で結婚できたから。もちろん、政治的な部分で折り合いがついたのもあるけどね。……だから、ね」


 すべてお見通しなのだろう。

 アベルはにこやかに笑うオーフェリアから小さく肩を叩かれるのだった。



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