第110話 走り出した衝動はもう止まらない


 ここで一度時間を夏まで遡る。


 模擬戦におけるアリシアたち勝利の報は、瞬く間に王国中を駆け巡ることとなった。


 これまで戦の専門家として特権階級にあった騎士という存在が“ただの兵士”に負けた衝撃は、当然ながら市井にまで広く流れたわけではないものの、それでも王国の貴族階級を中心とした部分にちょっとしたセンセーショナルを巻き起こしていた。


「……志願兵?」


 執務室で書類に向かっていたアリシアはきょとんとした顔を浮かべる。


「はい。第2中隊の発足を目的とした2次募集に志願が殺到しているんです」


 困惑したような顔で報告を上げてきたメイナード。

 今回の“戦時昇進”によって海兵隊最上級曹長サージェント・メジャー・オブ・ザ・マリンコとなった彼でもこのような表情を浮かべることがあるらしい。


「元々、遊撃隊の倍率は高かったじゃない。並の冒険者よりも食べていける仕事なのだし、種族や身分も問わなかったのだからこの世界では破格の条件でしょう?」


 アリシアは「なにも今に始まったことではないじゃない」と小首を傾げながら返す。


 そのせいで書類選考――――字を書けない者も多かったため、代筆であっても必要書類が用意してこなかった者を中心にふるいにかける羽目になったのだが。


「ええ。たしかにおっしゃるとおりです、アリシア様。しかし、今回の集まり方はちょっと性質が違う。


「 ……あぁ、模擬戦のことね。そりゃあ真っ向勝負じゃないにしても騎士団を倒してしまったわけなのだし、別にありえない話じゃないとは思うけれど」


「ええ、ここまでは想定の範囲内です。加えて、志願者の中には結構な数の貴族の三男坊以下――――いわゆる部屋住みの連中がいました。これもまだ分かる話なのですが……」


 そこで急にメイナードの歯切れが悪くなる。明らかに扱いかねている様子だった。


「どうしたの? あなたにしては、なんだかやけに勿体ぶるじゃない」


「そういうわけではありません。問題はですね、……」


 扱いかねているとばかりに肩を竦めるメイナード。

 たしかに、それくらいの話でもなければ、この下士官の将軍ジェネラルと呼ぶべき人物がアリシアのところへ訊ねにくるはずもない。


「……はい?」


 さすがのアリシアもこれにはしばらくの間固まってしまった。


 わけがわからなかった。いや、考えればそれらしき結論を導き出すことはできるかもしれないが……。


「なるほど、ここでクラウス閣下の撒いていた“種”が芽を出したというわけか」


 アリシアが思考を進めるよりも先に口を開いたのはアベルだった。


「ええ、中佐ルテナント・カーネル。私は当時こちらに呼ばれていなかったので推測の範囲でしかありませんが、そう結論付けざるを得ないようです」


「ちょっと? ふたりで納得していないで説明してちょうだい」


 自分を置いてきぼりにしないでほしい。不満げに頬を小さく膨らませてアリシアはアベルとメイナードに抗議する。


「これは失礼いたしました。つまりですね――――」


 小さく笑ったアベルが説明していく。


 なぜクラウスが娘であるアリシアに領主代行を任せたのか。

 それは過去にも触れたが、当時の彼女に公的な地位がなかったためだ。


 公爵家令嬢などというのは所詮肩書程度のもので、言ってしまえば

 今後――――いや、すでにとも言えるが、様々な分野で影響力を増していくアリシアが敵対勢力から政治的な標的とされることも考え、自分で身を守れるようある程度明確な地位を与えたものだった。


 現王国法ではアリシアに領主の地位そのものを継がせることはできないため、最終的な責任を取る存在だけクラウスのままにしておき、その上でアリシアに可能な限りの裁量権を認める裏技的なやり方を通しているわけだ。


 表向きは「将来的に婿をとって爵位を継がせるから、その時に奥さんが領地のあれこれを知っていたら運営とかも楽になるよね」という非常措置に近い。


 しかし、これはなにもアルスメラルダ家だけで行われていることではなかった。

 どうしても嫡男に恵まれず、かといって家内で権力争いが起きることを厭うため側室を設けようとしない人間もいなくはない。

 そして、そういった貴族は苦肉の策として婚姻によって家を存続させようとする。


 とはいえ、それは婿を見つけるまでの繋ぎとして行われるものであり、アリシアのようにほぼほぼ領主として振る舞うことを容認するなど前代未聞と言っていい。


 いずれにせよクラウスは法の穴を突いて“仕込み”を行っていたのだ。


「婚約破棄を逆手に取って、傷心の娘に領主代行なんて地位を与えたバカ親に見せたのね」


「誰しも身内には甘くなりがちですし、そう判断されても不思議ではないですからね。あえて弱点となりそうな形にして見せたのでしょう」


「そして、婚約破棄されるようなバカ娘と思われていた人間が、まさかのとんでもない戦果やら成果を挙げはじめたと。気付いた頃には時すでに遅しね」


「まさしく」


 今では王室派もクラウスの狙いに気づいているかもしれないが、アリシアが着実に実績を上げつつある以上、もはや手遅れといっていい。


 公爵位は依然としてクラウスのままなのだから、国が罷免できるだけの理由がなければそれは不可能だし、先ほども触れたように代行は領主の権限として公に認められているものだ。

 同様の手段をとっている貴族が数多くいる中で、彼らの不興を買ってまで法を変えることは王室派にとってもリスクが高い。


 実際、彼らの派閥の中にもその方法で今を切り抜けようとしている貴族も存在するのだ。

 無理な動きを起こせば、一転して彼らが王室派から貴族派に鞍替えを起こす可能性もある。

 そうなると、血統以外にもオーフェリア率いる西武方面軍といった高い軍事力を持つ貴族派筆頭のアルスメラルダ家を御輿とした内乱の危険性が高まってしまう。

 王権が絶対不可侵のものであると信じている人間も一部いるようだが、各地を治める貴族にそれなりの利益を認めているから成り立っているに過ぎないのだ。


 王室派が後から無茶なことができない“抑止力”があると理解した上で、クラウスはアリシアを領主代行として据えていた。


「ただまぁ……お父さまの場合、ご自分の負担をわたしに割り振ったのもあるでしょうね」


「ははは、それは致し方ありません。我らで軍事の面のみならず様々な方法で世界に介入しようというのですから、役割も分担しなければいくら身体があっても足りません」


 苦笑を浮かべるアベル。なんだかんだと自分の中にいるカイル・デヴィッドソンの意識の転移がすべての発端であると理解しているためだ。


 もっとも、アベルはそれを微塵も後悔していない。


 あれが起きなければ、こうしてアリシアが領主代行として頭を悩ませるような未来さえなかったのだから。


 こんなにも真っ直ぐに生きようとする少女アリシアを、単なる悪役として葬り去ろうとする世界など認めるわけにはいかない。

 ただのゲームであったのなら一抹の寂しさとともにそれを受け入れたかもしれない。しかし、ひとりの人間として間近で生きている姿を見てしまった以上、それは絶対にできないことだった。


「ふふふ、そうね。でも、こうして不出来な娘の後始末をしてくださるのだから、王都には足を向けて眠れないわ」


 別の意味なら思いっきり向けて寝たいんだろうな、とアベルは思うが口にしない。


「少――――中将ルテナント・ジェネラルであればこうおっしゃられたでしょうね、「子どもに迷惑かけられるのも親の仕事の内だ」と」


「あの方ならそう口にされても不思議ではないわね。ここ最近の胡散臭い感じで」


 アリシアたちは笑い合っているが、もちろんクラウスが領主のまま動き回ることが限界になりつつある背景を理解していた。


 アベルたち海兵隊のメンバーの能力をフルに活用しようとすると、表向きは当主であるクラウスがある程度領地と王都を行き来できる状態にある方が好ましいのだ。

 今はまだ整備中ではあるが、副官的なポジションにいるリチャードやクリフォードのような情報の専門家を起用した諜報活動を駆使して、王室派貴族の切り崩しなども今後は必要となる。

 そうなった際にクラウスが領主の執務が負担となって動けないようでは意味がなかった。

 なにもただ婚約破棄をされて傷心状態にある可愛いひとり娘のために、不釣り合いな地位を与えたバカ親ではないのだ。


 無論、そう見せかけることで王室派の油断を誘う狙いもあったが、内面まで見れば実に巧妙に計算尽くされた策となっていた。


「胡散臭いなんて生易しいものじゃありません。途中から中将が参加されたことでより凶悪な策になっているくらいなんですから」


「そして、その策の一部を完成させたのが先日の戦勝式典だったわけね」


 アリシアの言葉にアベルは頷く。


 あの場でアリシアを“お披露目”したことで、王国はこれから否応なしに変革を迫られる。女性貴族の“社会進出”だ。


 すでにその効果は現れはじめており、それが今回の令嬢たちが志願兵として応募してきたことに結びついている。

 何しろ国内で最もその動きが進んでいる場所こそ、女が領主代行として辣腕らつわんを振るいつつあるアルスメラルダ公爵領なのだ。そこに人が集まるのは当然の話だった。


「いいわ、受け入れましょう。お嬢様だろうがなんだろうが、一切の区別も差別もなく海兵隊マリーン式の“洗礼”を叩きこんであげなさい。それこそ、彼女たちが望んでいることでしょう」


 基本的に不健康な――――運動不足極まりない生活を送っている令嬢たちが身体を動かせるのはいいことだ。その結果として、この国に新たな“クソッタレの殺戮兵器ファッキン・キリングマシーン”が複数誕生するかもしれないが、別に何の問題もあるまい。


「あの訓練に耐えることができれば、彼女たちが今まで後塵を拝していた男たちに負けず戦えることへの証明にもなる。中途半端に平民がやってのけるよりもずっとインパクトはあるでしょうね。発破をかけるのもかねて、その訓示は別途わたしから行いましょうか」


「ええ、いい刺激になることかと」


 しかしながら、現状ではあくまでも遊撃兵団の訓練兵とするだけだ。正式に任官した後、前線に出すかどうかは別途慎重に検討を重ねる必要がある。

 残念ながら、没落でもしていない限り貴族の子弟というだけで命の価値はその他の兵士とは異なるのだ。


「ただ……訓練中に間違いが起きると困るから、宿舎は別にしなくちゃいけないわね」


 地獄のような訓練を受ければ生存本能が働き出す。戦を繰り返す場所ほど出生率が高まるとの話もあるため、そこには留意しなければならない。


「そうですね。同意の上であっても、ヤることは訓練課程が終わってからにしろと言い含めておきます」


「頼むわ。新たな出会いのひとつでもあれば傍から見ている分には面白いかもしれないけれど、さすがに自分の責任の及ぶ範囲では御免だわ。変な意味で有名になりたいわけじゃないもの」


 冗談めかして笑うアリシア。


 いくらなんでも「信じて送り出した娘が鍛え上げられて兵士になった上に誰のかわからない子どもまで連れて帰ってきた」となってしまってはさすがに笑えない。人口増加は国力の強化にもつながるが、だからといって遊撃兵団付属の保育所まで開園させる気はないのだ。

 軍医であるキャロラインから「あらかじめ避妊具を配布しておくべきでは?」との案も出されてはいたが、それでは半ば公認するようなもので、規律を破ってしまう人間が出てからにするか非常に悩ましいところである。


「諸々含め検討を続けます。……それはそうと、“工廠”から連絡がありました」


「聞かせて」


 アベルの言葉にアリシアの表情が引き締まる。すでに予想がついているのだ。


「例の物ですが、ようやく目途が立ったようです。秋には投入できる見込みです」


 報告を上げるアベルのみならず、アリシアの瞳にもいつしか不敵な色が浮かび上がっていた。


 またひとつ、この世界に新たな流れが生まれようとしていた。

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