第140話 未来の人たちに今を笑われないように
今にも降り出しそうな鉛色が空一面に広がっている。
日光を厚い雲に遮られ薄暗くなった地上で、重なり轟音と変わった音が鳴り響く。
火薬の炸裂音――――銃声だった。
「射撃やめ!
「「「イエッサー!」」」
上官の指示を受け、射撃位置についていた兵士たちが立ち上げ、忙しなく動いていく。
地獄のような
新参でも訓練のための訓練から脱却し、古参は実戦を意識するようになっている。要するに頭を使っているのだ。ほどよく混ぜた各中隊および小隊で相互に影響を与え合っていた。
「遊撃兵団大隊訓練、ただいまをもって無事終了しました!」
兵団最古参の兵士であり、今や
「ご苦労様、いよいよサマになってきたって感じね」
訓練を遠くから眺めていたアリシアが、ふたりを向いて労いの言葉と共に答礼を返した。
「訓練の賜物です」
「であれば苦労してもらった甲斐があったものだわ。楽にして」
アリシアが答礼で掲げた手を軽く振って応えると、ふたりは足を開いてわずかに姿勢を崩した。
やはり、1個大隊(約600人)規模の兵士たちがまとまって動く光景は壮観と言ってもいい。この世界で行われる各領軍の教練――下手をすれば騎士団ですら不可能と思わせる統率具合にまで成長していた。
もちろん、その程度では単なる兵士になっただけだが。
メイナードたち教官勢は《海兵隊支援機能》――今は《統合軍事支援機能》だが――により人材も増え、より高度な訓練を施すことができるようになっている。狙撃にはじまり、河川を使った敵地潜入訓練や山岳地帯での戦い方など、少しずつではあるが素養のある選抜兵に仕込み始めている。
いずれ特殊部隊が編成されることだろう。当初の目標である1個大隊の編制は完了したが、やはりまだまだ人手は足りていない。
「今や部隊の多くもそれなりですが戦場の空気を浴びています。これで最低限になってもらわないようでは困ります」
後方に控えて訓練の様子を見ていたアベルが、主人の言葉に小さく頷きながら答えた。
「もっとも、彼らの実戦経験はまだまだ十分とは言えません」
一切満足した様子を見せることなくアベルは言葉を続けた。
マックスとギルベルトの顔に緊張が宿る。自分たちの評価に言及されたからだ。
昨年末に参加した王国東部における戦いでは、西部開拓時代の騎兵じみた無茶をして敵砦に突っ込んだりもしたが、実際のところ兵団員たちはスプリングフィールドM1873の長射程を利用して敵を圧倒しただけだ。本物の大軍同士が激突する会戦ではない。
兵器の優位性が勝率を上げるのは間違いないが、死に物狂いで磨き上げた戦場での経験を大きく凌ぐかと言えば、やはり疑問を覚えてしまう。
言い方に語弊はあるかもしれないが、彼らには“地獄を見た経験”がまだ足りていなかった。
「厳しいわね、中佐殿は。訓練で補うのだって無駄ではないのでしょう?」
「ええ。我々
それでも前世アメリカ軍は《世界の警察》として地球の至るところに出張っては戦っていたので、そこらの軍隊よりもよっぽど多くの実戦を経験していた。
政治に巻き込まれたと言えばそれまでだが、おかげで巡り巡って
「そうね。王都の連中は勘違いしているみたいだけど、
「まさに。それではせっかく生み出した富を無駄に消費するだけです」
アリシアとアベルの間で交わされる会話を聞きながら、マックスとギルベルトはこの場に留まらされている意味を考える。
遊撃兵団は正規の兵士であり、戦で稼ぐ傭兵ではない。何かを得るために戦争を行うなど愚の骨頂である。貴重な兵を失い、金銭も湯水のごとく消費する戦争ほど非生産的な行為などありはしない。その考えが王都の貴族たちには希薄なのではないか。
この世界に経済の概念があまり浸透していないのもあるのだろうが、どの国もともすれば覇道を歩みたがるきらいがあった。
「わたしたちは“もしも”に備えているだけだっていうのに、連中は何を勘違いしているのかしら……」
「どこまでも自分たちが富を独占することしか考えていないだけに脅威として映るのでしょう。見据えている先が違うとも言いますが」
そこで意を決したマックスが口を開いた。
アリシアもアベルも視線を向けはするが、彼の“勝手な行動”を咎める様子まではない。
「大隊長。その心は?」
アリシアが問いかけた。どこか楽しむような気配があった。
「代行殿たちが遊撃兵団のような“能動的な戦闘部隊”を組織したのは、突き詰めれば自分たちの身を守るためでしょう。それはアルスメラルダ公爵家のみ――単なる私兵集団を意味するのではなく、最低ラインで公爵領に暮らす人々までが含まれています」
「他の領地の軍も同じ役目を担っていると思うけれど?」
尚もアリシアは面白がって訊き返す。
「ええ、表面的には。ですが、彼らが守るのは雇い主(領主)である貴族の権益と財産だけです。農民などには向けられてはいない。放っておくと体面が悪くなるから、申し訳程度に賊を討伐するくらいです」
マックスの言うことは正鵠を射ていた。
多くの貴族は民から税を徴収できればいいとしか思っていない。むしろ、暮らしていける土地を提供してやっているのだから、それに報いるのが当然だと思っていた。盗賊や気候で不作になったからと、それが免除されるなど甘ったれた発想だ。そうした意識が時として民への弾圧に繋がっていく。
「民を守らない為政者になど誰がついて来るでしょうか」
「そうね。でも、領主のおかげで守られているともいえるわ。税や戦に動員されるのはその対価とも言えるのではなくて?」
「どうでしょうか。私はこの地に来て実感しましたが、土地柄といった条件はあるにしても、安易な拡張策に走らずとも活用すれば政策次第では富の底上げは十分に可能と思います。しかし、多くの貴族はそれを理解していない。他人の財布に手を突っ込みたがる悪癖――いえ、短慮に走ろうとするのですから」
市民階級であるはずのマックスが、アベルとアリシアを前に公然と批判を口にした。
もちろん、日ごろ抱えている不満が噴出したわけではない。ただ求められるままに客観的な分析を並べただけだ。
社会階級に超えられない壁が存在するこの世界では、貴族が強権および軍事力を行使して無理矢理従わせることも可能だ。しかし、個人の活動に制限をかけるようでは何の利益も生まれず、彼らが最大限のパフォーマンスを発揮しようとはしない。
ならば逆に適度な
遊撃兵団で士官として学ぶうちにマックスはこう考えるようになっていた。
「それが天から与えられた特権と思っているからでしょう」
アリシアはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
この世界でも過去の地球にあった“王権神授説”的な考えが蔓延っていることはアベルたちから教わっていた。
「不思議なものよね。貴族と平民の違いは何をもって証明するつもりなのかしら。わたしたちには青い血など流れてはいないし、怪我をすれば彼らと同じような赤い血を流すわ。喜怒哀楽の感情だってあって、彼らも笑ったり泣いたりするじゃない」
アリシアが発したのは、言葉面だけを捉えれば世間知らずな令嬢のそれだった。
「端的に言ってしまえば、生まれた場所の違いでしょう。貴族には数百から千分の一くらいの確率でしか生まれられませんし、そこから這い上がれる可能性も非常に低い」
アベルは淡々と語る。
「遥か昔にそういうシステムが構築されたからよね」
「はい。国王や貴族、聖職者は自分たちを囲い込み、平民の入る余地ができないようにしました。分け前と威厳が減りますから」
最後に冗談めかすのも忘れない。これはあくまでも“雑談”なのだ。
「結局は既得権を大層な言葉で覆い隠しているだけか。貴族至上主義なんて寝言はベッドの中でもうるさいからやめてほしいわね」
「ははは、貴族のご令嬢のお言葉とは思えません。最近の王都の学園ではそんな反体制的なことを教えられるのでしょうか?」
何がおかしかったのかマックスが柔らかく笑い、すぐに「おっと」と我に返って姿勢を戻した。訓練は終わったが、アリシアは雇い主にして上官――将軍にも匹敵する存在なのだ。
「そんなわけないでしょう? 言うまでもないことだけど、世に不変のものなんて存在しないわ。こうした身分制度だっていつかは崩壊してもおかしくない。そう考えただけよ」
「まさしく。このまま文明が発展していき、武力と知識を平民が手にできるようになった時、それらは大きく変わることになるでしょう」
主人に続けたアベルの言葉が、マックスにはまるで確信を持っているかのように聞こえた。彼とてインパクトが強すぎて忘れがちだがエルディンガー伯爵家の次男坊だ。
「とはいえ、早くて数十年先の変化なら、わたしたちがこの場でどうこう考えるものじゃないわね」
今までの会話は余興だと言わんばかりにアリシアは表情を崩してふわりと微笑んで見せた。放たれる雰囲気も軍人のそれではなく平素のものに戻っている。
「そっ、そうですね……」
突然見せられたギャップに、思わずマックスは言葉に詰まってしまう。心臓の鼓動が高まり、血液が頭へ上ってくるのが自分でもわかるほどだった。
(いったいなんだったんだ? そんな先の話など、机上の空論みたいなものだ。いや、ならばなぜ代行殿はそれを私たちに聞かせた? よもや――)
赤面しかけていたマックスの脳内にふと疑念が宿り、今度は血の気は退いていく。
(試されているのか……?)
おそらく、彼女たちは薄々感づいているのではないだろうか。可能な限りを巻き込んで経歴を偽装しただけで、自分が商家の次男坊ではないことを。
「もっとも、時代の変革を待つよりも先に片付けなければならないことは山ほどあります。我々はすこし目立ちました。そろそろ王都が次の手を打ってくる頃かと」
頃合いを見計らったようにアベルが話を戻し、それから小さく息を吐き出した。
国内の勢力図だが、現状アルスメラルダ公爵家の独り勝ちとまではいかないが、西から流れ込む交易品によって活発化しつつある経済の恩恵に与れている者はそう多くない。
最大の対立勢力と言える王家にしても、税を得られるのは直轄領と王都から徴収する分だけだ。近年は貴族家の取り潰しも起きていないため前者ほとんど得られない。
本来ならそれで十分なはずだった。王都周辺だけを管理していればいいのだから。
しかし――
「あれは……?」
ギルベルトが声を上げた。
撤収準備に入った兵士たちとは別の場所――訓練場の入り口から早馬が駆け込んでくるのが見えた。あれは公爵家に仕える者だ。
「急報です! 王都からウィリアム王子の御名で勅令が出されました! 東部および北部貴族を除いた貴族への追加課税と……“技術管理法”なるものが!」
不意に、空から
「来たわね……」
アリシアの目がすっと細められる。
ついに、大きな嵐が王国に訪れようとしていた。
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