第15話男たちの晩夏


「……しかし、ちょっとばかり予想外の事態になってしまいましたね」


 アベルの言葉を受けて、初めて気がついたようにアリシアが周りに視線を送る。

 すると、いつの間にか少ないながらもギャラリーができていた。


 意識を集中し過ぎていたのか、模擬戦が終了した今の今までアリシアはまったく気がつかなかった。


 この時間帯の訓練場には人も来ないだろうとタカをくくり、厳密な意味での貸切にはしておかなかったのがいけなかったようだ。


 これはちょっとマズいかしらね……。


 銃剣の切っ先を地面に向けながら、アリシアは静かに息を吐き出す。

 それから、地面に倒れて動けないでいるギルベルトをどうするべきかと考えた。


 無論、追い打ちをかけるつもりはない。

 しかし、手を差し伸べるのも躊躇われた。


 これだけプライドの高――――もとい誇りを胸に生きている人間なのだ。

 あの婚約破棄騒動以降、内心では見下していた対象であろうアリシアが手を差し伸べでもした日には首でもくくられかねない。


 だが、それでももうどうにもならない部分もある。

 少ないとはいえギャラリーにも見られているわけで、この出来事が学園内に知れ渡るのにも三日とかかるまい。

 そうなると、この後の処理をきちんとしておかないと色々面倒になるかもしれない。

 べつにこの男ギルベルトがどこで生きようが死のうがアリシアにはなんら関係はないのだが、それでも自分が誰かの死の間接的な原因とはなりたくなかった。

 

 この人たちにはずいぶんと恥をかかされたけれど……。


 アリシアの中に、彼らへのわだかまりがないわけではない。 

 しかし、だからといって自分が受けた仕打ちに対する報復として、数少ないとはいえ衆目の前でギルベルトに対して追い打ちをかけたりするのは「なにかが違う」とアリシアは思う。

 少なくとも、そういった行為に忌避感を覚えるだけの気持ちが彼女にはあった。


 とはいえ、こうなってしまってはここからギルベルトをどう扱うべきかが現実問題となる。


 アリシアが思い悩んでいるところへ、ライフルケースを取りに行っていたアベルが近寄って来た。

 こちらに向ける顔に浮かぶ表情から、アリシアはアベルの意図を汲み取った。


「……あとは任せます。構わないかしら?」


 ライフルを手渡しながらアリシアが小声で伝えると、それを受けたアベルもなにかを言うこともなく静かに頷く。


 そうしてアリシアが去っていくと、事の成り行きを見ていたギャラリーもアリシアがいなくなって興味を失ったのか、早々に訓練場から出て行ってしまう。


 ……勝ち負けさえわかればもう興味はないということか。


 なんとも薄情なものだと思いながらそれらを見届けたアベルは、ライフルをケースにしまうと倒れたままのギルベルトに向かって歩いていく。


 さて、どう話しかけたものか。


 アベルもギルベルトのプライドの高さは十分に理解している。

 しかし、アリシアから自分に任せると託されたのだ。

 そのぶんの仕事はきっちりと完遂せねばならない。


 実際、ケガ人をこのまま放っておくわけにもいかないし、まだ同性から手を差し出した方がマシだと判断することにした。


「立てますか、ギルベルト殿」


「うっ……。頭が……」


 話しかけたものの、ギルベルトの返事も要領を得ない。

 肘をついて上半身を持ち上げようとするがまるでダメだ。完全に脳震盪を起こしているのだろう。


「頭の中身が揺らされています。今は無理に動かない方がいい」


 ギルベルトの側に片膝をついたアベルは、そのまま動かないように言う。


 だが、いつまでもこのような恰好でいさせるわけにもいかない。なにより本人がそれを認めようとはしないだろう。

 その証拠に、ギルベルトは無理してでも立ち上がろうとしている。

 しかし、底なし沼にはまったかのように、どれだけ試みても身体を起こすことはできなかった。


「……ここにいるのもアレですね。肩を貸します、場所を移しましょう」


「…………」


 アベルに話しかけられるも、ギルベルトは何も答えない。

 かといって、拒絶する素振りも見せなかった。


 これも騎士の矜持とやらなのだろうが難儀なものだ……と面倒に感じつつ、アベルはギルベルトの脇を通るように頭を持っていき、そこから肩を貸すようにしてゆっくりと立ち上がる。

 結局、ぴったりくっついた状態のふたりが訓練場を後にする間中も、ギルベルトは終始無言のままだった。









「……ここならよいでしょう」


 訓練場を出て人気のない木陰にギルベルトを座らせ、そのまま背後の木にゆっくりと背中を預けさせた。


 それから持って来ていた水を入れた水筒をギルベルトに与える。

 いい加減に時間も経って状況を理解し頭が冷えたのか、ギルベルトは礼を言ってアベルから水を受け取る。


 同時に、夕暮れ時の涼しげな風がふたりの間を通り抜けていく。


「……なぜ、私を助けた、のです」


 どうしても感情の整理がつかなかったのか、水を飲んでからギルベルトは強い語気で口を開いた。

 しかし、相手が従者とはいえ伯爵家の人間だと思い出したことで、その語尾は尻すぼみとなってしまう。


 べつにそれをアベルは笑ったりはしない。

 ちょっとやそっとの反骨精神があろうとも、貴族社会においては爵位だとか家柄の前には隔絶した壁がある。

 よほど――――いや、ケタ違いに優秀でもなければ、それを曲げて通すこともできないのだ。


 言ってしまえば、ギルベルトが“あの時”アリシアとアベルに対してあのような振る舞いができたのも、それはウィリアムの王子という“威”を借りていたに過ぎないからだ。


「不思議なことを訊かれますね。ケガ人を放っておくものではないでしょう?」


 それらを理解しているアベルは穏やかな口調で話す。

 どうせなら、このまま相手の言いたいことを言わせてしまった方がいいと判断してのことだった。


「はぐらかさないでいただきたい、アベル殿。あのまま放っておけば、少なくとも私に対する報復にはなったはずです」


 そこまでの認識があればわかりそうなものだが、また、どうにも面倒な人間を引き当ててしまったものだな。


 アベルは小さく溜息を吐く。

 とはいえ、そんな人間でもなければ、あの場でアリシアに絡んでくるようなこともなかったのだろう。


「……おわかりになられませんか? アリシア様がそう望まれたからです」


「ア、アリシア様が……?」


 信じられない……ギルベルトの言葉には、そんな驚愕の響きがこめられていた。

 それを見たアベルは、いい機会であるし話をしておくかと口を開く。


「この際ですからはっきり申し上げておきますが、あなた方があの時にやったことは、ひとりの女性を大勢で寄ってたかって晒し者にした卑劣な行為です。騎士を目指す者以前の行為でしょう」


「しかし……あれはレティシア様に対するいやがらせが原因ではないですか」


 自分は間違っていないとばかりに睨みながら言葉を返すギルベルトに、アベルもさすがに鼻白んでしまう。


「あれをいやがらせとするとは、ギルベルト殿はずいぶんとレティシア様には


「なんですって……?」


 アベルの皮肉にギルベルトの顏に赤味がさす。

 しかし、それを気にせずアベルは続ける。


「少なくとも、アリシア様はレティシア嬢に対しては忠告だけに留まっていたはずです。たとえどんなに辛辣に感じられる言葉が混ざっていたとしても、いわゆる小言の域は出ていなかったと思いますが? そのアリシア様に対する仕打ちがあれでは、私とて穏やかではいられません」


「それは…………」


 アベルの口調は少し強いものになっていた。

 そして、実際に他者から言われてみれば心当たりでもあるのか、ギルベルトも反論さえできずに言い淀んでしまう。


「……まぁ、これは今話すべきことではありませんね」


 ここで自分が相手を責める話ではないと、アベルは少しだけ口調を柔らかいものにする。


「……今回のことに関しては、要はこういうことです。アリシア様は、あなたの言う“報復するチャンス”を得たからといって、同じような振舞いをあなたに対して行うことを望まなかった――――ただそれだけの話なのですよ」


 敢えてギャラリーのいない場所を選んだわけだしな、とアベルは内心で付け加える。

 結果としては、ツメが甘かったせいで他人に目撃されてしまったわけだが、それはあくまでも不可抗力だ。

 個人的には、これくらいの損害は甘んじて受けてもらうべきだとアベルは思う。


 こういうのを言うのだろう? 前世東洋では“因果応報”と――――。


「今の勝負にしても、負けたのは婦女子を相手に油断していただけと認められませんか?」


 なおも納得のいかない様子のギルベルトに、アベルはあえて話しかける。

 ここで一切合切話をしておいた方がいいと判断したのだ。


「そんなことは……」


 歯切れの悪いギルベルトの返答。

 腹芸は苦手なのだなとアベルは内心で苦笑する。


 まるで新兵時代の自分を見ているような気分になる。

 懐かしい記憶だった。


 思わず懐古の情に駆られるが、アベルはそれを今は意識の隅に追いやる。


「ないと言い切れますか? 剣を執るものであれば理解できるでしょう。アリシア様の身のこなしなどが偶然のものではないことくらい」


 仮にギルベルトが油断をしていなかったとしても、客観的に見てアリシアに勝てたかというと難しいところであろう。


 ギルベルトの強みは、膂力ではなくスピードだ。

 最初の攻撃にしても、振り下ろしの際に手加減こそしていたが、それでも早々に戦いを終わらせようとして最速で距離を詰めていた。

 もしその速度に最初から対応されていた場合、本気の一撃を繰り出そうがなにをしようが相手に対応されてしまう可能性は高い。

 つまるところ、ギルベルトは自身の弱点を真正面から突かれて敗れたともいえる。


「……どうして、アリシア様はあのように変わられたのですか」


 消化できない不満はひとまず横に置いたのか、ギルベルトはアベルに問う。

 それは心の底からの疑問であった。


 たった――――

 それだけの期間でアリシアは変貌し、実力の上でもギルベルトを打ち負かした。


 自分は何年もの間、必死で剣技を磨いてきたにもかかわらず、アリシアはそれを短期間で覆していったのだ。

 レティシアに対する感情など諸々を差し引いても、ギルベルトには到底認めがたい事実であった。


「……それは、私ではなくアリシア様に直接訊かれるべきでしょう。従者である私には想像の範囲でしか語ることはできません」


 もちろん、アベルはアリシアの“変化”については彼なりに理解をしていた。

 そして、同時にそれはアリシアがみずから語らねば意味のないことであるとも。


 今回はギルベルトが絡んできたのもあって彼が代表例となっているだけだが、ウィリアムをはじめとして彼らの中ではアリシアがレティシアに“いやがらせ”をしたということになっている。

 もちろん、先に挙げたようにまったくの難癖とまでは言い切れない部分もあるが、それゆえに彼らがアリシアを見る目には相当なフィルターがかかっている。

 そのフィルターが偶然の産物なのか、はたまた何者かによってかけられたものかはわからない。

 だが、それを取り払うには彼ら自身にアリシアを直接見るなり、あるいは話すなりしてもらうしかない。


「想像の範囲でもいい。聞かせてはくれませんか」


 しかし、ギルベルトはなおも食い下がる。


「しつこい殿方はあまり好かれないと思いますが……いいでしょう」


 皮肉さえ効果をなさないギルベルトを見て、アベルは仕方ないと肩を竦めてから端的に語り始めた。


 アリシアが領地に戻ってすぐに倒れてしまったこと。

 そのあと(アベルが強制的に)極限状態に追い込むために、貴族どころか騎士でもやらないような訓練を始めたこと。

 そして、それらはすべて“あの時”の悔しさをバネにしたものであったことなど――――できる限り客観的な視点から話すことをアベルは心掛けた。


 いくら大げさな表現で語っても、それは貴族が好む誇張表現に過ぎず本当のアリシアの姿は見えてなどこない。

 それに、もしもアリシアを解するのに虚飾めいた言葉を必要とするのであれば、所詮はギルベルトも騎士を自称するだけのつまらない男だったということになる。


「――――こんなところでしょうか」


 そうしてすべてを聞き終えた後、ギルベルトは呆とした表情を浮かべていた。


「公爵家の令嬢が、そんなことを……」


 訓練内容を具体的に言ったわけではないが、それにしても貴族令嬢が約二か月にも及んで武の訓練を受けるなど家格的には有り得ないことだ。

 敢えて語りはしないが、貴族であればまでをアリシアは経験している。


「まぁ、こうして語ったからと言ってすぐに理解できるものでもないでしょう。そこは納得のいくまでご自身の目で確かめられたらいいと思います。もちろん、貴族としての節度は持っていただきますが」


 だが、アベルがこれ以上深く語らずとも、肉体的にも精神的にも大きく変貌を遂げたアリシアを見れば、それがどの程度のものであったかギルベルトにも最低限の想像はつくだろう。

 あとは本人がそれを受け入れられるかどうかだ。


「最後に。もしも引き続き騎士を目指されるのであれば、まずは疎かになられている足元を見直されてはいかがでしょう」


 そこまで語ると、これで話は終わりだと告げるようにアベルはゆっくりと立ち上がる。


「……あぁでも、今日は休んでいた方がいい。もし気分が悪くなるようであれば、すぐに医務室なり医者へ行くようにしてください。それでは、私はこれで」


 脳震盪を起こしたのみならず、ギルベルトはそのまま地面にも崩れ落ちている。

 見たところは大丈夫そうだが、それでも頭部へのダメージの可能性がないわけではない。


 もしそれでも無理に動くのなら、あとは本人の責任だ。

 そう考えれば、これでアリシアへも最低限の義理は果たしたはずだ。


 忠告だけを残して、アベルはその場をあとにした。




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