第125話 天使のような悪魔の笑顔


「なんなんだ、この情けない結果は! 今回のいくさで得た領土など猫の額ほどではないか! 早く戦力を再編して不埒なランダルキアに攻め込む手筈を整えろ!」


 王城の自室で臣下に向けて怒鳴り散らす第2王子ウィリアムの姿があった。

 王太子にもなっていないため彼の決裁できるものは微々たる程度であるが、それでも執務中は王族らしく仕立ての良いぴしっとした衣服に身を包んでいる。騎士の正装にどこか似ているのはある種の男らしさを強調したいからかもしれないが、すくなくともこのような振る舞いでは男らしさというよりは身勝手さを際立せているだけだった。


 先ほどまで登城していたリーフェンシュタール辺境伯の戦況報告を聞いてからずっとこの調子である。さすがにその場で感情を露わにすることだけはなかったのがせめてもの救いだった。

 今回は虫の居所が最悪にまで達していなかったか、周りの調度品は犠牲にならずに済んだ。彼の癇癪によって壊される陶器でいったい何人のメイドが雇えることかと、内務卿の地位に就くコンラート・グライゼ・シュトックハウゼン侯爵は軽く頭を下げたまま内心で溜め息を吐き出す。


「まったく、東部の連中も情けない。せっかく活躍する場を用意してやったというのに、アルスメラルダの戦力などに頼らねばまともに戦えないなど恥ずかしくないのか……!」


僭越せんえつながら殿下、戦功一等はリーフェンシュタール辺境伯でございます。この際、彼の者に東部を纏めさせてはいかがでしょうか」


「あの男にか……?」


 コンラートの提案にウィリアムの眉が歪む。


「いずれにせよ今年中の逆侵攻は厳しいところです。来春以降を待たねばなりませんでしょう。そのための準備も必要となります」


 冬の間にできることなどないのだが……と思いつつも、内務卿として巧みに地雷を避けながら言葉を紡いでいく。


 この王子の思考形態がもうすこしまともであればあれこれと策をろうせるのだが、彼の前でアルスメラルダの名を出すのは勘気かんきを被る危険があった。

 ある意味では政敵にあたるクラウスの兵力を削ぐため、今回の戦で“王命”によって援軍として戦力を半ば無理矢理供出させたことなど、ウィリアムの記憶からはとうの昔になくなっているらしい。

 そんな残念王子の前でアリシアたちが戦功を上げたとは、たとえ事実であっても口にすることはできない。

 おそらくアルスメラルダ公爵家も面倒事を引き起こすのがわかっているから、最大の手柄をリーフェンシュタール辺境伯に譲ったのだろう。辺境伯もそのあたりの事情を理解している気配があった。


 苦々しいものだ……。確実に王家の求心力は低下している。


「……止むを得んな。国境を守護する辺境伯といえど、ひとつの家に力を付けさせるのは王都からの制御が効かなくなる可能性もある。正直、気に入らんが……」


 不満げな態度を見せるウィリアム。自分以外に目立つ人間が出てくることを好まないのだ。


「しかしながら、あまりにも王室派の貴族たちが死に過ぎました。当主のいない領地を遊ばせておくわけにも参りません。それに獲得した領土にしても」


「それくらいわかっている。しかし、口先だけの使えぬ者どもめ。こんなことなら貴族派をもっと多く動員しておくべきだったか……」


 次期国王としてウィリアムなりにまつりごとについても考えて行動してはいるようだが、会話の中で彼が言及している内容はあくまで結果論の範疇だった。後からでなら誰でも正解を口にすることはできる。


 王国中央や西部に比べ、東部が貧しく開拓や発展のために人的資源を多く割かれていることを正しく理解していれば、東部の貴族派だけの戦力で不利となるのはあらかじめ予想できたはずだ。

 戦死した貴族たちが自分たちの実力を過大評価して都合のいいように言っていた部分もあるだろうが、口車に乗って最終的な判断を下したのは他ならぬウィリアムである。

 そう見れば、今回の結果はどこまでも彼の選択によるものであるし、その上で気を利かせて精鋭を送り込んだアルスメラルダ公爵家の功績であった。市井には情報は下りていかないだろうが、目端の利く貴族は真相――—―リーフェンシュタール辺境伯に手柄の多くを譲った事実にたどり着くことだろう。


「父上もそう長くない。早ければ1年後には俺が王になる。そのための実績がすこしでも必要だ。コンラート、どうにかしろ」


 彼の権勢欲において父親であるエグバートは最早邪魔な存在でしかなかった。いつまで経ってもレティシアとの婚約を認めなかったのだから。


「はっ、お任せください」


 コンラートにも言いたいことは山ほどあったが、ここで王子の不興を買えば容赦なく更迭されかねない。有能であることよりも自分に逆らわない存在を徴用しようとするきらいがウィリアムにはある。


 心中に渦巻くすべての感情を覆い隠し、恭しく一礼したコンラートは部屋を後にした。




「まったく、あの王子バカにも困ったものだ。担ぐ神輿は軽いほど扱いやすいというが、頭の中までああも軽くてはさすがに敵わんな……」


 廊下を進むコンラートの口から溜め込んだストレスが言葉となってこぼれ落ちる。

 自分がこの国の実権を裏から握るために第2王子に目をつけ、元々健康に優れているとはいえない第1王子を再起不能にしようとしたが、それは失策だったのではないかと最近強く思うようになっていた。


 いや、まだ慌てるような時間ではない。幸いにして貴族派筆頭であるクラウスは国を割ってまで動きはしないだろう。

 なによりもヤツには大義名分がない。簒奪者さんだつしゃに貴族はおろか民の支持も集まらないし、もし万が一蜂起しても自分が暗躍して対抗馬を立てるなりすれば追い落とせる。そのための策もいくつか仕込んであった。


「あらー、コンラート様ではありませんかー」


 どこか間延びした声が投げかけられ、それがコンラートの思考を中断させた。


「……おや、レティシア嬢ではありませんか。これから殿下のところへ?」


 訊くまでもない言葉であったが、こんな娘とは社交辞令程度の会話で十分だ。まともに相手するべき存在ではない。

 だから、内務卿と呼ばれなかったことも苛立ちはするが“なかったもの”として扱える。


「ええ、執務が終わる頃に部屋へ来るよう言われておりますのでー」


 にへらと威厳の欠片もない笑みを浮かべるレティシア。

 平民の下賎げせんな血が入ればこうもなるのかと多くの貴族が目にしたなら思うだろうが、権謀術数の王城で内務卿にまで登り詰めたコンラートはそこを見誤らない。


 ぼんやりしているようでいて、この娘は第2王子をはじめとした要人の子弟を数多く籠絡しているのだ。舐めてかかれば自分がいつの間にか思いもよらない場所へ追いやられている可能性もある。本心がそこにあるかは定かではないが、異物であるがゆえの“毒”を持っているのは間違いない。


「ウィリアム様のご機嫌はいかがでしたかぁ?」


「正直に申して、あまりよろしくはないな。だが、あなたが行けばすぐに良くなるだろう」


 当然だ。すっかり骨抜きにされているのだから。

 その気になればコンラート以上にこの国を裏から握れるであろう小娘だが、その兆候は今のところ見えない。それがより一層レティシアの存在を不気味に感じさせていた。


「いやですわ、コンラート様。わたしのような小娘にそんなことはとても……」


 バカを言うな。お前のせいで国が傾きかけているのだぞ。


 喉元まで出かかった言葉をコンラートは必死で飲み込む。


 彼とて生まれ育ったこの国に愛着がないわけではない。

 まともな形で国が上手く存続できるなら、王室派と貴族派の和解の証としてアルスメラルダ公爵家令嬢であるアリシアの輿入れも支援しようと思って――――いや、実際に動いていたほどだ。

 長年続いていた王室派と貴族派の争いを沈静化させたところで、婚姻を成立させた自身の功績で国を裏から適度に操れる身分となればいい。宿主が気付かぬように動いてこそ寄生虫なのだから。


「ははは、次期王妃が何をおっしゃる」


 しかし、急に現れたこの娘レティシアがすべてを変えてしまった。


 骨抜きにされた連中が言う“貴族が失った真実の愛”だかなんだか知らないが、瞬く間に学園に通う有力子弟を落としまくり、挙句の果てに早くから次期国王と目されていたウィリアムまで心変わりさせてしまったのだから、これを悪夢と呼ばずしてどう呼べばいいのか。


「いえいえ、正式に決まったわけではありませんので~」


 本人なりに謙遜をしているつもりのようだが、「それも時間の問題だ」と言っているに等しい。この程度の腹芸もできずに大丈夫なのかと不安になる。


 現時点で次期王妃の身分が内定しているにも等しいのだが、レティシアにはそれを鼻にかけたような気配は微塵も存在しない。

 ヴィクラント王国始まって以来のとてつもない成り上がりの身でありながら、王城内で女官などから嫌がらせを受けない理由は、ウィリアムの異常なまでの寵愛ちょうあいを受けているのもあるだろうが、それ以外に相手から警戒心を奪い去ってしまう不思議な態度が働いているからかもしれない。


「しかるべき時が来れば関係ありませぬからな」


 それもこれもウィリアムが婚約破棄を宣言してしまった時点で確定したようなもの――――いや、。それほどまでに取り返しのつかない出来事だったのだ。


「学園を卒業してあまり経っていないので、実感が湧きませんのですけれどねぇ」


 そう、すべてはあの学園から始まったのだ。

 いかに閉ざされた環境の中とはいえ、他国からの留学生もいるような場で次期国王最有力候補が婚約者を公開処刑同然に弾劾し、独断とはいえ婚約破棄を宣言してしまったのだ。将来の貴族を育てる教育機関にいながら“子どものやったこと”で済むはずがない。面子というものがある。


 いずれにせよ、あそこからコンラートは方針の転換を迫られた。


 いかにやらかした側といえど王家が臣下に膝を屈するわけにはいかない。いや、そもそも本気でアリシアからレティシアに乗り換えようとするウィリアムがアルスメラルダ公爵家に頭を下げるはずもなかった。当然ながらクラウスが笑って許すはずもなく、関係の修復は絶望的となった。


 とはいえ、狂を発したとしてウィリアムを幽閉するわけにもいかなかった。すでに第1王子が復帰できないよう遅効性の毒を使ってしまっていたのだ。もっともこれに関してはコンラートの自業自得以外のなにものでもない。


 そんな諸々の理由もあり、ウィリアムを廃嫡して長持ちしない王を新たに据えるのも愚策にしか思えなかった。

 だから、担いだ神輿を頂点に立たせるため、仕方ないながらも婚約破棄を後押ししたのだ。最悪は反乱を起こさせることで貴族派そのものを潰すために……。


「わたしはこれで。ひとつ殿下のご機嫌を頼むよ」


 短い言葉を残して去っていくコンラートの後ろ姿を軽く頭を下げて見送ってからレティシアはくるりときびすを返して廊下を進んでいく。


「ふふふ、誰も彼も自分のことしか考えていない俗物だらけ。ホント、哀れなくらい滑稽だわ。どう足掻いたってもうこの国は滅びるしかないというのに……。でも、わたしは最後まで止まらない。もうすぐですよ、ヴァルターさま……」


 誰にも聞こえないほどの声で、少女は柔らかな笑みを表情に貼り付けたまま呟いた。


「おっと、いけないいけない。あんまりウィル様を待たせたらまた拗ねられちゃうわ」


 思い出したようにいつもの声を出すと、レティシアは軽やかな足取りでウィリアムの元へと急ぐのだった。



 

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