第7話娘さんを僕にください



「なっ――――。それは……」


 予想外となる言葉に、さすがのクラウスも言葉を失ってしまった。


 それどころか、あのような目に遭わされた場所にアリシアをふたたび行かせようというのか――――そんな言葉が反射的に喉まで出かかったくらいだ。


 しかし、取り乱しかけるのも当たり前のことである。

 クラウスとて人の親なのだ。


 普段こそアリシアに対して厳しく接しているが、それは公爵家の娘として陰謀や悪意渦巻く貴族社会でも恥をかくことのないようにと願ってのことで、親としての愛情はきちんと持って――――いや、誰に劣るわけでもなく接しているつもりだった。


 そんな大事な愛娘が、最終的に大勢の前で屈辱を受けたなど到底許せることではない。

 しかも、良かれと思って周囲のために奔走したにもかかわらず、だ。

 いかにこの国の第二王子が相手とはいえ、クラウスは可能なら今すぐにでもウィリアムを顔の形が変わるまで殴りつけてやりたいくらいだった。


 だが、クラウスは寸前でそれらの感情をすべて飲み込む。


 公爵家当主としての立場がそうさせたのではない。

 目の前で自分を見るアベルの表情を見て、彼が伊達や酔狂で物を言っているわけではないと理解したからだ。


「いや、何か考えがあるのだな?」


 クラウスの問いかけに、アベルは静かに頷く。


 そう、告げねばならない。

 アベルは一度だけ大きく息を吸い込み、自身の思考を落ち着けるようにゆっくりと吐き出した。


 これからやることが本当に上手くいくとは限らない。

 ともすれば、先に挙げたプランの方がまだ現実的であるかもしれない。


 しかし、ここでなにか有効な手立てを打たなければ、公爵家が詰んでしまう可能性しか残されていない。

 このまま放置していたところで、内乱なりなんなりの形で必ずひと騒動が起きる。

 ゲームのシナリオでさえ起きるものが、幾多の思惑が混じり合い、より複雑に絡み合う権力の渦の中で例外化してくれるとは到底思えなかった。


 いよいよアベルは覚悟を決める。


「……はい。まず、このままアリシア様を公爵領に留めておくという選択肢は、一見ご本人のためになるように思えますが、実際は逆効果となる可能性が高いと判断しています」


 まずは最優先でアリシアのケアをしなくてはならない。


 ややこしくなるのでクラウスには今は説明をしないでおくが、今のアリシアの精神状態のままで放っておくのは危険だ。

 それこそ、自暴自棄になってゲームのメインシナリオでやらかしたように禁忌魔法であろうが使いかねない。

 いわゆる“闇堕ち”というやつだ。


 いくつかの未来エンディングでアリシアの末路を知っているのもそうだが、少なくともアベルは失恋した女性の怖さを前世でよーく味わっていた。

 やけっぱちになった人間は、男女問わずなにをしでかすかわからないのだ。


 交際相手にショットガンを持ち出されたこともあり、「親父じゃなくてお前が持って結婚を迫ってくるのかよ!」と叫んだこともある。


「いっそのこと、正式に婚約破棄されてしまって、このまま閣下の補佐役として領地運営の経験を積んでいただくという方法もあるでしょう」


 それはクラウスがアベルの報告を聞きながら考えていた案でもあった。

 だが、アベルにそうするつもりは毛頭ないらしい。


「しかし、それは問題の先送りです。アリシア様ご自身が“あの経験”を踏み台として成長されなければ、いつかまた“彼ら”とぶつかった時に古傷が痛み出し、下手をすれば致命傷となってしまうかもしれません」


「それは……」


「私の杞憂であれば構いませんが、それが公爵家の破滅につながる可能性もけして否定はできないでしょう」


 たとえ領地に引きこもっていても、トラブルというものは外からだってやって来る。

 もちろん、それよりも王都方面でひと騒動起きるのが先でだろうけれども、とアベルは言外に含めておく。


「……つまり、アベル。“君”はこの数年の間になにか起きると見ているわけだな?」


「おそらくは」


 クラウスにもおおまかな予想はついたらしい。


「もし仮に内乱に進んでいく場合でも、時間が経てば経つほど我々は不利になるでしょう」


 なにしろ、現時点でも国内の要職にある重鎮の息子がほとんど篭絡され第二王子派閥についているのだ。

 このままでいけば、短期的にはそうでなくとも、中・長期的に見れば王族派が大きく勢いを増すことになる可能性は高い。

 そうなれば、現時点なら勝てる見込みのあると言った戦いもまた話が変わってくる。


「……それに他国の心配もあるか」


 クラウスが憂鬱な表情でアベルの言葉を引き継いだ。


 学園には留学という形で他国の要人の息子までもが入学して来ており、それがどういうわけか第二王子を中心としたあのグループの中までしっかりと入り込んでいる。

 あってはならないことだが、揃いも揃ってメンバーがピンク脳揃いになっているこの調子では、どんな国家機密が国外に流出するかさえわかったものではない。


「ええ、まずは教国あたりが水面下でどう動くかですね。あの国は我が国への影響力を高めようと過去から常に暗躍しています」


 少なくともウィリアムのグループにいる“あの少年”には、レティシアへの愛情はあっても、祖国でもないこの国への愛情など欠片も存在していないとアベルは思う。

 それどころか、隙あればレティシアの気持ちを第二王子からどうにか自分に向けようと、“よからぬこと”を考えたとしてもなんら不思議ではない。


 ぱっと思いつくレベルであっても、このような規模の不安要素が出てくる。

 なまじ実家の地位が高いだけに、それほどの火種を“あの愉快な仲間たち”は抱えているのだ。


 いや、それ以前に――――。

 もっとも恐ろしいのは、そんな極端なバランスの変化が“たったひとりの少女”を起点として発生していることだ。


 そして、その事実に気が付いて警戒を強めている人間が、この国にいったいどれだけいるだろうか。


「……まさか、アベル。君はこちらから打って出るつもりなのか?」


 クラウスは戦慄する。

 アベルの瞳に宿る決して諦めようとしない意志の光に。

 それと同時に、自身までもが鼓舞されていると感じてもいた。


 もっとも、それが前世で幾多の困難を打破してきた海兵隊員マリーンの魂から来ていることまではわからなかったが、不思議と頼もしさのようなものとしてクラウスの心に染み入ってきていた。


「はい。ここで逃げるなんて、私の。そして、あんな連中にアリシア様が負けるのも」


 アベルは続けて言い切る。


「そして、そのために私がおそばに仕えているのです」


 もし問題があるのなら、それらを早いうちに叩き潰す、あるいは牽制してやればいいのだと。


 事実、クラウスのような立場のある人間が外部から介入するわけにもいかない。

 それではいたずらに派閥間の対立を激化させることになり本末転倒だ。


 つまり、それは学園に籍を置く生徒の中では、第二王子のウィリアムの次に家格の高いアリシアと、その従者であるアベルにしかできないことなのだ。


「これから私はアリシア様に特殊な訓練を施します。それはおそらく、アリシア様にとってはとてつもなく厳しいものとなるでしょう。しかし、これ以外に今の状況から公爵家が――――いえ、アリシア様が抜け出す方法はないと考えております」


 あの場こそなんとか気力で乗り切ったものの、アリシアはすっかりショックを受けて寝込んでしまっている。

 だからこそ、こうしてアベルが代わりにクラウスへと報告をしているのだ。


 公爵領に戻って来る道中も、アリシアはかたくなに逃げることを拒んでいた。

 だが、やはり若干十六歳の少女の身にとって、たとえ一時でも心を通わせた相手から受けたあのような仕打ちはつらい経験となったのだろう。

 アリシアは、この屋敷に戻るのと同時に身体も精神も限界を迎えて倒れてしまっていた。


 じくり、とアベルの中にある幼少の頃からアリシアを見守ってきた記憶が、鈍い痛みとなって胸を締め付けてくる。


 幼い頃から聡明さを発揮し、両親の愛情と厳しさをきちんと理解しながら生きてきた。

 公爵令嬢としてその立場に驕ることも決してなく、学園でも周囲との調和を考えて生活を送ってきた。

 自身の婚約が政略結婚であることも理解しながら、それでもこの国のため良好な夫婦となれるようウィリアムとも心を通わそうとしていた。


 そんなアリシアにあのような仕打ち……。絶対にこのままで終わらせてやるわけにはいかない。


「……ちなみに、その訓練の内容というのは?」


 アベルの言葉から並々ならぬものを感じたのだろう。

 クラウスの目には不安にも似た感情が浮かんでいた。


 彼も軍人として長らく王国に仕えてきた。

 その軍で未だに象徴と語られることもあるクラウスが少なからず身構えるくらいなのだ。


「はい、その内容は――――」


 そうしてアベルの口から淡々と語られる訓練の手法。

 長らく軍務に携わった経験のあるクラウスでさえ、まるで知らない調練方法であった。

 しかし、理路整然と語るアベルによって、それらは不思議と説得力を持ってクラウスの不安をある程度打ち消すことに成功していた。


 すべてを聞き終わった後、クラウスは言葉を失い瞑目する。

 その額には幾ばくかの汗が滲んでいた。


「それを、あの子に施すのか……」


 しばらくの間、部屋の中に重い沈黙が流れたあとで、クラウスは覚悟を決めたようにゆっくりと目を開く。


「……わかった。親としては反対したいところだが、公爵家を守るべく当主として許可しよう。だが、アベル……。そこまでやるというからには、あの子を――――アリシアをこれからもよろしく頼んだぞ……」


 わずかに目を赤くしたクラウスは、喉の奥から絞り出すような声で苦渋の決断を下すのだった。


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