第8話 思考回路がショート寸前!


 そうして、アリシアのまったくあずかり知らないところで決まり、叩き込まれることになった新兵訓練ブートキャンプ


 公爵家の屋敷から遠く離れ、避暑地として領地の北方に建てられた別荘――――ではなく、むしろこの夏の時期に気温の高い南方へとわざわざ出向いて簡素な小屋を建て、そこでの泊まり込みの生活が始められた。


 贅を尽くしたフカフカのキングサイズベッドから一変して、やけに軽い金属で作られたギシギシ軋むシングルサイズのパイプベッドに寝かされたアリシア。

 狭い上に慣れないベッドと枕のせいで、なかなか眠りにはつけないと思われたものの、さすがに初日から受けた罵声の嵐と“シゴき”に疲れ果てて、三十分もしないうちに眠りの中へと落ちていた。


 そんなアリシアを、東の空が明るくなってきた頃に鳴り響いた凄まじい音が強制的に目覚めさせる。


「起きろ起きろ起きろ! 朝だ! 訓練を始めるぞ! ニワトリのファックはとうの昔に終わった! とっととベッドから出てこい!」


「ひゃあっ!?」


「どうした、縦ロール! いつまでお嬢様気分でいるつもりだ! くるくるヘアーが綺麗に作れるように熱湯をぶっかけられたいのか!」


 薄い金属でできた筒を木の棒でガンガンと容赦なく叩くアベル――“教官殿”に強制的に起こされるところから、新兵リクルートとなったアリシアの一日の訓練は始まる。


 いきなり「自分の寝床くらいきっちり管理しろ、ボケナス!」と細かいベッドメイキングを延々させられ、簡単な体操やストレッチを経て栄養管理された食事が出される。

 実家や王都で出されるそれよりずっと量は多いが、“教官殿”が言うにはしっかりと食べないと身体が育たないのだという。


「いいから黙って食え、ウジ虫め!!」


 多すぎるとちょっとばかり不満を言ったら、罵声と一緒に量をどかっと増やされた。


「走れ走れ走れ!! グズグズしてると、夏休みが終わっちまうぞ!」


 それらを終えてひと休みすると、いよいよ訓練だ。

 まずは延々と走らされる。延々とだ。泣いても倒れても終わらない。

 

「どうした、ペースが落ちてるぞ、縦ロール! 俺はお散歩をしろと命じたか!? それとも身体が重くて足が上がらないか!」


 アリシアの顔色を見てもアベルは容赦せずさらに追加の罵声を吐く。

 いったいどこにそんなレパートリーがあるのかと思うほどに、“教官殿”は語彙力を駆使してアリシアを罵ってくる。


「吐きそうなら吐いても構わん! 吐いて身体を軽くしてでも走り切れ! なんならクソと小便を垂れても構わんぞ! 考えてる暇があったら足を動かせ! わかったか!」


「サ、サー! イェ……うぷっ! サー!」


 返事をしながらかけるアリシアのすぐ真横を走りながら、“教官殿”が容赦なく罵声を放つ。

 これだけ怒鳴りながら走っても、なぜ息が上がっていないのかアリシアには不思議でならない。


「んん? 悔しいか? もっと凄んで見せろ! ……迫力なし! シメられた老いぼれドリか! もっと練習しておけ!」


「サ、サー! イェ……おろろろろろろろ……」


 悔しくてアリシアは必死で走ろうとするが、とうとう視界がぐらつき、地面に膝をつくと反吐を戻して気絶した。

 その際、アリシアが自分の吐瀉物の海に倒れ込まずに済んだことが、この場における唯一の幸運だったかもしれない。


「起きろ起きろ! 誰が優雅なお昼寝を許した! それと、いつまでゲロまみれの腐れロールでいるつもりだ! 顔を洗え!」


 意識を取り戻して終わりかと思えばそんなことはなく、水をぶっかけられた後また延々と走らされる。

 終盤に至っては、人間が走っている格好を真似するゾンビのようになっていた。


「どうした休みたいか? 安心しろ! 死んでから休めばいい!」


 さすがのアリシアも、ついに従者がワケのわからないことを言い始めたと思ってしまった。







「王子はベッドでごーろごろ!」


「王子はベッドでごーろごろ!」


 しばらくしてそれなりにマラソンができるようになってくると、今度は歌いながら走らされるようになった。


「ビッチが隣でこう言った!」


「ビッチが隣でこう言った!」


 歌わされる歌の内容は、アリシアの――――いや、貴族として育った者の常識では到底考えられないような卑猥きわまりない歌詞だったが、しっかりリズムに乗って走りつつ歌えないとこれまた特大の罵声が飛んでくる。


「おねがい!」


「おねがい!」


「ほしいの!」


「ほしいの!」


シゴいてP.T!」


シゴいてP.T!」


 最初は深く考えるのをやめて、ただ鸚鵡おうむ返し風に口を動かすことでアリシアは正気度がゴリゴリ削れていく訓練を乗り切ることに専念した。


 しかし、これが日常の一部として侵蝕して……もとい慣れてくると、アリシアも歌詞の内容をバネに――――半分やけくそで訓練に臨むようになっていた。






その杖ライフルを握る腕を下げるな! そいつは貴様が戦場に立つ時の相棒だ! 貴様が無様に腸を飛び出させて喚きながらおっぬのも、しぶとくゴブリンのように生き残るのも、すべてそいつのご機嫌次第だ! クソッタレの婚約者よりも百万倍大事にしろ!! 戦場でケツを拭く紙以下の教会の聖典よりもだ!!」


「サー、イエッサー!」


 歌いながら走れるようになると、今度は“教官殿”から魔導杖まどうじょうのような形をした木を渡された。


 これを胸の前に掲げたままで走れということらしい。

 聞いたこともないやり方だったが、“ハイポート”と呼ばれる訓練なのだという。

 通常のマラソンと比べるとすさまじく辛い。アリシアは掲げた腕がおかしくなりそうな中、懸命に歯を食いしばって走った。


「腕が下がってるぞ、縦ロール! ちゃんと上げろ!!」


「サー! イエッサー!」




「相手の顔を殴る時は下顎を狙え! 脳を揺らしてやれば相手は赤ん坊のように立っていられなくなる! だが、無理に拳で殴ろうとするな。ハツカネズミのようにひょろっちい今の貴様では自分の拳か手首を痛めるだけだ。このように掌底しょうていを使え! 自分で自分を負傷させる間抜けになるな!」


「サー! イエッサー!」


 ある時は、人を素手で制圧する方法を学ぶ。


 関節のめ方や人体の急所など、アリシアが知識としても知らないようなものばかりだった。

 たぶん、王国の騎士であっても詳しく知る者はほとんどいないのではないだろうか。


「……最終的に肉弾戦で勝利を収めるためには、人間を躊躇なく殴ることができる精神が必要だ。勝つためには躊躇するな! 負けたら死ぬくらいに思え! これだけは肝に銘じておけ!」


 この頃になると、アリシアはアベルが失恋のショックを受けた自分を立ち直らせるために荒療治を行っているのではなく、本気で自分をクソッタレの殺戮兵器ファッキンキリングマシーンとやらに生まれ変わらせようとしているのだと理解し始めていた。



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