第17話 強気の明日しか欲しくない



「でも――――」


 ふとアリシアの表情がわずかに曇った。


「最初はわたしも意趣返しをできると思ったわ。突っかかってくるなら目にモノを見せてやるともね。あそこまでされて、やり返したいという思いがなかったわけじゃないから」


 自身の感情を吐露するように言葉を紡ぐと、アリシアは少しだけ寂しげな笑みを浮かべた。

 聞いてほしいという想いが伝わってきたアベルは、そのまま黙って聞く姿勢をとる。


「ただ……そう、不思議なものだわ……。いざ事が成ってしまうと、なんの感慨も湧かないものなのね」


 続けて溜め息のように漏れ出たアリシアの言葉には、幾分かの空虚感にも似た感情が混ざっていた。

 彼らのうちの誰かに意趣返しのひとつでもできたらすこしら気も晴れるかと思っていた。

 ところが、地を這うギルベルトの姿を見てもアリシアはなんの昂揚も得られなかった。


 もちろん、自分があの地獄の訓練を受けて得た諸々。それらが無駄でなかったことは、ギルベルトとの模擬戦に勝ったことで証明することはできたし、大きな達成感を彼女にもたらしていた。


 しかし、身を投じる切っ掛けとなった出来事まで遡って考えると、今現在このような感情が自身の内部に渦巻いていることがアリシアはどうしても納得できないでいた。

 いや、というべきだろう。


「……あるのは、“虚しさ”だけ、ですか?」


「そうね……。なにも満たされなかったわ……」


 わずかに震えの混じる声でアリシアは首肯した。


 ある意味では、この瞬間を迎えるために、アリシアはあの訓練ブートキャンプに耐えてきたといってもいい。

 ところが結果としてなにも得られなかったことで、彼女は強い喪失感に襲われているのだ。それこそ、足元の揺らぐ感覚を覚えていたほどに。


「……世の中には、『復讐はなにも生まない』などと言う人間もいるようです」


 その言葉を受けて、アリシアの顔に翳りが差し、いよいよ俯きがちになってしまう。

 しかし、アベルはそれを承知の上で続ける。


「ですが、そんなものはです。我々には関係ありません。事実、アリシア様はその想いをバネにあの訓練を乗り越えたではないですか」


 アリシアは弾かれたように顔を上げる。

 そんなものがなんだと言わんばかりの不敵な光を瞳に宿して放つアベルの言葉を受け、アリシアの瞳にも自然と意志の光が戻ってくる。


「ただがむしゃらにならなければ、前に進むことすらできなかったのです。現実から目を背け、鬱屈とした思いを抱えたまま生きて、自分を慰めたりするよりはずっとマシじゃありませんか。それこそ、こうして無意味だったと知ったこともまた“知”のひとつです」


 アベルの語る内容が次第に熱を持っていく。

 訓練は絶対に無駄ではなかったのだと、アリシアに強く言い聞かせようとするかのように。


「今回の件だけでも、まずは学園内に限られるでしょうが彼らの派閥への影響――求心力は低下するはずです。あとは、アリシア様が望まれるようにされても構わないかと。少なくとも、私は従者としてそれについて行くだけです」


 正直、アベル個人としては、今になって被害者と加害者が直接ぶつかるような機会があるのもどうなのかと思わないではない。

 人間合うものは合うし、合わないものは何をしても合わない。それは理屈では語れないのだ。


 このように考える自分がいるのは、おそらく前世に二十一世紀の地球人として生きてきた意識が貴族の自分と混ざり合っているからだろう。


「でも、そういうわけにもいかないのでしょう? 学園にいるうちに何ができるかにこの国の将来がかかっているのは知っているわ。あれだけでは足りないでしょう?」


 きちんと内情を理解しているアリシアが、アベルの気遣いを受けて少しだけ寂しげに笑った。

 それと時を同じくして、もう片方の貴族としての意識がアベルに促してくる。

 アリシアの言う通り、そう簡単に済ませられる問題でもないのだと。


 相手陣営のメンバーを離反させるなりなんなりすることが、この国を将来的に瓦解させないために必要なプランである。

 そして、最小限の犠牲で事を進めるためには、アリシアに動いてもらうしかない。


 公爵家に仕える従者が言うべきセリフではないなとアベルは自嘲しそうになる。


 しかし、それはあくまでも国家の歯車であろうとする場合の意識だ。


「アリシア様が望まぬ苦界に身を投じることは、公爵閣下も私も望んではおりません」


 クラウスとアベルの偽らざる本心であった。


 それぞれの立場から真なる想いをなかなか表に出すことはできない。

 だが、アリシアにこのような生活をさせねばならないことこそが、クラウスとアベルの内心で忸怩たる思いとなっていた。


「……ありがとう、アベル」


 向けられる想いを噛み締めるように、アリシアは目を閉じる。

 しばらくして開いた目には、もう迷いは感じられなかった。


「でも、そんな甘えはとっくの昔に捨ててきたわ。それに、この先は復讐なんかじゃない。ただ目の前に立ち塞がる障害を排除クリアするだけ。そう、たしか……」


 そこでアリシアは何かを思い出すように言葉を切ると、厳かな表情を浮かべて口を開く。


「My rifle and myself are the defenders of my country. We are the masters of our enemy. We are the saviors of my life(我がライフルと我自身は、祖国の守護者。我らが敵の征服者。我が命にとっては救世主)――――そうでしょう?」


 海兵隊信条を伴ってのアリシアから放たれた挑むような視線を受け、アベルも口唇を笑みの形に歪める。


「……そうです。立ち塞がる障害は薙ぎ払って進み、大切なものを守る。そのためには容赦はしない。それが我々海兵隊マリーンのやり方です」


「でも、難儀なものね。もう少し文明人らしい振る舞いをしていたかったのだけれど……。やり方次第では王権への侵犯は必至。果ては王国の安寧を乱す悪逆非道の逆賊と言われるでしょうね」


 いつの間にか元の調子を取り戻したアリシアは、苦笑を浮かべながら嘯いてみせる。

 柔らかな、それでいて憑き物が落ちきったような表情を浮かべたアリシアを見てアベルは思う。


 今のアリシアなら、待ち受ける困難から目を背けず向き合えるだろう。いざとなれば自分が全力を持ってサポートすればいいのだ。

 そのために、アベルはアリシアの従者として仕えているのだから。


 ……でも、あまり心配しない方がいいのかもしれないな。


「入る墓にも苦労しそうですね。墓守はお任せください」

 

「ふふふ、いいわ。なら、わたしは喜んで悪の誹りも受けましょう」


 生きる世界も何もかもが変わり、国から個人に仕えるようになった。

 前世的に考えれば時代を逆行しているような気もするが、べつに圧政に加担しているわけでもなく、そんなに悪い気もしてはいない。


 そう、なによりも。

 男の子はいくつになってもヒーローに憧れるものだ。そのあたりはアメコミとハリウッドムービーで幼少期から学んできた。

 誤解と謀略から悪役とされてしまったお嬢様を助けるなんて、実にのシチュエーションではないか。


「今から気にしていても仕方ありません。憂鬱なことはなかなか消えてはくれないものです。ならば、少しでも楽しめることを増やしていきましょう。人生なんて楽しんだ者の勝ちです。……あとはまぁ、天に任せればケツに奇跡を突っ込んでくれます」


 芝居がかった動きで大仰なセリフを放つアベルを見て、アリシアは思わず苦笑する。

 わざとこのような言い方をしていると理解したからだ。


「……あら、アベル。また“教官殿ドリルインストラクター”の悪いクセが出ているわよ?」


「おっと、これはこれは……。重ね重ね失礼をいたしました」


 まだ一歩目を踏み出しただけに等しく、先々への不安は山積みだ。

 同時に、アリシアもアベルもこの先待ち構えているであろう困難に対する昂揚も感じていた。身体に染みついてしまった海兵隊のサガなのだろうか。


 だからこそ、なんということはない冗談を言い合いながら、ふたりはどちらからでもなく笑い出すのだった。




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