第129話 君に触れるだけで
「助けに行かなくてよろしいのですか、旦那様?」
アリシアが戦いとは別方向の苦行を強いられている中、それを遠巻きに眺めている影がふたつ。クラウスとオーフェリアの夫妻である。彼らはそれぞれの用件を適当なところで切り上げ示し合わせたように会場の片隅にて合流していた。
葬儀の参列者とはすでにひと通りの挨拶も済ませてあり、これ以上の社交に付き合う必要もない。そんな意志を態度に出しながら公爵家当主と夫人が会話をしていれば、誰もおいそれとふたりの間に割り込めはしなかった。
もちろん、多少年を経たとはいえ美男美女と呼べるふたりの組み合わせが異様ほど絵になるというのも、新たな客人を遠ざけている理由のひとつではあるのだが。
「はは、これもいい経験だろう。あんな年を食っただけの青瓢箪どもの相手などくだらない……と切って捨てることもできようが、今のアリシアに足りていないものでもある」
「手厳しいですわね。あれだけの武功を持つアリシアに、更なる高みを求められるのですか?」
アリシアは、すでに並みの貴族では到底及ばないだけの武勲を若年ながらに挙げている。これ以上、何が必要だというのだろうかと多くの者は思うかもしれない。
必要なものねぇ……とオーフェリアは思案する。いや、頭では答えを理解してはいる。
ただ、もしも自分がアリシアと同じ立場だったら、いつか青瓢箪どもを赤く染めてやると決意しているに違いない。
娘の姿に目を遣りながらオーフェリアはそう考えるが、娘は娘でしっかりと同じことを考えていた。間違いなく遺伝子は仕事をしていたと言えよう。
「俺だって質実剛健が悪いとは言わんよ。これまで若い世代にはいなかった武人だ。男でないのが悔やまれるとしても逸材に間違いはあるまい。親の贔屓目かもしれんがな」
「あら。この国を取り巻く惨状を見ておきながら、旦那様もこの期に及んで男がどうの女がどうのと古臭いことをおっしゃられるのですか?」
大仰な声を上げて驚いて見せるオーフェリア。説明を求めるとともに、
意図に気付いたクラウスは妻のさりげない圧力に苦笑いを浮かべる。
「いじめるなよ、オーフェリア。あくまで一般論として語っているだけだ。過ちを過ちと受け入れられない連中と同じに見てくれるな」
「では何を?」
「その様子だとまだ聞いていないみたいだな……。なら喜んでくれていい。あれはついに
腕を組んだクラウスが口唇の端を歪ませ、愛娘に視線を送りながらどこか誇らしげに答えた。
「それはまぁ……」
小さく瞠目したオーフェリアは口元を扇子でそっと隠す。思わず笑みが浮かんでしまったためだ。
おそらく、娘が決意した道はこれまでの歴史や王国を取り巻く諸々を考えれば平坦なものではない。その一方、この一年半で強く、そして美しく成長したアリシアなら実現できる可能性とてあるように思えてくるから不思議なものだ。
「それぞれの思惑があるにしても貴族たちの評判は上々だ。だが、アルスメラルダ公爵家に血を連ねる者である以上、それだけで当主は務まらん。
海兵隊を使った異世界の知識を活用する行為はズルと呼べなくもないが、使えるものがあるならば躊躇なく使った者が勝つ。強力な手札も使わなければ何の意味もない。
盤上の遊戯とは異なり、政治はそれ如何で命すら左右される者が出る。その多くは民だ。貴族は彼らに対する責任を負い、その引き換えに特権を持たされているに過ぎない。
だからこそ、躊躇なくアンゴールとの交易や技術移転などを実行し領地を発展させているアリシアの才覚は見事なものだった。それゆえに財を狙う敵も増える。
「たしかに、ああいった経験はアリシアにないものですわね。本当の意味での悪意を向けられることも」
「学園の延長線で考えられては困るのだよ。慣れておかねば心を蝕まれるからな。促成栽培なのは否めないが如何せん時間がない」
どの道、なにをしても成功者は文句や陰口を叩かれる。彼らは他人の足を引っ張るためなら手段を選ばない。ごちゃごちゃ言う者は妬みや嫉みがあるから――――つまりは文句をつけたいだけなのだから気にするだけ無駄というものだろう。
しかし、それすらも経験がなければ理解できず精神をやられてしまうのだ。
「ご懸念はごもっとも。ですが、あまり心配されなくてもよろしいかと。あの子には心強い仲間がたくさんついています。ついこの間も“兵は
「それは?」
聞き慣れない言葉にクラウスが視線を妻へと向ける。
「古い思想家の言葉だそうです。「戦いは所詮騙し合いである。策を弄してでも確実に勝てる戦いへと持ち込むのが兵法」とのことですわ。勧められた本にあったと言っておりました」
「……なるほど、異界の知識か。戦いは算術のように定型のものではないがゆえに策が必要になると。端的だが的を射ているな。昔ながらの騎士が聞けばどのような拒絶反応を示すことかわからんが」
クラウスは小さく鼻を鳴らす。彼も頭の固い騎士には何度も苦労させられた記憶があった。
「勝つための仕込みすらできないのであれば、騎士など廃業して大道芸人にでもなった方がマシですわ。すくなくとも
妙に実感のこもった言葉だった。
オーフェリアもアリシアを生んで以来、つまらぬ理由のせいでごく最近まで西方に塩漬け同然に駐留させられている。その上でアンゴールと
「そういった古い人間は遠からず淘汰される。しかし、高潔な人間だけ、信頼に足る人間だけの関係で済むとアリシアが考えていないのであればそれは重畳だ。力でどうにもできない戦いがある。それも学んでもらわねばならんからな」
実際にはまだまだ頭で理解していても感情で納得できていない部分があるに違いない。とはいえ、自覚があるかないかでは天と地ほどの差がある。
「ふふふ。そう考えれば本当に面白いものですわね、人の運命というものは。海兵隊が現実に存在する以上、疑ってかかるわけではありませんが、ほんのちょっとのかけ違いで未来は大きく変わってしまう」
不意に笑みをこぼしたオーフェリアが話題を変えた。いや、表面だけを聞けばそう思うだけで、根幹にあるものはなんら変わっていない。
「それはアベルの語っていた、“本来辿っていたはずの運命”についてか?」
「ええ。こうして現在進行形で王国を傾けている御方も、然るべき中身のある者と絆を交わせさえすれば未来を掴むことができたと聞けば、多少なりとも思うところは出てまいりますわ」
表面上は穏やかに笑うオーフェリア。しかし、内心で様々な感情が渦巻いているであろうことはクラウスにも容易に想像がついた。
この世界線では回避されたとはいえ、自分たち家族どころか多くの人間を巻き込んで公爵家が亡びると聞けば穏やかでいられようはずもない。
「頭の中がお花畑級のラブロマンスの煽りで我が家は滅亡するようだがな。しかし、いずれにしても根本的な解決にはならん。どう考えても国は疲弊するし、何年も存続できたようには思えん。物語なら笑って済ませられる。だが、そういうわけにもいかないようだ」
アルスメラルダ家からすれば完全な滅び損である。
しかも、読み手側からすればどうであれ、横紙破りの婚約破棄から叛乱を起こされそれを鎮圧した末に国が攻め滅ぼされるのだから、
いや、そもそもなぜこれがロマンスになるのか理解に苦しむのだが……。
「そこまでの歪みを抱えているからこそ、アベルがあのような役目を負ったのでしょう。我々が神と呼ぶような存在の意思なのかはわかりませんが、それでもこの国をみすみす滅びに向かわせたくない。そんな意志を感じます。わたくしの願望かもしれませんが」
「答えなんて出ないだろうさ。だが、それとて並大抵の道ではないよ。語られなかった未来を掴まねばならんのだから。ただ盤面をひっくり返せば終わりというわけではない」
課題は山積みだ。
ところが、アベルたち海兵隊がいる限り、不可能すら可能にできるのではないかと思えてくる。いや、実際にすでに未来を変え手札まで揃いつつあるのだから、あながち錯覚というわけでもないのだろう。
「本当の意味での“最善”を得ようとするなら、然るべき“神輿”を用意せねばならなくなるが……。それでもお前やアリシアに顔を向けられなくなるような――――」
「その先は無用でございます、旦那様。御心のなすがままにされればよろしいでしょう。我らはその後をついて参ります。戦うことだけは得意でございますゆえ……」
むしろいつの間にか先頭に立って剣を振るっていそうだがな、と妻の戦いぶりを知るクラウスは思うも、さすがにこの場で口に出したりはしない。それが夫婦円満の秘訣だった。
「流れは、変わるでしょうか」
ふとオーフェリアがつぶやいた。
いかに彼女が幾多の戦いを経てきた身であろうと、今回ばかりは不安を抱かずにはいられなかった。自分自身がどうなるかといったつまらぬものではなく、家族の身を案じるがゆえの感情だった。こればかりは理屈で語れるものではない。
「変わるさ。朝の来ない夜がないように、生きてさえいればどうとでもなる。王国とて例外ではないよ」
クラウスの言葉には確信の響きがあった。それは皆を信じているからこそできるものだった。
「あら、鉄の公爵とも異名された旦那様にしてはずいぶんと詩的な物言いをされますのね。ふふ、惚れ直してしまいそうですわ」
「そうか? 思い出してほしいものだな。これでも天下の姫将軍を口説いた男だぞ、俺は」
さも心外であるかのようにおどけてみせるクラウス。それがオーフェリアに過ぎ去った甘い記憶を思い起こさせる。
「そうでしたわね。……ねぇ、旦那様。屋敷に戻って飲み直しませんか? 久しぶりにふたりだけで」
「ああ、いいな。そういう時間も悪くない」
静かに笑うクラウスへとそっと身体を寄せるオーフェリア。昔を思い出したからだろうか、夫にそっと触れるだけで年甲斐もなく心が弾んでくる。
権謀術数渦巻く城の中にありながら、王国最強の夫婦の視線は愛娘を通してここではない遥か先を見据えていた。
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