第81話 変わりつつあるもの


「そうか、今日だったわね……」


 アベルからもらった寒い国に棲むという鳥――――ペンギンを戯画化デフォルメしたらしき卓上カレンダーを見て、やってしまったとばかりに顔を歪めるアリシア。

 彼女はここ数日の忙しさもあって来客のことをすっかり忘れていた。


「ラウラ、わたしの格好に問題ないわね?」


「はい。大丈夫です」


 自分の着ている服を見て一瞬だけ思い悩んだアリシアがラウラに視線を向けると、彼女のメイドは着替えの必要はないと断言した。

 ラウラが来客について触れなかったのも、アリシアの身なりが本日予定している客の家格には問題ないと判断していたからでもあった。


 ちなみに、これはいつアベルと会うかわからないことから服装をきちんとしておこうとしたためであり、来客に備えたものではない。

 しかし、そんなアリシアの乙女ちっくな部分が結果的にリカバリーを可能としたのだった。


「そう。じゃあ、このままでいくわ」


 小さく安堵の息を吐き出したアリシアは、現時点で決裁の終わっている書類をまとめて掴むと椅子から立ち上がり、それを近付いてきたラウラに渡しながら部屋を出る。


 途中、浴室に立ち寄って軽く顔を洗ってリフレッシュし、それからレジーナとキャロラインに教えてもらった化粧品を使ったメイクを簡単に施す。

 短時間で巷に溢れているものよりもずっといい肌の具合になるのだから、これに近いものを広めてはどうかと提案したくらいだ。


「ラウラ、使用人を客間に集めておいて。それと、応対に不備がないように今一度確認を頼むわ。ああ、茶葉は一番いいものをよろしくね」


「前者は先んじて手配済みです。後者についてももう一度念押しをしておきます」


「結構」


 化粧を手伝ってくれるラウラの声に頷きながら準備をさっさと済ませ、アリシアは

客間へと向かって歩いていく。


「“彼女”は、まだ到着していないわよね?」


「ええ。お客様の到着はおよそ1300時ワンスリーゼロゼロを見込んでおります」


「そう、まだ時間はあるわね。よかったわ、待たせることにならずに済んで」


 ――――ラウラもすこしずつ変わってきているみたいね。


 声には出さず、アリシアはそっと口元を緩める。


 “なにものにも染まらない氷の人形”。

 それはラウラがアルスメラルダ公爵家で得た異名だった。


 常に優秀な働きを見せる彼女に対する畏怖の感情も混じっているが、残りは年頃の少女であれば露わにするであろう感情の類を一切見せない――――要するに、自分の常識では理解できない者への侮蔑の感情に近い。


 だが、アリシアはその理由を察していた。

 流行病で身内をすべて喪い貴族としての身分まで剥奪される経験は、少女の大切なものを壊してしまうほどにショッキングなことだったのだ。


 しかし、そのラウラが今変わりつつある。


 アリシアのようにみっちりではないものの、それでも必要最低限の“訓練”を受けたラウラには海兵隊の匂いが染みこみつつあった。

 アンゴールとの戦いの時には「あんな軽佻浮薄けいちょうふはくな方とは組めません」と言っていたにもかかわらず、空いている時間にはエイドリアンから狙撃や潜入の仕方を教わっているらしい。


 ――――今のところそういう感じには見えないけれど、実際はどうなのかしら?


 アリシアもまた公爵令嬢だの領主代行だのと大層な肩書を持ってはいるが、実際には年頃の少女である。

 そういった話題への関心は強く、自身の専属メイドのあれこれについても気になってしまうのだった。


 しかし、この場でいきなりそこへ言及するわけにもいかない。

 いずれ機を見てそのあたりも聞いてみたいものだ。


 そんなことを考えていると客間に到着。

 使用人たちに指示を出すラウラの姿を眺めながら、アリシアはソファに座って客人の到着を待つ。


「それにしてもいつぶりかしら……?」


 懐かしむ感情が口から言葉となって漏れ出る。


 アリシアが年頃の少女らしく妄想たくましく……もとい、夢のある未来図を描いていた時に先触れが告げた気の毒な人間は、彼女の数少ない友人だった。 


 私的な面談なのだから特に問題もないだろうとは思っていたものの、やっぱり久しぶりに友人に会えるということで、アリシアは思いのほか緊張していた。


 特に、大きく変貌する前のアリシアの友人をやれる時点で人間として完成しているのは間違いないが、逆に今の彼女を見てどう思うだろうか。


 そんな感情が胸中にあったからからかもしれない。

 使用人に案内されたひとりの少女が到着するまで、表情がわずかに硬くなっていることは誰の目にも明らかであった。


 そして、ついに客人が姿を現す。


「アリシア様、本日はお招きいただき、まことにありがとうございます」


 厳かな空気が漂う中、入室した少女はアリシアの前に立ちスカートの裾をつまんで深々とこうべを垂れる。

 背中まで伸ばされた栗色の髪が揺れ、数秒後に戻って来た表情には碧色の瞳が揺れていた。


 その儚げな容貌は見る者を魅了する。

 自分にもこれくらいの可愛げがあればなどとアリシアはついつい考えてしまう。


「どうぞ、座ってちょうだい」


 立ち上がって出迎えたアリシアも簡単に挨拶を返し、それから静かに腰を下ろす。

 そのタイミングで、アリシアは小さく手を振ると、ラウラだけを残して他の使用人達を部屋から退出させた。


「さて、堅苦しい挨拶はここまでにしておきましょうか。久しぶりね、シャーリー」


 先ほどまで部屋の中に漂っていた緊張感は霧散していた。


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