第103話 サマーシーズン到来!
「例の模擬戦の日が決まったわ。ひと月先よ」
クリンゲルにある邸宅の会議室でアリシアが告げると、居並ぶ海兵隊メンバーたちは微妙に表情を変化させて主人の言葉を受け止める。
しかし、逆に言えばあの戦勝式典からすでに3カ月近くが過ぎており、窓の外を見ればどこまでも深い青を湛えた空には入道雲。季節はすでに夏本番を迎えている。
公爵邸も本来であればうだるような暑さに悩まされているところであるが、工兵であるサイラスの手によって地下に発電機を備え、突貫工事で電化させたことで会議室では扇風機が回り涼やかな風を送っていた。
さすがに電気工事で手いっぱいになっており、エアコンの設置は間に合わなかったのだ。
「海兵隊の皆さんからすればずいぶんノロマに感じられるかもしれないけれど、この世界じゃ移動と準備に時間がかかるからこんなもんよね」
アリシアが
思い返すと誰にとっても感慨深いもので、本当に色々なことがあった。いや、ありすぎたと言ってもいい。
だが――――それでもまだ1年しか経っていないのだ。
「へぇ、あの場だけの話ではなかったんですね。現実直視力の悪い
椅子に背中を預け、行儀悪く小さく前後に揺らしていたエイドリアンが意外そうな反応を漏らす。
他のメンバーも言葉にこそ出さないが似たような表情だった。
「それはあり得ないな。21世紀の地球ならいざ知らず、こちらの世界では貴族の発言には“重み”がある。あの場で発言したことが吹っ飛ぶようなことはまず起きんよ」
貴族としての教育をアリシア同様に受けた経験を持つアベルが答える。
今さらではあるが、貴族社会において発言は特に慎重でなければならない。下手に本音など漏らそうものなら、容赦なく言質を取られまくる。それで身を滅ぼした貴族とてけして少ないものではない。
だからこそ、必要以上に回りくどい言葉と装飾語をふんだんに使い、解釈の余地をやたらと広げた物言いをするのだ。
「そんなことは言っていない」と「言葉の裏――――空気を読め」の両方を要求してくる実に高度で無駄の多いやり方だ。「命令は単純明快であるべき」とする近現代軍隊では考えられないような慣習だったが、国家を王族や貴族が支配している政治体制ではどうにかなる話ではなかった。
「中身はスカスカなのに“重み”があるとはこれいかに……」
肩を竦めておどけるエイドリアンの言葉に、メンバーたちの間から小さな笑いが漏れる。アリシアもまた小さく笑みを浮かべていた。
「よくあるパフォーマンスよ。上が余計なことを言って、それに周りや部下が巻き込まれるタイプのね。もっとも、模擬戦自体は公爵閣下からご提案されています。あの場でそれくらい言い返さなければ、逆にこちらが舐められていたでしょう。状況からすれば致し方ないといったところかしら」
困惑気味に眉根を寄せたアリシアが補足する。
いずれにせよ、ウィリアムの勿体ぶった言い回しが今回の事態を生んだのは間違いない。
あの時の発言は、ある種の挑発かイヤミだったのかもしれないが、それを好機としたクラウスによって見事なまでに返されてしまっている。
クラウスは王子様の嫉妬を利用し、引くに引けない状況を作り出したのだ。
「でも、問題は模擬戦ってところですよね。アンゴールの時は
レジーナの言う通り、あくまでも今回は模擬戦だ。
「ああ、ひと泡を吹かせるどころか血の泡を吹かせてしまっては大惨事だな」
「それで済むならわたしとしても気が楽なのだけれどね……」
アベルの言葉を受け、さらりと過激な発言を漏らすアリシア。
「発想がかなり攻撃的になっていますよ、アリシア様」
「あら、いけないわね。つい海兵隊でシゴかれた成果が出てしまうわ」
ふたたび笑いが漏れる。
だが、彼女の気分からすればそのような言葉が出るのも無理はなかった。
王都から漏れ聞こえてくる情報によれば、今回の相手を務める第2騎士団はかなり“やる気”になっているらしい。
アリシアたちに勝てば、アンゴールに勝利した公爵領軍よりも強いと証明できると思っているのだ。
たかが模擬戦でなにがわかるというのか。実に単純な思考回路だ。おめでたい。
つまらない嫉妬に駆られ、同胞であるはずの騎士や軍人といった国防の任に就く者同士で見世物をやろうなどいう行為は、アリシアには唾棄すべきものとして映っていた。
「あの場に立ち会っていた者として、諸君らの気持ちはわからないでもないが、もうすこし文明人らしくいこうじゃないか。我々には使うべき頭がある」
そこでリチャードが口を開く。
数々の戦いを潜り抜けてきた歴戦の将軍の浮かべた笑みにはある種の凄味があった。
「模擬戦をどのようなルールの下に行うか、そのあたりも事前に取り決めておかねばならないだろう。これは私から閣下に具申しよう」
「ルールから仕込んで勝ちに行くのですか?」
メイナードが手を上げて問う。
「いや、向こうが納得するレギュレーションでなければ意味がない。圧倒的な戦果をもって対抗馬の騎士団に勝利しなければ、向こうもそう簡単に負けを認めはしないだろう。なにしろ、大事な大事な騎士のメンツがかかっているのだからな。……その上で連中のプライドを大いに刺激してやるのさ」
すでに脳内で策謀が張り巡らされているのだろう。にやりと笑うリチャードの表情にアリシアは身震いを覚える。
「なんだか……すごくイヤな予感がしてきたのですけれど……」
この時点で騎士団の連中はひどい目に遭うことが確定した。いくらなんでも相手が悪すぎる。
実戦でないことがせめてもの救いかもしれないが、ボロカスに負けて心を折られることに変わりはあるまい。
気が付けば、先ほどまで内心に渦巻いていた怒りの感情よりも、犠牲者たちを気の毒に思う気持ちの方が強くなっていた。
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