第160話 母は強し(物理)~前編~
「
前方へ手を掲げたオーフェリアが号令を発した。
アベルたちを乗せて離陸していく
ヘリが
「中将に教えてもらってから一度は言ってみたかったのよねぇ、このセリフ!」
先頭を進むM1A2D/SEP4の車長席から上半身を出したオーフェリアは鼻唄を歌い出すくらいの上機嫌であった。
後部から鳴り響くガスタービンエンジンの音は相変わらず尋常じゃないくらいうるさい。
それでも無限軌道が石畳を引き剥がしながら進んで行く姿を特等席で見下ろせるのだ。貴人が乗る
「いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってはいたけれど――いざなってみると案外楽しいものね」
まさか異世界の兵器を率いる立場になるとは思っていなかったが。オーフェリアは口唇を笑みの形に歪めた。
さて、城まで真っすぐ突き進むだけなので適当に組んだ魚鱗の陣形だ。
騎兵を率いていた時なら考えられないようないい加減さだが、この部隊ならそれでもやってのけるだろう。
むしろ止められる者がいるなら止めてみろ。“鬼姫将軍”と呼ばれた彼女はそう思ってさえいた。
『奥様! ノリノリのところ申し訳ないですが、このままだと門に擦ってしまいます!』
「そんなもの、後で直せばどうにでもなるわよ! 今は非常時! 構わず進みなさい!」
耳にはめたヘッドセットへ自身が登場するM1の操縦手から声が上がってきた。
もちろんイケイケ状態になっているオーフェリアは「そんなことをいちいち報告するな」とばかりに返す。
『イエスマム! ……俺は知らないぞ……』
操縦手のつぶやきがひっそりと消えていく中、左翼を進んでいたエイブラムスの車体が門に擦れて聴覚が不快になる音を立てた。
当然のことながら、60tの巨体の接触に耐えきれなかった哀れな門側が崩落していく。豪華な門だけに罪悪感も数割増しだ。
『あぁー擦ったぁ……』
“新車”を傷つけた操縦手の悲痛な嘆きがインカムから聞こえてきた。
さすがに今回ばかりは戦車兵の誰もが聞かなかった振りをした。無茶ぶりをされた人間を追い込まないだけの情けはある。
「つまらないことは放っておいて今は王城へ急ぐわよ!」
『はぁ……もうすっかりノリノリじゃないですか……』
今度は装填手の呆れ交じりの声がヘッドセットに飛びこんできた。
「そうね、自分でも驚くくらいだわ! 長年の鬱憤を晴らせるからでしょうね!」
返答するオーフェリアの声にはいつにない張りがあった。いや、いつにも増してと言うべきだ。
考えてもみれば当然かもしれない。アルスメラルダ公爵夫人オーフェリアは、生まれ持った才能のせいでこれまで余計な“苦労”ばかりを引き受けさせられてきた。
男の地位を脅かされては大変だと騎士団にも入れず、男子が生まれたら大変だからと愛する夫とも半ば切り離され西の砦へ塩漬けとなり伴侶として生きる道すら潰された。
外野からは「何かあっては大変だ」と陰に日向に言われ続けてきたが、つまらない面子に拘泥する連中に巻き込まれる方はたまったものではない。
だが、公爵家とは警戒されるくらいの力を持つのもまた事実なのだ。そう信じて今まで耐えてきた部分もある。
『話は軽くお聞きしましたがひどいものですね。わたしたちの世界でも似たような話がないわけじゃないけれど比べ物にならない。フェミニストじゃないつもりでしたけど転向しそうですよ』
今度は砲手がしみじみと答えた。珍しく女性の戦車兵である。
レジーナやキャロラインの印象が強いだけで、この世界に女性隊員はあまり召喚されていない。PDAに表示されるリスト自体に登録が少ないのだ。
おそらく例の上陸作戦時、女性を積極的に派兵させないようにしていたからだろう。
「ありがとう。……まぁ今となってはどうでもいいわ。娘がしっかり育ってくれて、ついでにイイ男も捕まえたみたいだから。でも――」
そこで言葉を切ったオーフェリアは堪えきれず獰猛な笑みを浮かべた。
「やり返さないかどうかは別問題よねぇ!」
近付いてくる王城を睨みつつ、オーフェリアは拳を打ち鳴らした。
不遇な目に遭わされてきた身からすれば、今回が散々辛酸を嘗めされてくれた王都のアホどもに目にものを見せてやれる最初で最後の機会だ。これで昂らずしてなんとするのか。オーフェリアの瞳にはかつてないほどの闘志が漲っていた。
『あー、奥様? ある程度の政治的なパフォーマンスをされるのは構いませんけど、機械的な部分に関わる事項はこちらの指示に従っていただきますからね?』
新たに機甲部隊の長として召喚されたトーマス・ジェファーソン大尉が己の車長席を譲り、狭い車内へ追いやられながら遠慮がちに語り掛けた。
「わかっています、ジェファーソン大尉。専門家の言うことが聞けないほどバカじゃないつもりよ。助言は遠慮なくしてちょうだい」
昂揚感は隠せないが、なるべく穏やかに聞こえるであろう声でオーフェリアは返した。あくまで自分に指揮を任せてくれている、いわば“借り物”の部隊なのだ。
そこはしっかりと弁えているつもりだ。……おそらく。
『ははは、大尉は美人が近くにいるんで緊張しているんですよ、奥様!』
空気を和ませようとしてか砲手が笑いながら茶化した。
同性ならばたしかにオーフェリアへのセクハラにはならないが、煽りを受けるトーマスは溜まったものじゃなかった。
『ば、バカなことを言うんじゃないぞ、軍曹!』
大尉が独身者なのも無関係ではなさそうだ。さすがの砲手もからかい過ぎになるのでそこまで触れはしなかったが。
「ふふふ、ありがとう。でもごめんね。人妻だからあんまり期待を持たせるようなことは言えないの」
迂遠な物言いばかりの貴族社会で長らく生きてきたオーフェリアにとって、こうして飾らない言葉を投げかけられるのは新鮮な経験だった。
色々な要素が相まって、彼女にしては珍しく浮かれていたのだ。戦車に揺られている高揚感もあって、どこかぶっ飛んだセリフを返してしまうほどには。
『ご一緒できるだけで十分です! それ以上はおっかないんでやめてください!』
別の戦車の車長を務める中尉が会話に入ってきた。半分おどけているが、もう半分はマジな声だった。
いかに数々の戦いで勇敢で鳴らしたな海兵隊員でも公爵夫人に粉をかけるような真似はできない。蛮勇と勇気は違うのだ。
「士気も高い。いい兵たちね、大尉」
無線を切ったオーフェリアが砲塔内に入り困惑顔を浮かべているトーマスへ言葉をかけた。
「ええ、自慢の部下です」
一瞬真顔になったトーマスだが、すぐに相好を崩した。
とびきりの美人に笑いかけられて気分の悪い者などいるはずもなく、また部下を褒められれば猶のことだ。
あるいは部隊を率いる身の上同士で通じ合うところがあったのか、狭い砲塔内で両者は何の思惑もなしに笑い合った。
「そうね……。あなたたちがこの国に骨を埋めるつもりがあるなら、わたしのツテでお嫁さんの世話くらいはしてあげるわよ?」
『『『死ぬまでお仕えさせていただきます、奥様!!』』』
ちょっとばかりサービス心を発揮したら全車輛の野郎どもから爆発的な反応が返ってきた。さすがに今度はオーフェリアが引く番だった。
「……本当にいい兵たちね、大尉」
先ほどとさほど変わらない言葉のはずなのに、なんとも微妙な空気が漂っている。
『お恥ずかしい限りです……』
トーマスの返事もまた空しく換気装置へと吸い込まれていった。
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