第39話 Para Bellum


「なるほどな……。事情は理解した」


 話を聞き終わったクラウスは大きく息を吐き出す。

 アベルの言葉によって受けた衝撃があまりにも強すぎたのか、脱力したようにソファへと身体全体を預けていた。


婚約破棄アレを契機に異界の軍隊の力を持ってしまって? しかも、その世界に伝わる物語と同じような世界が私たちの世界ココと? そのような突拍子もない魔法は聞いたこともないぞ……」


 どのように反応していいかわからない様子のクラウスを見て、アベルもなんだか申し訳ない気分になってくる。

 予想してはいたことだが、やはり並々ならぬ衝撃を与えてしまったらしい。


「いや、疑っているわけじゃない。ただ、偶然にしては出来すぎているからな。物語だってもう少しこう、なぁ……? いや、いっそのこと物語にでもして出してみるか?」


 冗談こそ交えているが、それは自身を落ち着けようとしての行動なのだろう。

 クラウスにしては珍しく、腕を組んだ状態からこめかみに人差し指を持っていき、どうしたものかと思案してさえいる。

 いつものポーカーフェイスもなりを潜めており、浮かぶ表情の中にも困惑の色を隠すことができていない。

 つまり、それだけ脳内がフル回転しているのだ。


 ――――無理もないことだ。


 そうアベルは思う。

 現時点で話せる範囲の内容はほぼクラウスに伝えていた。

 一部表現を変えている部分こそあるが、それは要らぬ混乱を招かないためでもある。

 そうであってもこの反応なのだ。とても包み隠さずすべを言うことなどできたものではない。


 逆に言えば、語る情報を上手く取捨選択したために、「そんな馬鹿な話があるか」と一蹴されずに済んだのだ。


。しかし、現実に起きてしまった以上……」


 アベルの言葉もあまり歯切れが良くない。

 ここからどう続けるか――――正直なところ、それはクラウスの反応次第なのである。


「……そんな顔をするな。中身が多少変わったくらいで細いことは言わんよ。いささか結果論気味ではあるが、君がアリシアを救ってくれたことに変わりはないんだ。むしろ、それがなければ我々はとっくの昔に詰んでいたことになる」


 さすがというべきか、クラウスは話を進める上で邪魔となるアベルの“気負い”を真っ先に払拭しようとしてくる。

 その心遣いにアベルは言葉に詰まりそうになる。


「……そう言っていただけると、気はかなり楽になります」


「もちろん、私の立場からすれば懸念すべき点などがないわけではない。だが、今はそこを論じたところで意味はないだろう? 君が古の伝説にある魔王のように世界を滅ぼそうと企んでいるのなら話は別だが」


 クラウスの冗談を交えた問いに、笑みを浮かべながら小さく首を振るアベル。


 驚くべきことに、クラウスはすでに先程の衝撃から立ち直っていた。

 そればかりか、持ち前の合理的な思考をいかんなく発揮して、まずはこの状況の変化をどう活用すべきか考え始めている。

 同じ立場でアベルにそれができるかと問われれば、おそらく難しいだろう。


「……とはいうものの、聞けば聞くほどに扱いが難しいな。その能力にしても長所と短所が混在している。アベルの話す通りであるなら、まず異界の武器は要素となる技術が高すぎて我々では満足に運用しきれまい。しかし、一時的なものとするなら領地を豊かにするには使える側面もある、と……」


 そこまでを口にすると、クラウスは瞑目して考えをまとめ始めた。


 対面に座るアベルもそれを邪魔しないよう静かに見守るに留まる。

 そうしてひと思案してから、クラウスはソファに預けた上半身を持ち上げるように姿勢を正してゆっくりと口を開く。


「……時にアベル。君は国という集団において最も大事なものはなんだと思うね?」


 急に話題が変わったように思われた。


 しかし、この話と無関係ではないはずだと即座にアベルは脳内で否定。

 クラウスがそのような迂遠な言い回しを選んだ理由を考えながら、アベルは口を開く。


「“安定”――――と言いたいところですが、それ以上に必要なのは“人間”でしょうか」


 仮に“安定”を求めるとしても、それはあくまで結果として得られるものであり、それを導き出すための要因とはまた別の話だ。

 人なくしては成り立たない。それはどんなに小さい組織でも、いや――――小さいほどに重要性が増してくる。


「そうだ。よほどのボンクラが頭に座っても、それを支える人間さえいれば国はそれなりに回っていくものだ」


 アベルの回答を受けたクラウスは満足気に頷く。

 どうやら自分はクラウスの望む答えを返すことができたらしいとアベルは安堵する。

 それと同時に、言葉の前半部分に含みが込められていることを察したが、さすがにアベルもそこは気が付かないふりをした。


「……まぁ、その次くらいに“幻想”がくるかもしれんな」


 クラウスが小さく鼻を鳴らし、意味深な言葉を漏らす。


「“幻想”、ですか……?」


 果たしてそれが国に必要なものなのか――――アベルにはいまいちピンとこなかった。


「あぁ。縋りたい“幻想”のひとつやふたつは誰でも持ってはいるだろう?」


「ええ」


「だが、それがもし『何かを守るべく戦うために掲げる大義名分』ではなく、ただ『現実から目を背けるためのもの』でしかなければ、それは亡国への一途を辿らせるものにしかなるまい。そして、今この国に満ちているものはいったいどちらに近いか……」


 クラウスは意味ありげな微笑みを浮かべる。

 アベルはその表情が自分に向けられているものであるとは理解できるが、それ以上の部分――――真意までを読み取ることはできない。


「さて、アベル。君が新たに得たその力で人を喚べるというのなら、それに勝る手札は今の我々にはあるまい。大仰な物言いをするが、それは我々に足りないものを補ってくれる――――まさに天恵だ。君の仲間であるなら、一騎当千のつわものであると私は信じているからな」


 アベルはその言葉を誤解して受け取らない。今回の話をすべて聞いた上で尚こちらを信頼しているという態度を見せるべく、クラウスは敢えて大袈裟な表現を使ったのだ。

 そして、同時にそれはクラウスからの“GOサイン”でもあった。


「そも、必要だと判断したから、こうして私のところへ来たのだろう? ならば早急に“戦力”を整えたまえ。アリシアが領地に戻ってからが本番だ。あらかじめ備えられるものはどれほど小さなものでも必要になる。そして、もその先にあると私は思っている」


 アリシアが領主代行となれば、それこそ本格的な妨害がなされる可能性がある。

 王都で政争に参加することを決めたクラウスへ間接的に損害を与えるなら、領地は真っ先に狙われる対象になるからだ。

 クラウスはそこまで――――いや、語りはしないがその先についても考えているのだ。


「はっ、承知いたしました」


 アベルの静かではあるが強い意志のこめられた返事を受け、クラウスは軽く手を掲げてこの話はここまでと打ち切った。

 もしここで先ほどの言葉の真意を追求したとしても、クラウスが深く語ることはないだろう。


 少なくとも今はまだ――――。


「……ところで、先ほどしらせが届いた。プレディエーリ枢機卿が失職に追い込まれたそうだ」


 突然の言葉にアベルの身体が硬直する。

 それこそ、クラウスの発言の意味を理解するために一瞬の時間を要したほどだ。


「!? それはまた……」


 驚きのあまりアベルの言葉は続かない。

 見ればクラウスは苦笑していた。おそらく、彼も先刻アベルと同様の衝撃を受けていたのだろう。


 しかし、ふたりを襲ったこの衝撃も、今回大きく動いた事態を考えれば当然のことである。

 なにしろこの大陸において大きな影響力を持つ聖光院教会のビッグネームが、その権力の座から引きずり降ろされたのだから。


「あぁ、私も驚いた。まさか大司教のみならず枢機卿まで更迭されるとは思いもしなかったからな。驚かせたくて唐突に切り出してみたが、いい表情が見られた」


 クラウスが珍しく見せた悪戯心なのだろうが、アベルとしては苦い笑いを浮かべるしかない。


「……これ幸いと本部で派閥争いが起きたというわけですか。それとも……?」


 さすがに大司教であったマウリツィオがコケたことで、勝手にその上までもが連鎖的に倒れたとは思えない。

 そんな間抜けが枢機卿になれるほど、あの組織は甘くはないはずだ。

 だとすれば……アベルはクラウスに目を向ける。


「……さて、どうだろうね。……いずれにせよ、あので何羽の鳥を落としたかはわからないが、第二王子派閥は教会の強い後ろ盾を失ったことで大きなダメージを受けた」


 答えは自分で探せと言うかのように曖昧に頷いて、クラウスは王国内の情勢の変化へと言及する。

 どちらかというと今触れたかったのはそちらなのだろう。


「それともうひとつ。こちらは君たちに関する話だ。セノフォンテヤツの息子であるファビオだが、実家が大きく傾いたことで苦境に立たされているようだな。学園を去る話までは聞こえて来てはいないが」


「まぁ、そうなるでしょうね。てっきり自主退学を選ぶかと思いましたが」


 僧籍の家柄とはいえ、高位聖職者の実態は王国やその他の国の貴族と何ら変わらず、面子というものにひどく拘泥する人種だ。

 本来であればその血を引く者として、敗北者の立場で貴族の子弟が集まる場に留まることはプライドが許すまい。


「わずかであれ復活の可能性に賭けるなら、学園は卒業しておかねばなるまい。とはいえあと数か月だ、耐えるつもりなのだろう。まぁ、今のままなら将来は本部か外国で塩漬けだな。これでその他の連中も当分は大人しくしてくれればいいが……」


 クラウスの評を聞きながらアベルは考える。

 おそらく、ファビオもウィリアムによってあのグループから弾き出されるのだろう。


 ウィリアムは利用価値のなくなった者へは容赦がない。

 とはいえ、その実態は子どもの癇癪に近いのだが。


「素直に引き下がってくれるとは思えませんがね。いったい、誰が焚きつけたか存じ上げませんが、ウィリアム殿下はずいぶんな野心を漲らせておいでのようです」


 どのような影響を受ければ、あそこまで自尊心プライドを膨れ上がらせることができるのか。

 アベルにはわからないが、それでも彼が生来持っている性格が形成したとは考えにくい。

 少なくとも、アリシアと婚約者同士の間柄でいる時はそこまでの気配は見せてはいなかったように思う。


「承知しているさ。もっとも、戴冠するまでは殿下も派手なこともできないだろうが、それはあくまでもこちらの予想に過ぎんからな。それに陛下のお身体のこともある」


 後半部の声を小さくしてクラウスは語る。


 やはり、国王の容体がそれほど芳しくないことは単なる風の噂ではなかったのだ。

 これがまた後々大きな波紋を呼ぶのだろうなとアベルは予感する。


「まぁ、永遠に黙っていてくれたら世はなべてこともなしで済むのだがな。いや、それこそ縋りたがる“幻想”か……」


 クラウスは続けて溜め息を吐く。

 国政に絡むようになって、彼らの行動を間近に見ているのだろう。言葉には以前のものよりも苦い感情が込められていた。


「こちらからは打って出ないのですか?」


 もちろん「片っ端からりますか?」とは訊かない。


「そこは考えている。ただ、ここで焦って派手なことはできん」


 それは当然だ。

 手をこまねいている必要もないだろうが、ここぞとばかりに動きを見せれば、機に乗じて反乱を起こそうと準備しているようにしか見えないだろう。


「まぁ、そちらは任せてくれ。現在、秘密裏に第一王子の派閥へとコンタクトを取っているところだ。あれ以降、身辺が調査され毒も見つかったと聞く。こちらは進展があり次第連絡する。……年内に少しでも進めばいいがな」


 言葉の上では強い口調ではなかったが、


「かしこまりました。しかし、政争ゆえの危険もあります。我々は一足先に公爵領へと戻らせていただきますがなにとぞ……」


 アベルはやや強く語る。


 だが、彼の懸念はけっして大げさなものではない。

 今の状況でクラウスに倒れられるわけにはいかないのだ。


 もしクラウスという柱を失えば、また王室派が勢いを盛り返してしまう。

 本来であれば護衛をつけるべきなのだろうが……。


「ああ、気を付ける。……それと、年の瀬には会うだろうが、にはよろしく言っておいてくれ。帰ったら会いに行くのだろう? 先に言付けでもしておかないと面倒になるからな」


 ふとなにかを思い出したように小さな笑みを浮かべ、それまでとは少しばかり口調を穏やかなへと変えてアベルに語りかけるクラウス。

 それが自分の妻であるオーフェリアについて言っているのだと、アベルにはすぐに察しがついた。

 たしかにあの人を怒らせるとえらいことになるな、と性格をよく知るだけに内心で苦笑してしまう。


「ええ、承知いたしました。それでは失礼いたします」


 一礼を伴ってクラウスの執務室を出ると、アベルは屋敷の廊下を進んでいく。


 現状、流れはこちらに傾きつつある。それは間違いない。

 だが、それはまだ小さな流れの変化でしかない。戦果とさえ呼べるものではないほどの。


 だからこそ、あらゆる面で備えねばならないのだ。


 クラウスは、教会に与えた一撃と比べてたいしたことはないと判断したのか話題にも上げなかったようだが、例の誘拐事件は王国内で秘密裏に処理がなされていた。

 内務卿であるシュトックハウゼン侯爵は尻尾を掴ませることなく逃げ切り、その代わりとして王都の内の治安に携わっていた第三騎士団団長のカスパール・ジルバ・ゼーレンブルグが更迭されることとなった。

 カスパールはあのギルベルトの父親である。降って湧いた突然の事態に、ギルベルトもまたファビオと同じく苦境に立たされていることだろう。


 ……少し注意しておく必要があるかもしれない。


 ある意味では、アリシアが動いたことで今回の事態を招いたとも言えるわけで、万が一その情報が漏れた場合に“やられた側”が報復に動かないとも限らない。

 もっとも、双方の性格の差を考えると、どちらかといえばギルベルトよりもまだファビオの方が短慮に走りかねないとはアベルも思っていたが。


「……とにかく急ぐか」


 アベルの口からひとりでつぶやきが漏れる。

 この流れとていつまでこちらに向いているか。それは誰にもわからない。

 新たな火種の燻りは、自分たちの知らないどこかで生まれている可能性があるのだから。


 ならば、一刻も早く自分にできることをしなくてはならない。


 “汝平和をSi vis欲さばpacem戦いへのpara備えをせよbellum”――――その言葉を脳内で思い起こしながら、アベルはそのままアリシアの部屋へと向かう。




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