第172話 打ち上げ花火 上から飛ばすか 下から飛ばすか
「なんというか、みんな本当に自由ね……」
海兵隊員たちの猥雑とも言いたくなる喧騒から離れた場所で、感心したような、それでいて呆れたような声が上がった。それは人知れずほのかに漂う潮風の中に消えていく。
青と白の縞模様の日傘の下で、戦いを終えたアリシアは長椅子に身体を預けていた。
身に纏っているのはいつの間にか自分のトレードマークとなりつつある青の水着で、腰に
この2年ほどですっかり海兵隊色に染められたものの、乙女の恥じらいまで生ゴミの日に出したつもりはない。
アリシアとて日々の訓練で鍛え上げた――それこそレジーナたちにも負けるとも劣らない美しい肉体を有しているのだが、それでも見せたい相手くらいは選ぶ。
というよりもそんな相手はひとりしか――
「無理もありません。程度の差はあれ今まで戦い続けてきましたから」
不意打ち気味に言葉をかけられ、アリシアは驚きで肩が跳ねそうになった。
不自然にならないよう視線を動かすと、クラウスたちのテントから飲み物を運んできたアベルの姿があった。
主人の心拍数の急上昇など知らないまま、傍らのテーブルにそっと飲み物が置かれる。中将なのか執事なのかバーテンダーなのかわからないリチャード謹製のノンアルコールブルーハワイだった。
ちなみに、夜へのお楽しみとして酒類はあらかじめ断ってある。
「ありがとう、アベル」
「いえいえ」
すぐそば――アリシアのやや後方の置かれた椅子にそっと腰を下ろしたアベルは、部下たちの“バカ騒ぎ”を苦笑気味に眺めている。
ほとんど身内だけのバカンスで来ているというのに、やはり立場を気にしての振る舞いだ。椅子に座ってくれるだけでも譲歩させたような形なのだ。それがアリシアはちょっとだけ不満だった。
従者としての仕事があるのでアベルはそもそも水着を着ておらず、七分丈の橙色のシャツに白のパンツ、そしてデッキシューズの組み合わせだ。これは涼やかなアベルの美貌に似合っていてとても評価できる。正直眼福だった。
「“中佐殿”的にはあれでもオッケーなのかしら?」
それでも少しの不満が小さな棘となって口を衝く。もう少し穏やかに話しかけられないのかと自分がイヤになりそうだ。
「誰しも緊張の糸もいつまでも張り続けられものではありません。そろそろ頃合いだったでしょうね。まぁハメを外し過ぎないかぎりは止めないでおきますよ」
アベルはわずかに相好を崩しながら応じた。いつになく穏やかな声に聞こえた。彼もようやく終わったと思っているのだろう。
「たしかに、心の洗濯は必要よね。ただ、“あれ”もそうなのかしら……」
困惑交じりの声とともにアリシアが視線を動かすと、騒がしい集団からちゃっかり外れたエイドリアンが砂浜に埋められ首だけを出していた。
隣では黒い水着姿のラウラが砂で無駄に精巧な城を作っている。すわ何かしでかしたのかと思うも、生き埋めにされた様子はなく、ちゃんと直射日光が当たらないように日傘も設置されていた。
というか、当の本人が呑気にティアドロップサングラスをかけている。
エイドリアン的にはのんびり昼寝をしているだけのようなので、拷問の類ではなくスキンシップ扱いでいいのだろう。おそらく。
「ああ。あればかりは私にも……」
主人と同じく困ったような笑みでアベルは答えた。
「そりゃ仲良くなるのはいいことだと思うわよ? でもあのふたりだけは本当にわからないわ……」
ギルベルトとレジーナのように、この世界の人間と海兵隊員の間で恋愛関係にまで発展しているのはアリシアもすでに知っている。
いかに文明の進んだ世界から来ようとも、おそらく同じ人間である以上、生物としての本能を切り離せるものではない。
そもそも、海兵隊員も召喚によって“得たもの”と“失ったもの”があるのだった。
だからリチャードもアベルも、第2の人生を歩むこととなった彼らに必要以上の我慢を強いるような真似はしていない。
もちろん、海兵隊がこの先生き残るために、アルスメラルダ公爵家以外との結びつきが必要と思っているのもあったが。
それらを差し引いても、あの両極端なふたりがどうして付き合っているのかさっぱりわからないのだ。
「よくこの状況で平然と寝にいけますよね、大尉は」
「んあ?」
本気で眠りかけていたのかエイドリアンが間の抜けた声を上げた。そんな朴念仁としかいいようのない反応にラウラの目から一瞬ハイライトが消える。
「せっかくこんな派手な水着を着てみたというのに、もう少し気の利いたセリフとかないんですか?」
ラウラにしては珍しく不満を表に出した声だった。
「……なんだよ、ギルベルトの坊主みたいにしどろもどろになったのが見たいか?」
すぐに状況を理解するあたりが狙撃手の性分なのかもしれない。
「あれはちょっと……」
それなりの付き合いがあるにもかかわらず、ラウラの仲間に対する評は容赦がなかった。こういうところは昔から変わっていないとエイドリアンは思う。
「だったら焦るなって。時間はある。べつに俺は逃げたりいなくなったりしねぇし、ちゃんとおまえのことを見ている」
エイドリアンはわかっていた。
今見せている態度もかつてラウラが見せていた永久凍土のようなそれも、すべては寂しさの裏返しだったのだと。
彼女は過去の流行り病で貴族の地位や家族――すべてを失っている。二度と失いたくないからこそ求めないようにしていた。心が壊れないようあらゆる感情に蓋をして。
奴隷落ちしかけていた自分を救ってくれたアリシアには迷惑をかけたくなかったし、彼女が婚約破棄をされてからは余計にその思いが強くなっていた。
きっとどこまでも臆病になっていたのだろう。真っ当な人生すらもう手の届かないものと勝手に諦めていた。
ところが、変わり者の狙撃手があっさりそれを崩してしまった。当の本人からすれば特段深い理由があったわけではない。
自分の技術を教えることになった相手が、仏頂面をしているよりは笑っていた方が可愛いと思えたからに過ぎない。あれこれちょっかい出したのはそれくらい些細な理由だ。
もちろん彼なりに責任は感じていたが、生来言葉を尽くして器用に振る舞える人間ではない。 だからこうして一緒にいるのだ。
「向こうの綺麗どころにだって色目を使ってないだろ? 心配するなよ、相棒。俺の隣を任せられるのはラウラだけだ。だから――
ちょっとくらいは言葉にしてフォローしておいた方がいいと思ったのか、エイドリアンは身体を覆っていた砂を崩して上半身を起こし、サングラスをずらして相棒に微笑みかけた。
対するラウラは突然の反応にびっくりして完成間近だった城の尖塔を崩してしまう。
「ふ、不意打ち気味に、真正面から恥ずかしいこと言わないでもらえますか……。それは、ちょっと、ずるいです、大尉……」
夏の日差しにも負けないラウラの雪のように白い肌が驚くほど真っ赤になっている。だが、これは日焼けが原因ではなさそうだ。
いたずらが成功したように満足気な笑みを浮かべるエイドリアン。それがまた余計にラウラを赤く染め上げていく。
「狙撃手は焦らないのさ」
この空間だけ、なぜか周囲よりも温度が高くなっていた。
「はぁ、仲睦まじいこと……」
絶妙な距離のせいでふたりが何をしゃべっているかはわからない。だが、イチャついているのだけは間違いなかった。主人を差し置いてなんと嘆かわしいことか。
……いや、勘違いしてはいけない。
むしろここは皆が気を遣ってアリシアとアベルをふたりきりにしてくれているのだ。真っ先に誘ってきそうなレジーナたちも来なかった。つまりはそういうことだ。
婚約破棄騒動に端を発するすべてにケリがついた今こそ、越えられなかった一線――それは令嬢らしくない表現なので訂正して、距離を一気に縮めるチャンスではなかろうか。そうでないはずがない。
「ねぇ、アベル。わたしね――」
アリシアが振り返りながら声を発したその時だった。浜辺に鋭い笛の音が鳴り響いたのは。
「大変です! 南大陸の海賊が!」
遠巻きにアリシアたちの様子を眺めつつ、ゲストに何かないよう沖合を監視していたルーデンドルフ家の者が駆け寄ってきて声を上げた。
「我らの私掠せ――ごほん、警備船が向かって来ているようですがここは危険です! 至急避難を!」
何やら不穏当な発言が聞こえた気がするが、アリシアは知らないフリをした。
いや、それは正確ではない。すでに湧き上がる感情で周囲の雑音は聞こえなくなっていた。
「……許せないわ……! 無粋の極みよ……!」
せっかくのチャンスを邪魔されたアリシアの怒りは大きかった。椅子からゆらりと起き上がり、身体から怒気を発しながらビーチパラソルの外へと歩み出ていく。
「総員! あのバカどもを盛大にもてなしてあげなさい!
領主代行殿の反応は苛烈極まりなかった。「生かして帰すな」と言わなかっただけマシかもしれないが、結局のところ彼らの運命が変わるわけでもない。事実上の死刑宣告だった。
「聞いたか! 戦闘準備! 酔っぱらってないヤツでジャベリンが使えるヤツは準備しろ! 夜にはちょっと早いが花火の練習だ!」
「「「イェアッ!!」」」
真っ先に動いたメイナードがスペアリブを片手に持ったままPDAからFGM-148 “ジャベリン” 歩兵携行式多目的ミサイルを数個召喚。慣れた動きでツーマンセルとなった射手たちが機材へ駆け寄り“花火”の準備に入る。
たかが帆船相手に対戦車ミサイルを複数発。過剰威力なのは誰もがわかっている。
だが、バカンスの邪魔をしてくれたバカどもが許されることは絶対にないのだ。
「「「発射ぁッ!!」」」
射出用ロケットモーターによりミサイルが勢いよく射出。空中で安定翼が開くと同時にロケットモーターに点火され、そのまま急加速して目標へと向かって突っ込んでいく。
そこからはまさに一瞬の出来事だった。
ダイレクトアタックモードで喫水線部分に突入するジャベリン。対戦車ミサイルの大盤振る舞いを受けた木造帆船が成形炸薬弾に耐えられるはずもなく、弾頭の爆発で船体が崩壊するとほぼ同時に波間へと消えていった。
撃たれた方は何が起きたかわからずに終わったことだろう。
おそらくこの世界で海兵隊の遠慮のない攻撃を喰らった初めての犠牲者だった。
「汚い花火だったな……。よし、生きてるやつがいないか探してきてくれ! 抵抗されない限り捕虜への扱いは丁重にな、貴重な情報源だ!」
「「イェッサー!」」
主にムキムキオイル塗れでビキニパンツの連中がきびきびとした動作で装備と武器を身に纏い、新たに召喚されたゾディアックボートに別れて沖合に出て行く。ナリはあんなだが彼らも精鋭たる海兵隊の一員なのだ。助けられた方がどう感じるかはさておき。
「はぁ……なんなのかしら……」
ふたたび静けさを取り戻した浜辺で、アリシアは溜め息を吐き出してながら小さく肩を落とした。
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