第99話 ボクが訓練兵になったワケ①


 ギルベルト・ジルバ・ゼーレンブルグは子爵家の嫡男だった。

 もっとも、今となっては彼のことを「ギルベルト」と呼ぶ人間は周りにひとりもいない。


 どういうわけか今は“ぼっちゃん”と呼ばれている。


 元々貴族という特権階級に属していたギルベルトが、アルスメラルダ公爵領で新たに創設される遊撃部隊の訓練兵になった理由は簡単だ。

 


 つい半年近く前まで、ギルベルトは王都の学園に通っており、順風満帆な生活を送っていた。

 なにしろこの国の第二王子にして、諸般の事情で王太子最有力候補であるウィリアムの派閥――――それも悪くないポジションにつけていたのだ。この時点で半ば将来を約束されていたのは間違いない。


 学園を卒業した後は騎士団へと入り、いずれは父親であり第3騎士団団長のカスパールの跡目を継いで子爵へ、それをもって10年くらいで騎士団長になるものとばかり思っていた。

 戦争でも起きない限り、せいぜい中規模程度の盗賊の討伐任務へ派遣されるくらいが騎士団の役目だ。

 思う存分自分の剣を磨けないのは退屈ではあるだろうが、自分の出番がないことこそ平和の証だと思い込んでいた。


 今思えば甘っちょろいボンボンであった。

 ちょっとばかり剣が得意なだけで、まだ正式に爵位も持っていないにもかかわらず、将来の国王候補の傍にいることで自尊心だけが肥大化していたのだ。


 もっとも、これで終わっていたならまだマシであったかもしれない。

 立場を失い外から見てはじめてわかったことではあるが、自分も当時は数多く存在する世の中が見えていない貴族子弟のひとりであった。

 しかし、それくらいであれば社会に出てからほどほどに矯正されるだけで済んだ話だろう。


 ところが、ある女性との出会いがギルベルトの運命を大きく変える。


 そして、




「ギルベルト様は本当にすごいですねぇ。どうしたらそんな風に剣を身体の一部みたいに振るうことができるのですか?」


「……あなたは?」


「あっ! これは失礼いたしました。わたくし、レティシア・ローザ・ザミエルで、ござ、ございます?」


 最初に出会ったのがザミエル男爵令嬢のレティシアだった。

 学園の隅にある誰もいないような剣技訓練場でひとり稽古に励んでいたギルベルトに声をかけてきた、貴族としての挨拶もろくにできなかった変わり者の少女だ。


「そうか……。私はこれから行くところがあるので失礼する」


「あっ、ギルベルト様! 待ってくださーい!」


 騎士を目指すものとして剣に優れるのは当然――――むしろ最低条件くらいに思っていたため、その庶子上がりの娘の言葉を完全に無視していた。

 ギルベルトは何代も続く騎士の家系に生まれている。何かの間違いで学園に入学してきたような人間に興味などなかった。

 それからも何回か話しかけられたが、鬱陶しく思え適当にあしらったと記憶している。


「ギルベルト様はご自身を過小評価されすぎなのですよ!」


 幾度となく冷淡な対応をされながらも、レティシアは貴族学園で愚直に剣を振るい続けて優秀な成績を残し、また騎士を目指そうとする姿勢がどれほど凄いか、ギルベルトが聞こうが聞くまいが何度でも伝えてきた。

 それがいつの間にか武骨一辺倒だった心に染み入ってくるような気がして、彼はレティシアを遠ざけることはしなくなっていた。


 自分から積極的に声をかけるようなことはしなかった。そもそもギルベルトには“そういった経験”がなく、正直どうしていいかわからなったのもある。

 ただ、自分の剣は彼女のような人間を守るためにこそ磨かれると考え、ウィリアムと結ばれようとしていくのを陰ながら見守ることにした。胸に生じる仄かな疼痛とともに。

 おそらくあの時の自分はレティシアに恋をしていたのだろう。今になって振り返るとそう思える。


 そして、その感情がギルベルトに大きく道を誤らせる。彼は気付いていなかった。いや、酔いしれていたと言ってもいい。


 将来の主君とその想い人のためにと思う一心が己のまなこを曇らせていたことに。




「女がか弱いなんて意識は、生ゴミの日に捨てることね……!」


 公爵令嬢の物とは思えない言葉と共に強い衝撃が襲いかかり、気が付けばギルベルトは地面に倒れていた。

 いや、倒れたことすら後になって気付いたくらいだ。最初は目の前に突然土の壁が現れ、身体全体を殴りつけられたようにしか思えなかったのだから。


 ――――い、いったい、何が?


 数秒後、ようやく自分が地面に倒れ伏していると理解したギルベルトは混乱の極みにあった。

 必死で起き上がろうとしても、身体が泥濘でいねいの中へと沈み込んでいくような感覚のまま動けない。

 一瞬魔法でも喰らったのかと思ったが、彼の武術の経験と勘がそれを全力で否定していた。

 というのも、直前まで戦っていた少女の持つ“杖”が翻り、自分の下顎を打ち抜いた瞬間を目撃していたからだ。


 ――――なぜ、私が?


 学園の中で誰かに負けるなど、ギルベルトにとっては初めての経験だった。


 信じがたいことに、自分を下したのは“女”だった。

 それも醜い嫉妬に駆られてレティシアを虐めており、婚約者のウィリアムから皆の前で断罪を受けたはずの傲慢な公爵令嬢アリシア・テスラ・アルスメラルダ。


 ギルベルトにはわけがわからなかった。

 ほんの二か月ほど見ないうちにアリシアが研ぎ澄まされた雰囲気を纏うようになったこともそうだが、彼女がなぜ自分を武術で圧倒したのか。


 それだけでなく、勝者となったアリシアは何も語らなかった。

 無様にも地面へと這いつくばる自分に追い打ち――――言葉での復讐を遂げることもなくそのまま去っていったのだ。これもまたギルベルトの理解が及ばない部分ではあったが、その後従者であるアベルとの会話の中ですこしだけアリシアのことを理解できたのもある。

 不思議と敗北に対する不愉快さといった感情は残らなかった。



 しかし、ここから彼の人生は坂道を転げ落ちるように急変していく。



 アリシアに敗北したことが噂として広まり、それに怒り狂ったウィリアムによって彼の派閥から弾き出されてしまった。

 とはいえ、負けたのはれっきとした事実である。特に弁明をすることはしなかった。それは彼の思い描く騎士のあるべき姿ではなかったからだ。

 もっとも、その時は騎士団長になるのは厳しいかもしれない程度の認識だった。


 そして、ついにギルベルトにとって人生最大の転機が訪れる。

 冬を目前にしたある日、父カスパールが第3騎士団の団長を罷免されたのだった。

 

「王都で民を標的にした人身売買が発生していた。それに私が絡んでいたのではと糾弾され、なんとか疑いは晴れたが治安維持の責任を取る形で……」


 あの時の父が浮かべた無念の表情は今でも忘れられない。


 事件の本当の黒幕はシュトックハウゼン侯爵だろう。内務卿の地位に就いてからの専横はひどいものだと風の噂で聞いた記憶がある。

 彼が白と言えば黒も白となるし、その逆もまた然り。侯爵以外の誰かが事件の責任を負わねばならず、かくして生贄に選ばれたのが父だった。


「お前を学園に通わせることはできなくなる。卒業できなかった以上、嫡男であっても婿入りなどで爵位を得ることはおそらくできない……。本当に済まない」


 何も答えられなかった。あまりにも現実感が湧かなかったのもある。

 人間、衝撃を受け過ぎると無意識に自分自身を守ろうとするのか、その当時の記憶は今になってもはっきりと思い出せない。


 ただ、最後にアリシアと話すことができた。落ちぶれた自分を彼女は夏の日と同様笑ったりはしなかった。


 それからの日々は目まぐるしい勢いで過ぎ去っていった。

 ギルベルトは子爵家嫡男から一転して冒険者となり、紆余曲折を経てアルスメラルダ公爵領で新設される兵団に“付き添い”で入ることとなった。かつて磨いた剣の腕がなかったらどこかで野垂れ死にしていたかもしれない。

 書類審査で撥ねられなかったのは不思議ではあったが、おそらく「すでに話がつけられているのだろう」と判断した。


 いずれにせよ、ここまではよかった。


 ところが、兵舎に入ったと思った瞬間、今までの人生がすべてひっくり返った。


 父から聞いていた騎士団の知識もあって似たようなものだろうと楽観的に考えていたのは否めない。


 本当にあの時の自分は何も知らないバカな男だった。


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