第6話 まずは親子から
翡翠色の目を真っ直ぐに見つめて、言い聞かせるようにして諭す。
「君は多分、自分で自分の感情がよくわかってないんだ」
「……そんなに子供に見えますか?」
「見えるね。神聖巫女の身分に落とした人々への復讐心、男性全般への好奇心、勇者へのミーハーな憧れ、父性への飢え、俺への同情。そういう感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、恋心だと勘違いしてるんだ」
「……そういうんじゃないのに」
「そう見せてしまった時点で、君の失態だ」
下唇を噛んで目を伏せるアンジェリカに、さきほどまでの小悪魔めいた表情はない。
俯いて、小さく震えている。
やがてすーっと透明の雫が頬を伝い、顎に向かって落ちた。
傷つけてしまったのか。それとも俺の言葉に何かを感じ入ったのか。
わからない。まだ何もわからない。
こんな時、君がどう思うかがわからない。それくらい俺は君のことを知らない。
「……まだ十六なんだろ。色々、可能性を探ってみればいい」
両手で顔を覆って首を振るアンジェリカに、俺は可能な限り誠意を以って語りかける。
「とりあえず成人するまで待とう。それでも俺に恋愛感情を抱くようなら、俺も考える。でも今は駄目だ。早すぎる」
歳なんて、関係ないのに。涙声で呟くアンジェリカは、年相応に幼い。
「この世界で色々なものを見て、色々な人と出会って、それから答えを出さないか。もしかしたら同年代の男の子を好きになるかもしれないだろう」
「これって、振ってるんですよね」
「そうじゃない。子供の寂しさにつけ込むような真似はしたくないだけだ」
エルザ以外の女なんて考えられない、というのが一番大きな理由だけれど。
それを口にしないずる賢さは備えている。
俺はおっさんだから。
汚い大人だから。
君と違って。
「な? どうせあっちの世界に帰る方法なんてないんだろ。だったらここで一緒に暮らすのは構わないから。とりあえず親子から始めてみないか。お試しコースだ。俺も君も」
「お試し……?」
「父と娘の関係が意外にしっくり来て、それ以上は求めなくなるかもしれない。男女の仲になったあと、私やっぱり欲しかったのはお父さんだ、って気付いたらシャレにならないだろ。……うんと年上の男と付き合う女の子には、こういうの多いらしいからな」
「私は違うもん」
もん、って。
やっぱり思春期の子供なんだなあ、と庇護欲めいた感情が湧いてくる。
もはや女として意識していたのが嘘のようだ。
……そうなんだよな。少しの間とはいえ、意識しちゃってたのは事実だ。
糞、いい歳してみっともない。
犯罪だろうが。
こういうのって隠し通すのと素直に言うのと、どっちが正解なんだ?
あんまりそっけなく突き放したら、お前に女の魅力なんかねえしと宣告してる状態になってしまう。
ちょっとはフォロー入れないと不味いのか。
俺はアンジェリカの肩に手を置きながら、さりげなさを装って言う。
「……えーとだな。俺だって可愛い子に懐かれて、悪い気はしないよ。ていうか正直、心臓が止まるかと思った」
途端、顔を上げる神聖巫女。
調子のいい奴だなほんと。
「脈あり……!?」
「俺も十代ならとっくに落ちてただろうな」
「三十代でも落ちていいじゃないですか」
「駄目だ」
「えー」
「駄目」
ぐいぐいと鼻先を近付けてくるアンジェリカの額を、押さえつける。
急にゆるくなった雰囲気に、ほっと安堵する。
「今から俺が保護者なんだから、言うことは聞きなさい」
「……すぐに伴侶にして見せますけどね」
「わかったわかった。わかったから今日はもう飯食って寝ような。俺疲れてるんだ」
「そんなぁ。せっかくこっちの世界で夜更かししてみたかったのに」
「身長伸びなくなるぞ」
「う」
やっぱり気にしてたか、とおかしくなる。
「よし飯だ飯。餃子焼いてやるよ。美味いぞ、ちょっと口臭くなるけど」
「おじさんっぽい料理なんです?」
「ま、まあな」
俺は冷蔵庫を開けると、冷凍餃子を取り出す。
これと適当に肉野菜炒めでも作って、味噌汁とご飯をつければ腹は膨れるだろう。
異世界人相手にやたらと日本風な献立だけど、ちゃんと理由がある。
こちらの国の味付けが舌に合うかどうか、テストするのだ。
拒否反応を示すようなら、明日からは洋食中心だ。
……よく考えたら、食費が二人分になるのか。
俺の稼ぎで食ってけるかなあ、と急に弱気になってくる。
そろそろ俺も、ちゃんとした仕事を見つけなければならないんだろうか。
女の子一人養うとなると、自分を罰するための貧乏とか言ってられないし。
勇者のスペックを活かせる体力仕事だって、きちんと探せば見つかるかもしれないし。
格闘家とかスタントマンとか。
悪目立ちしそうで、気乗りしないけどな。
俺が肩を落としながらフライパンに油を敷いていると、後ろからアンジェリカが話しかけてきた。
「でも勇者様、さっきのって、本気で私のこと心配してくれてるんですね」
「そりゃそうだ」
「ずるいですよ、ああいうの。……私、もっと勇者様のこと好きになっちゃいました」
「なんでだよ」
「天然タラシのケイスケって、ほんとだったんですね」
「俺あっちでそんな二つ名あったの?」
有名な話ですよ、と笑う声に、さきほどまでの悲壮さはない。
重い話で後を引きずらない、カラッとした性格の子だ。
きっと悪い子ではない。
だからこそ、幸せになって欲しい。
俺なんかじゃなく、もっと若くていい男と結ばれるべきだ。俺以外の誰かと。
「いい匂い。ニンニク料理ですか」
すんすんと鼻を引くつかせるアンジェリカは、猫みたいで愛らしい。
そうだ、これは人の形をした猫なんだ。そう思えば過ちなんて起きないはず。
「料理上手なお父さんが出来て、私は幸せものです」
「俺を父親と思うなら、君も明日からは家事を手伝ってくれ」
で。
アンジェリカは完成した晩飯を、ぺろりと平らげた。
おかわりまでしてきたので、気を使って完食したわけではないだろう。
異世界より複雑な味付けで、悪くないそうだ。中々いい味覚をしている。
俺も、美味かった。
久しぶりに他人と話しながら食う夕食は、別格の味だった。
容姿も気質も、エルザとは正反対の女の子。
俺は上手く親父をやってけるだろうか?
「おとーさん、やることないなら子供作ろ」
「黙って寝なさい」
やっていくしかない。
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