第68話 前の女、今の女
どうする。
このまま斎藤家に向かって、護衛につくか?
なら全力で走った方がいいだろう。
俺は自動車なんかよりよほど早く動けるのだ、この脚さえあれば十分だ。
そして、今度こそ救い出す。リオがゴブリンにさらわれる前に。少女の人生が台無しにされる前に。
エルザは素晴らしい素質を持っていた。俺なんかよりずっと賢い女だった。
なのに幼くしてゴブリンに連れ去られ、様々な可能性を摘み取られてしまった。
読み書きを覚えるのすら苦労し、最後まで人間語の発音に苦労していた。
きっと正しい教育を受けていれば、才媛として生きられただろうに。
けれど、もう大丈夫。今度のエルザは、ちゃんと俺が助ける。ことが起きる前に、全てを始末する。
俺は今から、エルザとの出会いをやり直せる。
何も被害を受けなかったエルザと。まっさらになったエルザと。
リオ。俺の新しいエルザ。次のエルザ。
エルザ?
俺はリオとエルザ、どっちを助けたいんだろう?
二人はただ似ているだけの、別人だというのに。
しかもそのうちの片方は、とっくに死んでいる。
「ああ、クソ」
一体何を熱くなってるんだ俺は、と深呼吸をする。
どうもよくない。リオとゴブリンの組み合わせは、俺から冷静さを奪ってしまうようだ。
一つ一つ、落ち着いて考えていく。
そもそも俺は、斎藤家の場所すら知らないじゃないか。まずはリオに連絡を入れて、住所を聞き出す必要がある。
車に戻ろう。車内でスマホを使おう。そうだ、車だ。それが一番いい。
俺の体は今、掃き溜めのようなゴミ屋敷を探索したせいで悪臭にまみれているはずだ。
隠蔽をかけても、臭いまでは打ち消せない。
だったら動く密室であるワゴン車で移動した方が、悪目立ちしないだろう。
小走りで、車に近付く。
ドアに手をかけたところで、そういえばゴブリンの死体を処理していなかったな、と思い至る。
屋敷に引き返して燃やすか?
いや。
別にあのままでも構わない。放置して、誰かに見つけて貰った方がいいくらいだ。
世間に俺が現代兵器に勝る超人だと認識されるのが問題なのであって、モンスターの存在は別に隠蔽する必要がない。
むしろあんなのが社会に紛れ込んでいるのに、国が無警戒なままの方が不味いだろう。
小鬼どもの亡骸で人々に危機意識を植え付けることが出来るなら、その方が好都合だ。
昏睡魔法をかける直前、人質に顔を見られたが……問題ない。ゴブリンとの交戦さえ見られていないのなら、他はどうでもいい。
こうでないとな。
徐々にいつもの自分が帰ってきたのを感じる。
俺はそっとドアを開けると、車内に帰還した。
「大丈夫でしたか?」
心配そうな顔で、アンジェリカが覗き込んでくる。
「いたんですか、ゴブリン」
「かなりな」
尻ポケットからスマホを取り出し、SNSアプリを立ち上げる。
「それよりあまり俺に近付かない方がいいぞ。臭うだろ」
「あっ、気を使って言わないようにしてたんですよそれ」
「……しばらくは口呼吸で頼む」
りょーかい、とアンジェリカは元気よく返事をした。素直な娘だ。
こんないい子が俺を慕ってくれているのに、頭の中を昔の女でいっぱいにしている。
死んだ女を別の少女に重ねて、古傷を癒そうとする中年オヤジ。
俺ってやつは、一体どこまで堕ちていくのだろう?
『リオ。家の場所教えろ。今からそっちに行く』
自己嫌悪に陥りながらも、メッセージを送信する。
じれったさをこらえながら、返信を待つ。
いつもならものの数秒で既読になるのに、未読のまま時間だけが過ぎていく。
まさか寝ているのだろうか? それとも既に襲われているのか?
悪い想像に、気が狂いそうになる。
五分ほど待ったところで、リオから返事が届いた。
『なんかあったの?』
歯がゆい思いで、文字を打ち込む。
早く、早く早く。
焦るあまり誤変換を何度もやらかしてしまい、必死で打ち直す。
『ゲーセンで、藤本に化けていた小鬼と会ったろ。あいつらの一味が、お前の家を襲撃する予定を立てているのがわかった。そちらに向かって迎え撃ちたい』
『わかった』
斎藤家の番地が送られてくる。数字と文字が並んでるだけ。絵文字もハートマークもなしの、そっけない情報提供だ。
それじゃなんだと思ったのか、少し遅れて自宅の特徴も教えてきた。
『近所に三階建ての豪邸があるけど、その隣のすっごいみすぼらしい家があたしんち。汚いからすぐわかるよ。別にだらしないわけじゃなくて、建物が古すぎて何やっても汚れたまんまなんだよね』
『ゴミがないだけでもマシだ。さっきまでそれも完備したところにいたんだからな』
『どういう意味?』
とにかく戸締まりはしっかりしておいてくれ、と伝える。
『うん。待ってるから』
連絡が済んだので、次はネットで検索エンジンにアクセスする。
斎藤家の住所を打ち込むと、あっという間に地図が表示された。
現代文明の力は凄まじい。異世界のマッピングスキルを、簡単に再現出来る。
その上テクノロジーの恩恵は、善人だろうが悪人だろうが等しく受け取れるのだ。
例え相手がゴブリンであろうと、平等に。
俺は緑肌の小鬼どもがスマホを片手に、大型車両を運転する場面を想像していた。
やつらの短い足がアクセルを踏み、斎藤家に突っ込む様を。
急がなくてはならない。
斎藤家に到着すると、田中が「外で待ってましょうか」と言ってきた。
おずおずと、気を使うような表情をしていた。
「どうも大変そうですし、私がここで中の若者達を見張ってますよ。また車を使う機会があるかもしれないでしょう」
「いいのか?」
「乗りかかった船ですから。それに中元さんがゴミ屋敷にいる間、そこのアンジェリカさんとちょっと話したんですよ」
「アンジェと?」
「いいですねぇ、国際結婚って。夢があります。私にも恋に燃えた時期がありました」
アンジェリカは一体、どんな説明をしたのだろう。
「ですが二股はよくありませんな……ケリをつけるなら早くした方がいいでしょう」
「何を聞いたらそんなストーリーが出来上がったんだ?」
「ここが浮気相手の家で、今から別れ話を切り出しにいくんですよね? いけませんよ、せっかく可愛い外人ちゃんを嫁に迎えたというのに、日本人の愛人なんか作っちゃあ。確かにずっと金髪碧眼を見てると、大和撫子が恋しくなるのはわかります。洋食のあとのお茶漬けなのです。でもあなたは、これから一生ステーキを食べる暮らしを選んだんじゃありませんか。どんなに胃もたれしようと、アンジェリカさんを食べ続けなければならないんですよ」
俺はどうして、このうだつの上がらないおっさんから説教をされてるのだろう?
「出過ぎた真似をしたかもしれません。ですが人生の先輩として、どうしても言わずには……」
「……ありがたい忠告として受け取っておくよ」
「検討を祈ります。手切れ金はしっかり渡しておくんですよ」
盛大に勘違いされているようだが、一々訂正するのは面倒なのでやらない。
俺はイタズラが見つかった猫のような顔をしているアンジェリカと共に、車を降りた。
リオが言った通りの古びた一軒家に向かい、インターホンを押す。
玄関の奥から、足音が聞こえてくる。少し遅れて、
「はあい」
という声。
お茶漬け女こと、リオの出迎えである。
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