第67話 ゴミ掃除

 目的の屋敷が見えてきたので、俺は車を停めさせた。


「あれだな」


 想像していたより、ずっと大きな家だった。

 二階建てで、しっかりとした作りをしている。広さも申し分ない。

 これで駅付近という立地条件なのだから、きちんと管理していれば立派な資産になっただろう。

 けれどもったいないことに、住民が自らの手で不動産価値を損なっている。


 空き缶とビニール袋で埋め尽くされ、足の踏み場もない庭。

 茶色い液体がこびりつき、読めなくなった表札。

 開け放たれた窓からは、パンパンになったゴミ袋が溢れ出している。

 玄関に至っては、横向きに倒れた洗濯機が飛び出していた。


 家を人の顔に見立てたら、窓が目で玄関が口だろう。つまり涙を流し、嘔吐している状態と言える。

 俺にはこの家が、瀕死の病人に見えた。だがゴブリンにとっては、住み良いねぐらなのだ。

 やつらと人間の感性が、相容れることはない。

 俺達は別々の種族なのだ。そう、殺したり殺されたりするくらいに。


「お前は車内で待ってろ。あんなとこ入りたくないだろ」


 アンジェリカの首が縦に振られたのを確認すると、ドアを開けた。

 途端、外の空気が入り込んでくる。

 鼻を突き刺すような異臭に、田中とアンジェリカが「うっ」と声を上げた。


 俺はというと、不快だが耐えられなくはない。

 ずっとあちらの世界で、血や臓物を浴びてきたせいだろう。

 すっかり汚物に耐性が出来ていて、問題なく鼻呼吸を行える。

 これは人間として強くなったのか、それとも劣化したのか。きっと後者なんだろうな、と眉をしかめながら車を降りた。


 迷うことなく、まっすぐに突き進む。

 隠蔽をかけ、玄関からお邪魔する。


 本来の住人には悪いが、土足である。何が起きるかわからないし、何を踏むかもわからないのだから。


 俺は索敵を怠らぬよう意識しながら、廊下を進んでいく。

 積み上げられた雑誌の山をかき分け、部屋の中を覗いて回る。

 居間を調べていると、台所の方から物音が聞こえてきた。


 ペチャ、ペチャ、ペチャ。

 ジュル、ジュル、ジュル

 ニチャ、ニチャ、ニチャ。


 水気を含んだ、咀嚼音だ。

 俺はすぐさま、音のする方へと足を進めた。

 頭の中では、獣が水をすする場面が浮かんでいた。

 あるいは口を開けたまま食べ物を噛む、行儀の悪い貧民。


 呼吸を整え、その場所へと踏み込む。


 ――いた。


 冷蔵庫の前で、あぐらをかいて座る小鬼が一匹。

 緑の肌に粗末なボロ布をまとい、無我夢中で生肉にかぶりついている。

 なんとも呆れたことに、変身を解いて本来の姿を現しているのだ。


 家の中では人間に化けるのをやめ、くつろいでいるというのか。

 リラックスしているところを申し訳ないが、足を撃ち抜かせて貰う。


【勇者ケイスケは光弾魔法を使用。MPを30消費しました】


 ピキュン! と甲高い発射音を放ち、光の矢がゴブリンを射抜く。


「ぐげっ!」


 間の抜けた悲鳴を上げ、倒れ込む矮人。

 俺はすぐさまやつに近寄ると、しゃがみこんで肉を観察した。

 

 人肉なのだろうか?

 

 豚と人間の肉は、見た目では区別がつき辛いとされる。

 俺は尋問をするため、隠蔽を解除した。

 

「人間!? どこから……!?」


 連続して光弾を撃ち、手、肩、腿、と撃ち抜いていく。


「がっぎゃあ!?」

「これはなんの肉だ?」


 豚……とゴブリンは震える声で答えた。


「本当か? そのへんの子供をさらってきて、解体したんじゃないだろうな?」

「豚……豚゛た゛か゛ら゛あ゛……」


 ここまでいたぶられて、意地を張れるほどタフな種族だとは思えない。

 ならきっと、真実なのだろう。


 俺は哀れな姿で痛みに悶える、痩せっぽちの鬼を見下ろす。


 ゴブリンはエルザの人生を奪っただけでなく、何度も俺達の住んでいた王国に攻め込んできた亜人だ。

 宿敵と言っていい。

 それをこの手でひれ伏させ、一方的な暴力を加えている。


 とても気持ちいい。

 が、同時にとてつもなく胸が痛い。

 復讐は甘さと苦さ、どちらも同じくらい含んでいるのだから。


 いや。


 そもそもこれは、復讐なのか?

 俺は自分のいた異世界で、一匹残らずゴブリンを滅ぼした。

 報復ならその時点でとうに済んでいる。


 なのにこうしてまた、ゴブリンが現れた。

 それが意味するものはなんだろうか。

 ここにいるゴブリンは、俺が仕留めた損ねた生き残りなのか。

 それとも全く無関係な世界からやってきた個体なのか。もしそうだとしたら――


「お前、なんて次元の生まれだ」


 俺の質問に、ゴブリンは泣きじゃくりながら返事をする。


「ガイアラ……。ガイアラ……っ!」


 俺の知らない世界だった。地球でも俺のいた異世界でもなく、カナのいたアクアラでもない。

 こいつは、エルザを苦しめたゴブリンとはなんの繋がりも持っていない。

 

 自分の中で、何かが冷めていくのを感じた。

 これ以上こいつを痛めつけたところで、そんなのはただの八つ当たりだ。

 なんの意味もない。速やかに終わらせるべきだ。


「中に人間を閉じ込めていると聞いた。どこだ?」

「上……」


 節くれだった指が、天井を指している。二階と言いたいのだろう。

 俺はゴブリンにトドメを刺すと、台所を出た。


 玄関の方へと引き返し、階段に足をかける。

 一段飛ばしで、上っていく。

 足を動かすたび、ギシギシと音が鳴る。

 手すりが埃とネズミのフンで、悲惨なことになっている。

 俺はそれには触れないようにして、駆け足で上りきった。

 

 二階には、部屋が二つあった。

 まずは手前から調べよう。そう思ってドアに手をかけたところで、奥の部屋から二匹のゴブリンが飛び出してきた。

 反射的に両手から光剣を生成し、迎撃する。

 両手両足を切断されたゴブリン達が、階段を転げ落ちていく。


 じゃあ、奥が当たりか。


 わかりやすい形で白状されたので、俺はさきほどの二匹がいた部屋へと足を踏み入れる。


「……酷いな」


 中には五~六名の人間が縛り上げられていた。

 全員が若い男で、垢まみれになっている。口元にはガムテープが貼られていた。

 ホームレスとすれ違った時のような、すえた臭いが鼻の粘膜を刺激する。


 一体どこで排泄し、どんな食事を与えられていたかは考えたくもない。

 

 俺はさっそく彼らに昏睡スリープ魔法をかけると、ステータス鑑定を試みた。

 そうだろうとは思ったが、全員がれっきとした人間だった。

 

『藤本康介』


 見覚えのある名前も、鑑定された人質に混じっていた。

 ゲームセンターで遭遇した、あのアギルとかいうゴブリンがなりすましていた少年の名だ。

 即ちあいつに身分を奪い取られた、本物の藤本康介がこちらだということ。

 

 ここにいる藤本は、ただの犠牲者だ。助けてやらねば。

 見れば長期に渡って雑に手足を縛られていたらしく、手首と足首が酷いうっ血を起こしている。

 このままでは腐り落ちてしまいかねない。

 俺は藤本に魔法をかけた。


回復ヒール


 詠唱と同時に、見る見る手足の傷が塞がっていく。他の被害者も同様に回復させる。

 手足のロープは緩めておいた。

 あとは目を覚ましたら、自力で脱出するだろう。


 俺は部屋を出て、まだ見ていない箇所を順繰りに調べることにした。

 二階をさらに調査し、異常がないのを確かめると、一階に降りる。

 

 ゴブリンと出くわすたびに切り伏せ、情報を吐き出させる。

 人間がいれば、眠らせて治療をする。

 ただひたすら、その繰り返し。


 最後の一匹は、和室の押し入れに隠れていた。


「ひ……っ」


 ただでさえ小さな体を丸めて、ガタガタと震えている。

 優勢に回ればどこまでも残虐に振る舞うのに、劣勢になると臆病な面を露わにする。

 なんと矮小な精神性なのだろう。


 俺は憎しみや敵意を通り越し、憐憫に似た感情を抱き始めていた。

 こいつらとて好きでゴブリンに生まれたわけではない、なるべく苦しめない方法で仕留めてやるのが情けだ。

 

 光剣を構えると、尋問に入った。

 一通り知りたいことを聞いたら、急所を一突きして始末するつもりだった。

 

「他にゴブリンの巣はあるか?」

「……猫屋敷に……」

「それはもう他のやつから聞いた。何か目新しい情報をくれ」


 質量を持たない切っ先を、顎に突きつける。

 ゴブリンは膝を震わせながら、きょろきょろと目を左右に動かしていた。

 やがて何かを思い出したのか、はっとした顔になる。

 

「……あっ、あれだ! ここからそう離れてない家に、すげー綺麗な女が住んでる……皆そいつが欲しいって言ってた! た、たぶん、次はその家が襲われると思う。そこにいけば、他の連中とも会えるかも……」

「その綺麗な女とやらの名前は知ってるのか?」

「理緒。理緒だ。斎藤理緒。アギルが狙ってたって聞いたけど、あいつはもう死んだからフリーになったんだよ。なあ俺いいこと教えただろ? だから俺だけは生かしてくれよ、な? な? な……っ」


 見るに耐えない命乞いを始めたので、首を切り落とす。


 リオが危ない。


 俺は一目散に屋敷を飛び出した。

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