第97話 勇者ケイスケ、二十五歳 4

 すると、周りの騎士達がにわかにざわめき出した。

 わざわざ敵の誘いに乗って一騎打ちに付き合うなど何事か。包囲して仕留めるべきではないか、と。


「雑音がうるさいな」


 場所を変えるか? と俺はザガートに問いかけた。

 巨漢のトロールは無言のまま、首を横に振る。

 

 ここで構わない、とやつは主張しているのだ。

 己を包囲せんと騒ぎ立てる人間達の横で、俺ならば一騎打ちの誓いを守り抜いてくれるだろうと信じている。

 どうして初対面の俺を、そこまで信頼できるのだろうか?

 

 理由なんてわからない。

 それでも俺は、どこか深い部分でザガートと通じ合った気がした。


「安心しろ。野次馬に邪魔はさせない」


 俺は周りの騎士どもに、手出し無用と告げた。

 正々堂々とした戦いに酔っているとでも思ったのか、男達はせせら笑うような顔を見せながらも、口を閉ざした。

 あたりが静寂に包み込まれる。


 ザガートは満足したのか、


「感謝する」


 と短く言った。

 それで十分だった。


 ここから先は、言葉など要らない。

 純粋な闘争の時間、刃と刃で語り合う戦士の蜜月だ。


 俺は光剣を中段に構えると、開き気味だった足をゆっくりと閉じた。

 自分の体を傷つけるのを防ぐためだ。


 まだ異世界に来たばかりの頃の話である。

 俺は力任せに敵を袈裟斬りにし、振り抜いた刃で自分の左内腿まで傷つけてしまうことが何度かあった。


 親父の持っていた時代小説に、これは若い兵士がよくやらかすヘマだと書かれていたのを思い出す。

 新兵にありがちな自傷事故だと。

 じゃあそれを防ぐためにはどうすればいいかというと、剣の軌道上に、自らの手足が入らないようにすればいい。


 自然、がに股気味で動き回るということはなくなり、剣道の構えのようになる。


 切断に特化した剣で戦い続けると、このような形に落ち着くものなのか。

 はたまた俺の中に流れる日本人としての血が、この構えを導き出したのか。

 理由はよくわからない。


 一つだけ確かなのは、俺がこの体運びを覚えてからというもの、負け知らずだということ。


 俺は手首を小刻みに揺らし、踏み込むタイミングを図る。

 ゆらゆらとくゆらせる動きは、頭の中でカウントを取るのを補助してくれる。

 それでいて揺れる切っ先は、相手の集中力をかき乱す効果がある。

 現にザガートの視線が、光剣の先端を追っているのがわかる。


 記憶の中にうっすらと残る母国の剣術に、実戦で磨いた経験を混ぜ合わせた、俺独自の剣技。

 日本に帰りたい。死にたくない。そんな渇望が反映された、物悲しい技術だった。


 対するザガートは、己の体格と筋力に絶大な自信を持っているのだろう、泰然とした構えだ。

 両足を大きく開き、故郷の大地をしっかりと踏みしめている。

 

 何もかも正反対だな――

 そんなことを考えながら、俺は地面を蹴った。

 ここは母なる地球でもなんでもない。俺にとっちゃ義理の母なのだから、遠慮なく蹴飛ばしてやれる。

 べごっ、と足元がへこむ音を聞きながら、俺は短く息を吐いた。


「――ふっ」


 気合一閃、横薙ぎに剣を払う。

 同時に、ザガートの戦斧が振り下ろされる。


 魔力で生成された光剣の刃は、質量を持たない。

 同じように魔力を込められた刀身でない限り、鍔迫り合いは不可能だ。

 この剣に触れた物体は、なんであろうと切断される。


「……ぬ!」


 ザガートの斧が、真っ二つに両断されるのが見えた。

 神聖剣スキルを持った相手と戦うのは、初めてなのだろう。

 鋼の戦斧すら引き裂く切れ味に、驚きを隠せないようだ。


 ほんの一瞬とはいえ、敵があっけにとられている。


 ――好機。


 俺は続けざまに下から上へと剣を切り上げ、追撃を放った。

 しかし相手もまた腕利きの戦士。

 分厚い体にそぐわぬ機敏な動きを見せ、紙一重のところで回避された。


「オオオオオオオオオォォォォ!」


 ザガートは獣じみた咆哮を上げながら、欠けた斧を地面に叩きつけた。

 衝撃で足元が揺れ、体勢が崩れる。

 

 悪くない手だ。

 なんたってやつの斧は、人の身長ほどもある。

 例え刃物としての性能を台無しにされても、鈍器としての機能はまだ残っている。

 それをトロールの馬鹿力で地面にぶつければ、ちょっとした地震を引き起こすことだってできる。


 足元のおぼつかなくなった俺に、ザガートは決死の突撃を挑んできた。

 斧はやはり頭上に振りかぶっている。脳天に叩きつけるつもりなのだろう。

 やつの攻撃は、上から下へ振り下ろす動きが多い。

 自身や武器の重さ、即ちこの世界の重力を生かした戦い方なのだ。

 

 俺には真似できないやり方だった。

 

 俺の体は、決して大きくはない。元は華奢だった骨格に、後天的に鍛えた筋肉をまとっている。それでようやく人並みの戦士とった体格だ。

 きっと俺の先天的な資質は、戦士などではなかったのだろう。

 日本のどこかで平和に過ごすために作られた体で、召喚勇者なんぞをやっている。


 ここではない別の場所で生まれ、本来の適性とは違う生き方をさせられている。

 俺は、この世界に祝福されていない。母なる大地に疎まれた、呪われた養子だ。


 だからこそ、俺は逆らう。

 重力に逆らうように。そんなものの助けは要らないとばかりに。

 質量を持たない光の剣を、下から上へと振り上げる。

 この世界に存在しないはずの剣技で、他の何よりも速く――

 

 上段から落ちてくるザガートの斧よりも、一層速く。

 速く。

 速く。

 速く――!


「あああああああああああ!」

「ゴオオオオオオオオオオオォ!」


 俺とザガートが交差した瞬間、剣が肉を断った、確かな感触があった。

 剣を持ち直しながら、静かに後を向く。

 見ればザガートの両腕は肘から下で切断され、斧を握ったままの状態で足元に転がっていた。


「……見事」


 巨漢のトロールは、ずしりと膝を折った。

 勝敗は決したのだ。


 決闘が始まる前、こいつは言っていた。

 もしも自分が負けたのならば、その時は好きにしろと。

 俺はザガートの目を見て、相手の感情を読み取ろうとした。

 けれど黄色く濁った瞳からは、恐れも諦めも見い出せない。この男が何を考えているのかは、誰もわからない。


「……殺せ」


 俺がザガートの処遇で迷っていると、誰かが呟いた。

 俺達の戦いを見守っていた、騎士の一人だった。


「殺して下さい、勇者殿」

「相手は人食鬼ですぞ」

「殺せ! ……殺せ!」

「殺せ!」

「殺せ!」

「殺せ!」


 殺せ。殺せ。殺せ。

 戦意を喪失した亜人を取り囲んで、無数の騎士達が殺せコールを繰り返す。

 それは異様な光景だった。


 憎しみと怨嗟の大合唱。


「……お前も人間を喰うのか?」


 俺の質問にザガートは「ああ」と答えた。


「我らはそのように作られている。人の肉を喰わねばこの冬を越せぬ」


 なら人類の天敵だ。生かす理由はない。

 だけどこいつは武人として俺を見込み、堂々たる一騎打ちを演じて見せた。

 同胞の巣穴を守るため、たった一人で大軍と対峙した男なのである。


 俺は……。

 俺の選択は。


「殺せ!」

「殺せ!」

「殺せ! 勇者殿がやらないなら俺がやる!」


 ザガートは静かに頷き、そして笑った。


「我を討つがいい。生かしたままにしておくと、お前の立場が悪くなるのであろう」

「……なんでお前は、トロールなんかに生まれたんだ? お前が人間なら、どんなに救われたことか」

「お前こそ、なぜ人間なんかに生まれたのだ?」


 ……違いない。

 どうしていつもこうなっちまうんだろうな、と苦笑しながら、俺はザガートの首をはねた。

 騎士達の歓声が上がり、トロールの英雄は物言わぬ死体と化した。


 俺の中で、また一つ何かが死んだ瞬間でもあった。

 魔物を倒すたび、少しずつ違う自分になっていく。

 中元圭介だった心が、人格を持たない勇者に塗り替えられていく。


 エルザ。

 エルザに会いたい。

 またあいつをこの腕に抱きとめないと、俺は人間のままではいられない。

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