第96話 勇者ケイスケ、二十五歳 3

 おおん、という唸り声がする。

 それは洞窟の奥から鳴り響き、びりびりと空気を震わせる。

 恐れをなした鳥達が樹上から羽ばたき、一斉に飛び去っていく。


 声は、一種類ではない。

 重低音の叫びと、やや高い叫びが聞こえてくる。

 おそらくは捕獲した子トロールの、父親と母親だろう。

 我が子を救い出さんと、我を忘れて飛び出してくるに違いない。


 人食鬼といえど肉親の情は健在か、と複雑な気分になりながらも、俺は洞窟の前に立った。

 神聖剣スキルの特性を生かし、斬撃を入り口前に設置する。

 地面すれすれの、ちょうど足首のあたりの高さだ。

 紐を張って転倒狙いの罠を仕掛けるとしたら、このくらいの位置になるだろう。


 もっとも、俺が狙っているのは足払いではなく、足の切断なのだが。

 理性を欠いた状態で突撃してくるトロールがどうなるかは、言うまでもない。

 ドスドスという足音、肉の切れる音、無様な悲鳴。


「グオアアアアアア!」


 ほらな、と俺は目をつむる。

 あとはただ待っているだけで、次々と歩行困難のトロールが生み出されていくだろう。

 わざわざ戦闘に入る必要すらない。


 俺は周囲の騎士達に、とどめを差してやるよう告げた。

 トロールがじたばたともがく様は見苦しく、直視に耐えうるものではない。


「神官長が言うには、なるべく残酷に殺せとのことだ。お前らの判断に任せる」

 

 勇者殿は気が利きますな、と笑う声が聞こえた。

 前々から亜人をバラしてみたかったんだぜ、とも。

 これで異世界では品のいい方に入る連中なのだから、気が滅入ってくる。

 

 俺が地面に腰を下ろすのと同時に、悪魔もびっくりの解体ショーが始まった。

 まるで家畜の屠殺現場だ。

 血飛沫が上がり、磔にされた子トロールの見ている前で、両親が肉塊へと変わっていく。


 人間の騎士達は口元に愉悦の笑みを浮かべ、返り血は全く気にしていないように見える。


 こんなやつらでも王都に帰還すれば、人々を怪物から救った英雄として宣伝されるのだろう。

 実際、人間族から見れば、俺達は救世主で間違いないのだけれど。

 それでもどこか腑に落ちない点がある。


 もっと残酷に敵を殺せ。

 もっと完璧に勝利しろ。

 ほんの一瞬でも人間族に敵意を向けてきた相手は、絶対に許してはならない。


 それが大衆の要求であり、その願いに応え続けた果てが、目の前の騎士どもだ。

 

 俺もああなるべきなんだろうか?

 今すぐ剣を抜いて、トロールの内蔵を引きずり出す作業に混じるべきなんだろうか?


 もしそれが勇者のあるべき姿なのだとしたら――

 完成された勇者ってやつは、人格を持たない暴力装置なのかもしれない。

 ただただ目の前の敵を屠り続ける、人型の台風。

 

 だったら俺は勇者失格だな、と自嘲する。


 そんなものになりたくはないし、なれそうもない。

 俺はエルザのおかげで人間に戻れたのだから、人の心を持ったまま魔王を倒したい。

 これは下らないわがままに過ぎないのだろうか?


 あるいは単に疲れてるだけかもしれないな、と息を吐く。

 この世界に呼び出されて以来、ずっと戦闘続きなのだ。

 休むことなく戦っていれば、人間おかしくもなろう。

 

 これが終わったら休暇を貰って、エルザと旅行にでも行こうかな……と心ここにあらずに陥ったところで、とんとんと肩を叩かれた。

 あの顎髭の騎士だった。


「どうした?」


 騎士は何か言葉を発しようとしたが、それは叶わなかった。

 口を開ける前にふらりと前のめりになり、そのまま俺の方へと倒れ込んできた。

 

「……おっと」


 咄嗟に受け止めると、騎士の背中から腰にかけて走る、斜めの傷が視界に入った。

 トロールをバラしている最中に、手痛い反撃でも食らったんだろうか?

 俺は魔法で治療を済ませると、解体作業を続けている集団に近付いて行った。


「怪我人が出たようだが」


 返事はない。

 騎士達は無言でバタバタと倒れていく。

 不審に思った俺は、咄嗟に視線を巣穴の方へと向けた。


 何か来るとしたら、死角になっている場所からだと思ったのだ。


 予感は的中。

 

 洞窟の中から、ごう! と風を切る音がする。

 ただの突風ではない。あれはもはや真空の刃と言っていい領域だ。

 俺は咄嗟に体の位置をずらし、回避運動に移る。

 が、見えない斬撃は俺の頬を掠め、わずかに皮膚を抉っていった。


「……俺の肌を切った?」


 俺が負傷するなんて、一年ぶりだ。

 相手はよほどのステータスの持ち主と見受ける。

 俺はじっと洞窟の奥を睨みつけながら、気配を伺う。

 

 二つの黄色い瞳が、ぎらぎらと輝いているのが見える。

 

 おそらく、あいつがこの巣穴の主なのだろう。

 入り口前になんからの罠を仕掛けられたのに気付いたため、籠城しながら飛び道具を仕向けることにしたらしい。

 知能が低いとされるトロールの中では、とびきりのインテリだ。


「あぶり出すか」


 俺は左手で騎士達に回復魔法をかけながら、右手で洞窟に雷撃魔法を放った。

 パリパリと音を立てて伸びたスパークが、洞穴の内部を蹂躙する。


 遠距離攻撃の撃ち合いになれば、高位魔法を使えるこちら側が有利だ。

 なにせトロール族ってのは、ろくな魔法を覚えない。

 やつらの本領は恵まれた体格を生かした接近戦であり、離れて戦っている以上いつかはジリ貧になる。

 俺が逆の立場だったならば、逆転の目を狙うべく距離を詰める道を選ぶ。


 だが入口に罠を設置されているとなると、どこから出てくるだろう?

 

 数秒ほど思案し、そして気付く。

 なにもご丁寧に、今ある出口を使う必要などない。

 トロールの筋力だったら、いつでも新しく出口を生み出せる。


「やっぱな」


 そう来ると思ったよ、と俺は苦笑する。

 真空刃のトロールは、どうやら洞窟を破壊することに決めたらしい。

 ガァンガァンと、何かを壁に叩きつける音が聞こえる。

 やがて凄まじい轟音と共に天井が崩落し、パラパラと瓦礫が落ち始めた。

 粉塵が舞い上がり、一気に視界が悪化する。


 砂埃の中、巨大な影が移動するのを俺は見逃さなかった。

 本来の入り口を避け、側面に新たに作られた穴から飛び出した巨漢を追う。


 シルエットを見る限り、武装したオスのトロールだ。

 身長は三メートル近いだろう。現実世界におけるヒグマ並の体格だ。


 俺は影を視野に収めながら、手早くステータス鑑定を行なう。




【名 前】ザガート

【レベル】101

【クラス】戦士

【H P】22770

【M P】0

【攻 撃】23450

【防 御】17670

【敏 捷】7000

【魔 攻】0

【魔 防】9010

【スキル】戦斧術 自動再生 夜目

【備 考】トロール族の戦士。磨き抜いた斧術で、真空の刃を生み出すことが出来る。




 ほう、と思わず声が漏れる。

 どうやら魔法ではなく、純粋な武芸で斬撃を飛ばしていたらしい。

 これが人知を超えた膂力のなせる技か、と敵ながら感心してしまう。


 異世界の物理法則が多少地球と異なるせいもあるだろうが、それにしたって離れ業であることには変わりない。

 曲がりなりにも剣を扱う者の端くれとして、敬意にも似た感情が湧いてくる。


「俺の名は中元圭介。人間族の勇者だ」


 ようやく視界が晴れてきたため、相手の顔がはっきりと見えてきた。

 ザガートなるトロールは、角飾りのついた兜を被った、屈強な大男だった。

 全身を鎧で覆い、右手には巨大な斧を持っている。


 悠然とした立ち姿は、やつが歴戦の古強者であること匂わせていた。


「我、ザガート」


 俺は光剣を構え、いつでも迎撃出来る体勢に入る。


「我は尋常な立会いを所望する」


 ザガートは斧を上段に構えた。ただでさえ大きな体が、さらに一回り膨張したように感じる。


「一騎打ちだ。我が勝った暁には、人間どもの撤退を要求する」

「お前が負けたなら?」

「お前の望むままにせよ」


 いいだろう、と俺は頷いた。

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