第205話 ちょろすぎ注意報
――翌朝。
寝ぼけまなこでリビングに向かうと、そこには木刀で素振りをするリオの姿があった。
「せいっ! やあっ!」
隣にはクロエが寄り添うにように立ち、「もっと速く」などと助言を送っている。
驚いた。昨日の今日でもう剣術指導を始めているらしい。
「さっそくやってるのか」
感心感心、と声をかけると、二人の少女は声を揃えて「おはよう」を口にした。
「どんなもんだ? リオの太刀筋は」
「悪くないね」
クロエは目を輝かせて語り始める。
「びっくりしたよ。この子、ひょろっちく見えるのに剣に迷いがないんだもの」
「へえ……ヤンキーだけあって肝が据わってんのかな」
「これはあれだね、いわゆる体のリミッターが外れてるってやつだ。どうやらリオは、常人なら痛みを感じる領域まで力むことができるみたい。別に体が壊れても構わないって姿勢は、まさしく狂戦士の剣だね」
「それは……」
「やっぱり彼女が日本人だからかな? ハラキリやカミカゼの民族だから、痛覚耐性が強いのかもしれない。あとは基礎ステータスさえ上がれば、厄介な前衛になると思う」
見ればリオは、恍惚の顔を浮かべながら素振りをしているようだった。
おそらく腕の痛みが快感なのだろう。明日以降は筋肉痛のおかげで、一日中気持ち良さを維持できるはずだ。
幸せな性癖である。
リオは潤んだ瞳を俺に向けると、とろんとした顔で言った。
「中元さんの娘なだけあって……この子のスパルタ具合、やばいね」
「お、おう」
「あたしクロエとは上手くやっていけそうかも」
「それは良かった」
教師と生徒で性格の不一致が起きたらどうしようかと思ったが、この二人は相性が良さそうだ。
「ところでその木刀はどこから出て来たんだ? クロエが魔法で作ったのか?」
「これ? レオが小学生の時に、修学旅行で買ってきたやつだけど」
「なんでそんなものがここにあるんだ」
「朝一番に電話したら、レオが持ってきてくれた」
「兄貴使い荒いなお前」
姉妹のいない俺にはよくわからないが、どこの兄貴もこんなに甘いものなんだろうか……。
キングレオは彼女がいるらしいので、リオに妙な気があるというわけでもないだろうし、純粋に妹想いなのだろう。
まるで彼氏のような振る舞いをしておきながら、そこに性欲は一切絡まない。
まさに肉親の鑑と言える。
もちろん、俺だってそうだ。
確かに俺は昨日、実の娘と一緒にお風呂に入って体を洗いっこしたけど、いやらしい気分にはなっていない。
なのでもの凄く健全な行為だ。
キングレオがやったことと完全に一緒だ。
あいつは朝から妹に木刀を届けた。俺は娘の体を素手で洗った。そこになんの違いがあろう?
「いや、めっちゃ違うなこれ」
もはや言い逃れできない罪悪感に打ちひしがれながら、俺はくるりと回れ右をした。
あの調子なら、クロエはリオをいっぱしの剣士に育てあげるだろう。
あとは、フィリアとアンジェリカか。
信仰も性格も全然違う上、レイス騒動で因縁のあるペアをどうやって近付けたものか。
俺はくるりと回れ右をして、フィリアの眠る部屋へと足を進めた。
ドアを開け、押し入りのようにズカズカと上がり込むと、迷うことなく布団をひっぺがした。
「んん~……」
悩ましげなネグリジェ姿でぐずる、四十五歳女子。
今のフィリアが正気なのか、はたまた曖昧な状態なのかは誰にもわからない。
「フィリア、フィリア。お前今どっちなんだ。正気か?」
「んぅ~……」
演技なのか素なのか、皆目見当がつかない。
俺はどちらかといえば鈍感な方なので(どちらかといえばどころじゃないだろという指摘が聞こえる)、女の演技なんか見抜けるわけがないのである。
しょうがないので、少々手荒な手段に出ることにした。
「エルザはこういう時、すぐ起きてくれたんだよな……」
「……」
「やっぱあいつの方がいい女だわ」
「おはようございます勇者殿」
なんだよ正気なんじゃん、という本音は押し殺しておく。
俺は薄目で睨んでくるフィリアをなだめながら、さっそく本題に入ってみた。
「お前さ、アンジェのことどう思ってる?」
「そうやって勇者殿はいつもいつもエルザ殿と私を比べてたんですね。知ってるんですからね。あちらの世界にいた時からそうでしたもんね。貴方は若くて髪の黒い女が好きなんですよ、どうせこの家の中にいる女ではあのリオとかいう小娘が一番のお気に入りなんでしょう? 私はあの娘を見ているとエルザ殿に貴方を盗られた時のことを思い出して屈辱で気が狂いそうに」
朝からうるせえな、こいつ。
キスで口を塞いでやってもよかったのだが、それをやると話し合いができなくなるほど蕩けてしまうのがフィリアという女なので、しかたなく俺は愚痴を聞いてやることにした。
フィリアは相当不平不満が溜まっているらしく、エルザへの恨み言を一通り吐いたあと、和食は口に合わないだの日本の服はセンスがおかしいだの、日本人の前でそれを言うのはどうなのかと思う内容をまくし立て始めた。
日本スゴイ系の番組が流行っている世相をガン無視したガイジンさんである。
「もはやこの国で褒められるものといえば、勇者殿くらいのものですね」
「回りくどいデレ方してんじゃねえよ」
それからフィリアは、照れくさそうに俺の顔立ちと筋肉を褒め、ベタベタとまとわりついてきた。
女って愚痴を聞いてやると機嫌よくなるよな。エルザから母ちゃんまで、皆そうだ。
そういう生き物なのだ。
「……ずっとこうしてていいですか」
フィリアは俺に抱き着きながら、鼻にかかった声で言う。
「別にいいけど、その前に元の話に戻ろうな。お前、アンジェに法術教えてやれよ」
「嫌ですよ。なんでそんな面倒なことをしなければならないのですか。大体、私が時間制限つきとはいえ正気に戻れることから説明しなければならないじゃないですか。ますます面倒です」
「それがお前にとっての罪滅ぼしだろ。やれよ」
「罪?」
「あいつに悪霊をたっぷり憑依させたのはお前だろ」
「……それはそうなのですが」
気まずそうに眼をそらすフィリアに、とどめの言葉を投げかける。
「俺、包容力のある女が好きなんだよな。エルザもそうだったし。人にものを教えるのが上手いのってポイント高いと思うぜ。年上の魅力って感じするしな、そういうの」
「……」
やります、とフィリアは小声で呟いた。
どこまでもちょろい女だった。
なんだかんだで俺達、上手くいってるよな。
と、妙な感慨を覚える俺だった。
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