第七章 スパイ大作戦
第206話 暗殺稼業
深夜零時。
俺は街灯の光に照らされながら、尾行を続けていた。
前方には、今夜の獲物が背中を丸めて歩いているのが見える。
今の俺は隠蔽魔法をかけているので、気配を悟られる恐れはない。
だからきっと、この殺しも成功することだろう。
――月が高い。
見上げた夜空は雲一つない晴天で、黄色い三日月がくっきりと浮かび上がっていた。
なんだか人の爪が浮かんでいるようだ。
「行くか」
ほう。と小さく息を吐くと、俺は大きく身をかがめた。
まるで徒競走でも始めるかのように、スタートダッシュの構えを取る。
イメージするのはピストルの弾だ。
己を肉体を一個の弾丸とみなし、頭の中でカウントを取る。
三、二、一。
「――ふっ!」
勢いよく地面を蹴り、獲物に向かって飛びかかる。
瞬間、足元からバゴオッ! という衝撃音が鳴った。
間違いなく地面にはクレーターができているはずだ。俺の全力疾走は、いともたやすく靴裏のアスファルトをえぐってしまう。
だが、鍛えぬいた隠蔽魔法のおかげで、俺以外の人間は静寂に包まれていることだろう。
俺の足音も呼吸音も地面が壊される音も、光剣を発生させた際のヴゥンという音も――聴き取ることは叶わない。
「……?」
俺は一瞬で獲物との距離をゼロに詰めると、迷うことなく延髄に刃を突き刺した。
脳と脊髄の連携を断たれた以上、待っているのは速やかな絶命だ。
「……!?……!?」
獲物はぐるりと白目を剥くと、泡を吹いて痙攣し始めた。当人の意思とは関係なく、単に神経が反応しているだけなのだろう。
まさに命が燃える尽きる寸前の最後っ屁と言える。
散り際が美しい生き物は、滅多にいないのだと改めて思う。
これ以上は見ていられないので、俺は獲物の体を真っ二つに両断した。
左右に分割された男は、ドサリと地面に崩れ落ちる。
しばらく待つと、男の体は醜いトロールの姿へと変わった。生命が停止した結果、やつがかけていた偽装魔法が解けたのだ。
……終わった。
ふうとため息をつき、返り血を拭う。
今月に入って、既に三件目の暗殺だった。
依頼人は当然、杉谷さんだ。異世界から地球に紛れ込んでくる怪物は、日増しに増えているらしい。
俺が今仕留めたこのトロールも、人間に化けてあれこれと悪さを繰り返していたそうだ。
やはり、刺客が送り込まれる頻度が上がっている。
毎度のように迎撃を繰り返しているが、なんだかモグラ叩きめいた虚しさがある。
俺はスマホから亜人退治が終了したと杉谷さんに連絡すると、ちょっと考えてから意見を出してみた。
『そろそろこっちから攻めることも考えてみた方がいいんじゃないですかね』
防戦一方では埒が明かない。どこかでガツンと決めるべきだ。
俺の進言に何を思ったのか、杉谷さんは既読マークをつけてからたっぷり一時間も沈黙したあと、
『検討しておきます』
と返事を寄こしたのだった。
* * *
「ただいま」
マンションに戻ると、部屋の中は既に明かりが落とされていた。
時刻は深夜一時半。皆とうに眠ってしまったようだ。
俺はリビングの電気を点けると、真っ直ぐに食卓へと向かった。
そこにはラップされた夕飯が置かれていて、皿の下には『チンして食べて下さい。綾子』と書かれたメモが挟まっている。
相変わらず綾子ちゃんの字は綺麗だ。達筆でありながら、どこか女の子っぽい丸みがある。
恋文用フォントとしてこのまま商品化してもいいくらいだ。
字は性格が出ると言うが、そうなると綾子ちゃんの内面は育ちのいいお嬢さんということになるのであろう。
「……」
刹那。
あの綾子ちゃんの内面が、本当にそれでいいのか? という疑念が浮かんだ。
俺はメモを顔に近付け、もう一度観察を行なう。
なんだろう。
確かに綺麗な文字なのだけど、あまりにも整い過ぎているように見受ける。
たとえるならこれは、猫を被っているような……そう、心の動揺を悟られぬよう、意識して丁寧に書いた文字に見えないだろうか?
俺はラップを外し、夕飯に目を向けた。
何の変哲もないオムライスに見えるが、中身がどうなっているかよくわからない。
こういう時はあれに限るよな。
「……ステータス・オープン」
ステータス鑑定は、やろうと思えば無生物も対象にすることができる。いわゆるアイテム鑑定として使えるのだ。
まったくもって便利な機能だが、まさか食事のたびに使う羽目になるとは思わなんだ。
【名 前】大槻綾子の手作りオムライス
【レア度】C
【属 性】闇
【耐 久】10
【備 考】大槻綾子が作ったオムライス。今回は盛りつける前に皿を一時間ほど舐めた程度で済んでいる。
なんだ、そんなもんか、と俺は胸を撫でおろす。
口にしたら最後、四日は勃起が止まらなくなる量の精力増強剤とか、外国から取り寄せた強めの睡眠薬とか、わけのわからない物体が入っていることが多々あったので、それに比べれば全然大したことがない。
たかが間接キスなら、余裕で「日常」の範囲である。
俺は上機嫌でオムライスをレンジに突っ込むと、過熱を開始した。
ケチャップライスと卵、それに綾子ちゃんの唾液が温められているところを想像すると、苦笑いするしかない。
変な雑菌っていうか怨念とか魔力とかが繁殖してそうだけど、どうでもいいや。
「はー美味そ」
俺はホカホカになった夕飯を取り出すと、ものの数分で平らげた。
男の一人飯なんて、こんなものである。なんか口の中がJK臭くなってきた気がするけど、あくまで男の一人飯なのである。
さて。食事が済んだら、次は風呂に入るとしようか。
俺は脱衣所に向かい、上着をべろりと脱ぎ捨てた。
その瞬間、スマホがブルブルと震え始めた。
「お」
なんだなんだ、と俺はさっそくメッセージを確認する。
こんな時間に誰だろう?
『明日、話したいことがあります。できれば中元さんが飼ってらっしゃる、異世界人の女性を連れて来てください。連れてくるのはお一人で結構です』
……杉谷さんだった。
俺とアンジェリカ、あるいはフィリアに要件があるらしい。いや、一応エリンも異世界人の女性ではあるか。今は猫だけど。
果て、一体あの人は何を企んでるんだろうか。
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