第104話 決意表明
「お父さんって、心の病気なんですか?」
散々泣き喚いて疲れたのか、フィリアはようやく大人しくなり始めていた。
これなら俺が出るまでもないなと判断し、寝かしつけるのは綾子ちゃんに任せることにした。
しばらくぶりにできた、余暇。
俺は何をするでもなく窓辺に座り、外の景色を眺めていた。
朝から昼へと向かいつつある、ホテル街。
その落ち着いた町並みをぼーっと視線で撫でていると、冒頭の質問をアンジェリカが投げかけてきたのである。
「……俺は健康だけど」
「でもアヤコが言ってたじゃないですか。PTなんとかって」
「PTSDな。綾子ちゃんは心配性なんだよ。なんせほら、育ちのいい子だからな」
まあ、心当たりがないわけじゃない。
確かに異世界召喚されてすぐの頃は、戦闘後に吐いたり変な物が見えたり、という症状があったのだし。
けれど段々と頭の奥が麻痺するようになって、気が付いたら作業的にこなせるように……ってこれ一番やばいやつだったりするのか?
なんだろう。
唾つけたらそのうち治るだろ、をメンタルに対してやってしまった感じになるのだろうか。
もしくは治ってなどいないのか。
とりあえず傷は塞がったけれど変な形にくっついてしまったのを、放置したままみたいな感じか?
今無事に動けるなら、それでいいじゃないかとも思うが。
仮に俺がどっか壊れてたとして――それはそんなに不味いことなんだろうか?。
敵を殺めておきながら、平気な顔して歩き回ってる方がやばい奴じゃないかって気がするし。
戦場における苦悶が人間らしさの証だというならば、これは背負っていかねばならない十字架なのではないか、と俺は思う……んですけど……。
「待て、それは反則だって。アンジェ!」
俺が少々格好つけ気味に持論を展開してるというのに、このアンジェリカときたらぽろぽろと涙を流しているのである。
何を言っているのか非常に聞き取り辛いが、お父さんがどこか悪いなら治して欲しいです、とか大体そんなことを口にしているようだ。
「う、うううう~」
「わかった、わかったから」
おろおろとベッドの方に目を向ける。
綾子ちゃんは登場人物を全員父親に改変したシンデレラを、寝物語としてフィリアに聞かせているところだった。
つまりおっさんがおっさんの玉の輿に乗るエグいストーリーを、頬を紅潮させながら語っているのだ。
フィリアはよく意味がわかっていないらしく、穏やかな顔で耳を傾けていた。
どうやら大丈夫そうだ。
綾子ちゃんは空想の世界に没頭していて、俺がアンジェリカを泣かせたことには気付いていない。
「とりあえず落ち着けるとこで話そう」
俺はアンジェリカの肩を抱き、バスルームへと連れていく。
正直言って全然落ち着ける場所ではないのだが、第三者の視線をシャットアウトするだけでも意味があると思いたい。
俺はアンジェリカに座るよう促す。立ちっぱなしもなんだろうという配慮だ。
アンジェリカはぐしぐしと鼻を鳴らしながら、すとんと便器に腰を下ろした。
そして俺は棒立ちのまま、泣きじゃくる愛娘を見下ろしている。
……気不味い。
これがただの喧嘩ならともかく、俺を心配するがあまり泣いてしまったときているので、強く出れない。
日本に戻ってしばらくの間、定職に就かずに過ごしてたら母親が泣き出したけど、あの時と似たような気分だ。
想われるがゆえに泣かれる。これが一番辛い。
こんな時エルザが相手だったらどう対処してたっけ――と思ったが、あいつは滅多に涙を見せない女だったので、こういう経験に俺は酷く疎いのだった。
むしろ若い頃の俺はやや情緒不安定になっていたので、エルザに慰められてばかりいた覚えがある。
俺の頭を膝の上に乗せて、よしよしと頭を撫で回してきたのは一度や二度では済まない。
エルザは女友達であり恋人であり、同時に姉や母親の役割までこなしてみせた、凄い女なのだった。
俺が異世界でもやっていけたのは、大体この人のおかげだと言える。
つまりなんというか、俺はどちらかというと甘えるのが得意なタイプなのだった。
自分がおっさんになる心構えなんて全然できてなかったので、若い女の子の面倒を見るのがとんと苦手なのである。
……今年で三十三になるってのに。
そりゃあ俺の半生は不幸の連続だし、頭をやられてしまった疑惑もあるけれど、それにしたって大人としての責任はあるだろう。
アンジェリカをなだめて、ドラゴンどもを始末する。
これが今の俺にできる、最善の選択。
「あー……、あのなアンジェ」
頬を掻きながら、声をかけてみる。
なんと言ったものやら。
「お前が俺を気遣ってくれるのは嬉しいんだが、そのなんだ。泣かれると非常に困るっていうかな?」
「……」
「俺にどうして欲しいんだ? どっか病院にでも行けってことか? でもなんと説明したものやら。この世界の誰も知らない戦争に従軍して精神がやられたっぽいんです、なんて医者に打ち明けたら、それこそ本格的に発狂してると思われて強い薬を飲まされそうな……それ退院できんのか……?」
ずっと鉄格子のはまった隔離病棟で過ごすなんて、嫌だぞ俺は。
やっぱり医者にかかりたくないんだが、という思いがふつふつと湧いてくる。
「お父さんはずっと無理してたんですか?」
「え?」
急に顔を上げたかと思うと、アンジェリカは真剣な眼差しで俺を見てきた。
「本の中のお父さんは、まるで怖いもの知らずの英雄みたいに書かれてました。勇者ケイスケ様は何も恐れなくて、好きで皆のために戦ってる凄い人なんだって。でも違ったんですね」
「……幻滅したか?」
「ですね」
「そ、そうか」
「お父さんじゃなくて、自分の故郷にですよ」
アンジェリカはむっと口を尖らせている。
「私と同郷の人達がそこまでお父さんを追い込んでだって思うと恥ずかしいですし、呑気にお父さんをヒーローだって憧れの目で見てた自分も嫌ですし、あー……もうっ! って感じです」
俺に対して怒ってるわけではないんだろうか。
同胞へのやるせない怒り。こればかりはどうしようもない。
「アンジェのせいじゃないんだし、お前が責任を感じる部分じゃないよ」
「……そんなこと言われても、感じちゃうに決まってるじゃないですか」
「それはまあそうかもしれんが」
「だって私をお父さんに献上したことが、あっちの世界の人達の尻拭いなんですよ。なのに私はその役割を果たせてないんですもの」
「んっと……どういうことだ」
アンジェリカはなにやら尻ポケットをごそごそやりながら言う。
「ですから。あちこち具合悪くなったりエルザさんを失ったりしてまで、魔王を倒して下さったお父さんへのお礼として私が来たわけですし」
「半分は罠目的だったようだが」
「私は! ちゃんとねぎらい目的で来たんですからね」
「わかってるって」
あった、とアンジェリカは声を上げる。そしてひょい、とそれを俺に投げて寄こした。
なんだろうこの、ピンク色の体温計みたいなのは……。
「ってこれ――」
俺の勘違いでなければ、妊娠検査キットと呼ばれるものに見える。
少し照れ臭そうに目をそらすアンジェリカの様子からすると、実際にこの解釈で合っていると考えて間違いない。
「お、おま……まさか……」
「はい」
アンジェリカは深く頷く。
「使い方はアヤコに教わりました。なんでか知らないんですけど、それアヤコの着替えが入ってる棚にびっしり詰まってたんですよね」
「あの子こそ一度いい病院で診てもらった方が……」
言いながら、俺は己の記憶を探る。
ここ数日間、記憶のない夜はなかったか。テレビ局関係者にうっかり飲まされた日が一度か二度はあったはず。
まさかその時に……。
「私はお父さんをこの身で慰める、生きた謝礼です。なのに未だに手を出されてないのは恥だと思うんです」
「恥」
「お父さんの心は私が癒やします。……この体で!」
ぐっと胸を張るアンジェリカ。豊かな膨らみが布を突き上げ、はちきれんばかりになっている。
「……女の世界にも友情はあります。アヤコと私はお父さんを取り合うライバルですが、同時に共通の趣味を持つ友でもあります」
「お前らの共通の趣味って何?」
「父親です」
「即答したな。……で、それとこの物騒な代物がどう関係あるんだ?」
これはオモチャなんかじゃない。凶器だ。
女の子から渡されたら、ほぼ全ての男が恐れおののくであろう魔性の道具なのだ。
「遊びで持ち出していいもんじゃないんだぞ、この検査キットは」
「知ってますよ。だから持ち歩いてるんですし」
アンジェリカは目尻の涙を拭きながら告げた。
「二人で話し合って決めたんです。私とアヤコ、先に赤ちゃんが出来た方がお父さんの正妻になるって。そして奥さんになった方が、全身全霊をもってお父さんの心のケアに取り組むんだって」
俺の意思は?
一番重要なことを聞いてみるけれど、見事なスルーをかまされる。
「今晩からは、お父さんにも頑張って貰いますから」
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