第103話 勇者誕生

 もう、嫌だ。


 今日も俺は茂みの陰に伏せて、じっと息を潜める。

 異臭のする草のベッド。ここが俺の寝床であり便所でもあり、そしてきっと墓場になる。


 帰りたい。


 母さんの作った晩飯が食いたい。家にいる間は大して美味いとも思わなかったけど、今なら何杯でも食えそうだ。

 父さんは今もまだ仕事中なのかな……。


 そんなことを考えながら、空を見上げる。

 夜空に瞬く星達は、地球とは全く違う配置で並んでいる。

 ここは俺の故郷ではないのだと、嫌でも意識させられる。

 こんなものを眺めていても、寂しくなるだけだ。

 俺は顔を伏せて、また警戒体勢に戻る。


 あれから何日経っただろう。

 隣で寝そべっている騎士に聞いてみると、ちょうど十日だと返ってきた。

 どうしてわかるんです? と聞けば、


「ちゃんと数えてたからな。だがこっから先は、きちんと数えられるかどうかわかんねえ。なんせほれ、今の俺は十本指だからな」


 と騎士は笑った。


「笑えないよ、その冗談」


 この騎士はさきほどの戦闘で、下半身を失ってしまったのだ。

 両手の指しか使えないから、十本指。

 俺の未熟な回復魔法で治せる傷ではない。もうじき彼の命は潰えるだろう。

 だというのにへらへらと口元が緩んでいで、くだらない悪ふざけばかりしている。

 その異様な陽気さに、不気味さを覚えずにはいられない。

 初めの数日間は、お堅い武人という印象だったのだが。不眠不休で戦闘を続けているうちに、徐々に彼の言動は不安定になっていった。

 

 しかも恐ろしいことに、頭がやられたのは一人ではない。

 誰もが皆、少しずつ壊れている。泣いたり笑ったり叫んだりを繰り返していて、もはや精神病棟といった有様だ。

 これが普通の戦いではないせいだろう。

 なんでも前線でここまで酷い膠着状態に陥るのは、前代未聞だそうだ。

 普通はほんの数時間で終わるところを、ぶっ続けで十日。

 兵糧はとっくに尽きたというのに、補給も増援も来ない。朝から晩まで、仕留めたオークの死体ばかり口にしている。


 俺も気が狂ってしまったのだろうか?


 自分ではよくわからない。

 ただ周りに指摘されて気付いたが、しょっちゅう自分の爪をかじるようになっているらしい。

 夢の内容も血と内臓でぐちゃぐちゃなものばかりになったし、やっぱり俺の頭も取り返しのつかないことになっているのかもしれない。


 ここはファンタジー世界だし、俺は勇者だし、剣も魔法も使える。

 漫画やゲームのように、すぐに活躍できるんだと思っていた。

 戦場は知恵と勇敢さを競い合う場だと思っていた。今となってはどこまで甘い認識なんだと自分で自分を叱り飛ばしたくなるが、死者の出るスポーツみたいなものだと予想していた。


 でも、違った。


 肉の体を持つ現実の敵兵は、切れば叫んで痛がる。血も涙も流すし、死に際に家族の名前を呼んだりもする。

 例えそれが豚人間でも、半分は人間なのだ。

 立派な殺人なのだ。

 敵を殺すたび、少しずつ自分の中の何かも死んでいった。

 

 殺したくない。だけど殺されたくない。だから殺す。

 命乞いをするオークに人間性を感じながら斬りかかって、首をはね落としたあとに嘔吐する。

 生理的な嫌悪感と罪悪感に蝕まれながら、ただ生き残りたい一心で次の敵に斬りかかる。

 

 いっそ剣が折れてしまえば楽になる、戦わない理由になると思ったのに、今の俺はそれすら叶わない。

 なぜなら俺は、神聖剣スキルに目覚めてしまったから。

 三体目のオークを屠った際にレベルアップし、自由意志で光の刀身を生成できるようになった。

 正当な召喚勇者の証。無限に戦える刃、だ。


 いよいよ本物の勇者が現れたという報せは、オーク軍の方にも知れ渡ったらしい。

 捕虜に尋問したところ、なんとしてもここで俺を倒すべく、次々に増援を送り込んでいるそうだ。

 どうりで斬っても斬っても出てくるわけだ。

 やつらが引こうとしないなら、俺達も下がれない。オークの大群が人間領になだれこむようなことになったら、一体どれほどの犠牲が出るのやら。


 逃げたくても逃げられない。

 逃げた先には何もない。

 あのくそったれの王様は助けてくれないし、敵前逃亡をしでかした勇者と知ったら、何をされるかたまったもんじゃない。

 

 やるしかないんだ。

 勝つしかないんだ。

 

 嫌なのに。

 帰りたいのに。


 俺はまた前方に、オークの兵士を見つけてしまった。

 そろそろとした足取りを見るに、夜襲をかけてくるつもりなのか。

 先手を打たなければ、あの錆槍で腹を貫かれてしまうだろう。火矢を放たれるかもしれない。

 

「……日本人の俺ならともかく、騎士さん達は火葬を嫌がるもんな」


 隣で死にかけている半身の騎士は、息を引き取ったら土葬にしてやりたい。

 この人はまだ正気だった頃、とても親切にしてくれたのだ。剣技も魔法も教えてくれたし、食料だって分けてくれた。

 

【勇者ケイスケはMPを30消費。神聖剣スキルを発動。攻撃力が100%アップ】

【霊体、悪魔、アンデッドに対して特攻状態となります】


 ヴゥン、と機械的な音を放って、光剣が伸びる。

 どうして中世ファンタジー風の世界にこんなSFじみたスキルが存在するのかわからないが、今となってはどうでもいい。

 切れれば、それでいい。

 

 俺は脱力しながら立ち上がると、草陰から飛び出した。

 夜闇を照らす光の剣は、嫌でも俺を目立たせる。だがそれは、囮の役目をこなしやすいということでもある。

 あの草むらには負傷した味方が何人も隠れているのだ。

 俺が敵を引きつけるしかない。


 疲労と眠気と吐き気を堪えながら、腕を伸ばす。年老いた剣道家のような、ゆったりとした動きだ。

 まだ元気があった頃は大振りに剣を振り回していたけど、今じゃ最小の動きで戦うようになっている。

 単にその方が楽だからという理由だが、勝率はどんどん上がっていった。

 始めのうちは敵に押されて味方に助けられることも多かったのに、昨日からは切り合いで負けることがなくなっている。


 フォームから無駄が消えつつあるのかもしれない。

 不必要な力みだとか人間らしさだとか――そういったものが削ぎ落とされて、戦士として洗練されていく。

 その果てに待っているものは、一体なんだろう?

 

「勇者……」


 ドサリと。何か大きなものを落とす音がしてから、オークの兵士は槍を構えた。

 俺は光剣を少しだけ横に動かして、やつの足元を照らす。

 どんなものを置いたのか把握しようと思ったのだ。ひょっとしたら罠でも仕掛けたかもしれないし――


「――」


 が。

 それは荷物などではなかった。

 両脚を失った、オークの兵隊だった。包帯が巻かれ、治療をされた痕跡がある。

 そうなると今、槍をこちらに向けているオークは、負傷した味方を背負って歩いていたことになる。

 俺と同じように、動けない仲間を庇っている。豚野郎の癖に、味方を思いやる心がある。人間性がある。


「クソッ! クソッ! 畜生!」


 なのに俺達は、戦わねばならない。

 捕虜は言っていた。魔王は撤退を許さないらしいから。逃げた先に待っているのは処刑だから。

 俺もそうだ。引けるに引けない。

 嫌なのに。殺したくないのに。俺はどこにでもいる、普通の中学生だったのに。

 

 殺生を嫌う当たり前の感性を持ちながら、それでもなお敵を討たなきゃいけない。


「お、あああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアァァァ!」


 叫んだ声は、もうほとんど人間のものではない。

 これが本当に俺の声か、自分でも不思議なくらい獣じみた絶叫。

 心も声帯も、とっくに調節機能が駄目になっているのだろう。


「あああああああ! ああああああああああああああ!」


 駄々っ子のような悲鳴とは裏腹に、流れるような動作でオークの首を切り落とした。

 返す刀で、地面に横たわる脚なしのオークも突き刺す。

 どんな敵も、殺して焼けば飯になるから。生き残るためには、手段を選んでいられないから。




 朝になると、全てが終わっていた。

 もう動いている敵はいない。どうやらオーク軍は全滅したようだ。

 生き残っている騎士達は、ふらつきながらも勝どきを上げている。


 勝ったのだ。

 人間軍の勝利だ。


 ゆっくりと、後ろを振り返ってみる。

 そこには俺が仕留めたオークの死体が、うず高く積み上げられている。

 

 視界にはレベルアップを告げるテキストメッセージと、死んだはずの脚なし騎士がへらへら笑っているのが見える。

 それどころか父さんと母さんもいて、三人仲良くテーブルに腰かけている。

 圭介もこっちに来なさい。早く朝ごはんを食べないと、と母さんは言った。

 

 夢か幻か。いよいよ俺も発狂したのか。

 けれど理由なんてどうでもよくて、また会えたのが嬉しくてたまらなくて、俺は食卓に向かって歩き始めた。

 さあ自分の席につこう。

 いただきますを言おう。

 腕を伸ばし、箸を手に取ろうとしたその瞬間、俺の意識は途切れた。



 次に目が覚めると、俺はベッドの上にいた。石造りの豪華な天井。

 

「お目覚めですかな」


 声のした方を向くと、初老の男性が目尻を下げて笑っていた。富と権力を感じさせる衣装、白い口ひげ。

 王様だ。俺を亜人もどきとみなして城から追い出した時からは、考えられないくらい穏やかな顔をしている。

 背後には数名の護衛が立っていて、物々しい雰囲気が漂っている。


「勇者殿をぜひ直々に労おうと思いましてな」


 そうですか、と俺は答える。

 そんなことよりも家に帰って母さんの手料理が食いたいな、が俺の本心だった。

 

「いやあ、全く。本当に素晴らしい。一人で三百のオークを撃破。よもやこれほどの英傑とは」


 敵の死体を食らうのもいいですな、と王様は感心している。


「我ら人間族はずっと亜人どもに押されてばかりいたゆえ。民草は大いに喜んでおる」

「はあ。そうですか」

「いよいよ人間族の強さを見せつける時が来たのかもしれぬ。なにせ我々は最強の勇者を保有しているのだからな。これからは攻めに回るべきなのであろう。亜人は一匹残らず殺す。女も殺す。子供も殺す。殺す殺す殺す、これに限る! そうは思いませんかな?」

「……どうでしょうかね」

「もうすぐ広場で捕虜を処刑する予定だが、よかったら見学していかんかね?」

「……結構です」

「疲れておられるのかな?」

「あの。一ついいですか」

「なんだ」


 首をかしげる王様に問う。


「陛下は実際に戦場に立った経験はおありですか?」

「指揮なら何度かある」

「敵兵と切り結んだことは」

「ないな」


 それが何か、と不思議がられる。


「いえ、なんでもないです」


 兵隊に戦いを命じる権力者は、殺しのリスクを背負わない。

 安全なところから囃し立てるだけの身分だから、平気で殺せ殺せと言えるのかもしれないな――

 そんなことを考えながら、俺は視界の端の騎士を見つめていた。脚のない青年。死んだはずの青年。

 てっきり幽霊なのかとも思ったが、日本で生きているはずの父さん達も見えるので、やっぱりこれは幻覚なのだろう。


 俺の頭は治るんだろうか?


「ときに勇者殿。疲れているところを悪いが、戦果にはそれに見合った報酬を与えねばならない」

「……?」

「無事に目も覚めたことだし、明日には式典に出席して貰おうと思っている。そなたを表彰し、剣と金品を与えるつもりだ。嬉しかろう?」

「はあ」

「反応が鈍いな? ……ああ、なに、言わなくとも分かっている。若い男が真に欲しがるのはこれだものな」


 王様はにやにやと口を歪めている。


「今日からは毎晩、侍女を勇者殿の部屋に参らせる。綺麗どころを用意するのでな。好きに使うとよい」

「はあ」

「別に孕ませても構わんぞ。その方が都合がいい。勇者の血統が増えるのは歓迎だ――優れた戦士の子孫が増える」


 ではまたな、と一方的に告げて、王様と護衛の兵士達は部屋を出ていった。

 何を言われたのかほとんどわからない。右耳から入った音が、左耳から抜けていった感じだ。


 俺は幻覚の両親に微笑みかけると、再び目を閉じた。


 そして自分の中の変化に気付いた。

 あれほど感じていた罪悪感が、消えている。

 人格の備わった生き物を殺したという自己嫌悪が、影も形もなくなっていた。

 

「それは君が、戦士として完成されたってことじゃないかな」


 と、例の脚なし騎士の声が話しかけてくる。


「どういうことです?」

「君の中の少年が死んだだよ。良心と言い換えてもいいが」

「俺はどうなるんです?」

「もっと壊れて、もっと強くなるんだろうさ」

「貴方は俺が見ている幻覚なんですよね? 幽霊じゃないんですよね?」

「俺は君の良心だよ」


 何を言ってるんだ?

 咄嗟に目を開けると、良心を名乗る騎士は消えていた。

 父さんも母さんも見えなくなっていた。

 ベッドから起き上がり、部屋の中をぐるぐる歩き回ってみたけれど、どこにもいない。

 

 絶対に手放してはいけないものを、失くした瞬間だった。

 枕に顔を伏せる。

 壊れてしまった自分自身を思って、声を殺して泣き続ける。

 

 やがてコンコンとドアをノックする音が聞こえたかと思うと、一人の少女が上がり込んできた。

 王様の言っていた侍女とやらだろう。品のいいメイド服を着込んだ、赤毛の女の子だ。

 侍女はアンだかアンナだか知らないが、そんな感じの名前を名乗った。

 なんの興味も抱けなかった。


 侍女はしきりに俺の体を触ってきた。

 やれ男らしいだの強くて素敵だの、お国のためにこれからも頑張って下さいだのと、執拗に賛辞とねぎらいの言葉をかけてくる。


 どうせ王様の指示通りに動いているんだろう。

 抵抗する気も起きなくて、俺はただただ身を任せていた。

 同年代の女の子に触られているというのに、ちっとも気分が盛り上がらなかった。


 頭の中で実家の食卓を思い浮かべながら、ただ時が過ぎるのを待つ。

 母さんが茶碗にご飯を盛り付けて。父さんがそれを受け取って。朝刊を読みながら食べるせいで、ぽろぽろとテーブルに米をこぼして。母さんが食べながら読むのはよしてよ、と注意をする。

 いつもの朝。いつもの団らん風景。俺が今、本当に求めているもの。

 

「……あら勇者様。ここがいいんですか?」


 まさか父親が飯を食う姿を想像して、にたにた笑っているとは思わないのだろう。

 侍女は自分の手が俺を喜ばせていると解釈したらしく――一層激しく俺の体をまさぐり始めた。

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