第91話 その行為の意味は

 こういうのは隠すのが長引くほど悪い方向に転がりそうだし。

 ひょっとして全部打ち明けたら力になってくれるのではないか? 

 と甘い考えが湧いてくる。


 ていうか綾子ちゃんって性癖を除けばそこまで悪人でもないし、普通に話通じるんじゃね?

 もう言っちゃいないよ俺?


「綾子ちゃん、実は」

「出来ましたよ」


 さあこれから、というタイミングで綾子ちゃんは夜食を運んできた。

 両手に皿を持ち、にこにこと目を細めている。


「……あ、ありがとう」

「ご飯も盛った方がいいですか?」

「……そうしてくれると助かる」


 中元さん白いご飯好きですもんねーと笑って、綾子ちゃんは膝立ちになった。

 そのまま腕を伸ばし、皿を並べている。

 豊満な膨らみを持つ女子がこのような体勢を取れば、どうなるかは言うまでもない。


「……」


 不意打ちだった。

 深い谷間が、襟元からばっちりと見えている。

 二つの白い半球が、腕の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。


 でかい。


 アンジェリカよりワンカップ上という前情報が入っているせいか、余計にそう感じる。

 あげくブラジャーを着けていないとくれば、それはもう対男性用に特化した視覚兵器と言っていいだろう。

 なんとも目の毒な光景である。


 ていうかこれ、見せつけてないか?

 今日の綾子ちゃんはやけに距離が近いので、嫌でも視界に入ってしまうのだ。

 こんなの、見たくないのに。

 嫌なのに。


 俺はあくまで、綾子ちゃんの保護者をやりたいのだ。

 女として見たくないのだ。

 なのに何かの拍子に性の対象として意識させられるようなことがあると、無性に死にたくなってくる。

 俺はこんな子供になんて感情を抱いてんだ、と自分を許せなくなるのだ。


 例え体のパーツが成人女性並に育っていても、中身が未成年である以上、俺は保護者として振る舞わねばならない。

 

 俺の中のモラルは、同年代の女しかそういう目で見ちゃいけないぞ、と語りかけてくる。

 けれど肉体は、若い女が相手だと無秩序に反応する。

 最悪だ。どうしようもない。獣だ。穴を掘って埋まってしまいたい。


 深く懊悩しながら、俺は綾子ちゃんから視線を外した。

 まあ、こんなのは見なければいいだけの話だ。

 それでも数秒ほど眼球を釘付けにされる、妖しい魔力があったのである。

 ある種の石化魔法かもしれない。


 女体って凄いな、と一人で壮大なことを考えていると、顔をガシッと掴まれた。


「?」


 そして、勢いよく振り向かされる。

 さっき目を背けたはずの胸元が、再び視界に飛び込んでくる。


「あ、綾子ちゃん? 一体どうしたんだ?」

「……なんで、見るの止めるんですか」

「えっ?」

「……なんで、胸見るの止めたんですか」

「は? あっ? えっ? そ、そもそも最初から見てないけどな?」

「それは嘘ですよね。視線をまじまじと感じましたから」

「……えっと」

「中元さん、いつも私の胸元を見たあと、『しまった』みたいな顔して視線を首から上に固定しますよね。……ちゃんと気付いてるんですよ、そういうの」


 嘘だろ?

 俺の高度な視線隠蔽術が、完全に見破られたというのか? 

 この子何者なんだよ、と寒気にも似た感覚が駆け上ってくる。


「……ちなみにアンジェリカさんも気付いてるそうです」

「マジかよ!?」

「世の中の大体の女の人は気付いてると思います」

「な、なんだと……」

「……貴方達が私達を見るように、私達女性も、男性を見ています。だから、気付くんです」


 特に相手が好きな人なら、と綾子ちゃんは言った。


「……興味ない人にじろじろ見られたら気持ち悪いですけど……中元さんに見られる分には、大丈夫です」

「そ、そうか」

「……大丈夫どころか、嬉しいくらいです」

「怒ってないんだよな? そうだよな?」

「……というか、ドキドキします……」

「え?」


 綾子ちゃんの頬は、ほんのりと赤く染まっている。

 そんなにいい雰囲気ではなかったはずなのに、どうしたのだろうか?

 ためらう俺を他所に、少女はさらに積極性を増していく。

 膝立ちから正座に姿勢を変え、ぎゅっと俺の手を握ってきたのだ。

 

「ど、どしたの?」

「……私なら、大丈夫ですから」

「何が……?」

「……中元さんのお相手をする準備は、いつでも出来てますから。今日だって、そのつもりで覚悟を決めました。……は、恥ずかしいけど、自分から誘うようなこともしたつもりです」

「なんかくっついてくるなと思ったら、そんな決意を固めてたのか?」


 どうしてだよ、と俺は茹でダコのようになっている綾子ちゃんに問いかける。


「……それは……」

「それは?」


 綾子ちゃん下唇を噛み、羞恥に耐えるような表情をしている。

 女の子の方から誘惑するような真似をしてくる理由となると……。

 

「そ、その……」

「その?」

「……だって……中元さんが……だから……」

「何? 聞こえないな?」


 よくないことだとわかっているが、つい意地悪をしてしまう。

 綾子ちゃんのような大人しい子が、積極性を見せてきたのである。

 可愛らしく、そしてちょっといやらしい動機を今から語ろうというのだ。

 スケベ心というより年下の子をからかう楽しさで、俺は詰問の体勢に入る。


「なんで俺を誘いたくなったの? 教えてくれよ」

「……から」

「なんだって?」

「中元さんが、溜まってるからです!!」

「俺が!?」

「ここ数日、中元さんがそういうお店に通って、せっ……性的なサービスを受けてるって、私気付いてるんです!」

「ちげーよ!?」

「やたら帰宅時間が遅いですし! ちょっと髪の毛しっとりさせて帰ってきますし! 女の匂いがむんむん漂ってきますし! ……それしか考えられないじゃないですか!? 私やアンジェリカさんがまだ子供だから、手を出さないようにしてるんだろうなってのはわかります。でも、だからってああいうお店の常連さんになられるのは嫌です! そんなことをされるくらいなら、お手つきされた方がずっといいです! 私が……私が中元さんの性欲を、処理しますから!」

「アンジェリカが起きるから声量抑えてくれよ!?」


 案の定、ほんの数十センチ向こうのベッドで寝息を立てていたアンジェリカが、ぱちりと目を開けた。

 眠そうな顔で「うるさいですよアヤコー?」などと言っている。


「私はただ妊娠しようとしているだけです。そのまま寝てて下さい」

「……あーそうなんですかー」


 まだ寝ぼけているらしく、アンジェリカ再び夢の中へと戻っていった。


「私は中元さんのためを思って提案してるんです。……そういうところで遊ぶと、お金もかかるでしょうし。いつか病気も貰っちゃいそうですし。……私なら、せ、性交渉の経験、ないですから。絶対、安心だと思います」

「妊娠前提で話しかけてくる子は、一番安心出来ないんじゃないか……?」


 綾子ちゃんは切羽詰まった表情で訴えかけてくる。

 増殖騒動の時よりも、ずっと真剣な顔である。


「……中元さんの稼いだお給料ですから、どう使おうか自由ですけど……でも、女遊びだけは嫌なんです……」

「だから違うんだって!」


 もう四の五の言ってられない。

 俺はやむを得ず、綾子ちゃんに事情を説明することにした。


 神官長フィリアが昔の仲間で、殺すのは忍びなかったこと。

 今は精神年齢が後退し、無害化していること。

 市内のビジネスホテルに匿っていること。


 綾子ちゃんは途中まで大人しく頷いていた。

 が、フィリアがおねしょをするのでおむつを穿かせたと言ったところ、瞳から光が消失した。


「……は? ……え? すいません、今なんて?」

「夜にトイレ行くのが怖いとかでな。朝になると漏らしちゃってるんだよあいつ。だからしょうがなく大人用おむつを穿かせてる」

「……嘘……」


 つう、と綾子ちゃんの目から涙が伝い落ちた。


「……じゃあ、中元さんのファーストおむつは、あの人に奪われちゃったんですか……?」

「ごめんその禍々しい単語は何かな」

「……男の人にはわからないかもしれませんけど……。女の子にとって、好きな男性におむつを穿かせて貰うのは特別な意味合いを持つんです」

「男じゃなくてもわからないと思うな」


 そんなことないです、と断言される。


「アンジェリカさんも私と同じ意見なはずです。見てて下さい」


 言うなり、アヤコちゃんはぺちぺちとアンジェリカの尻を叩き出す。

 よほど気が昂ぶっているのか、起こし方が雑である。


「……んー。さっきから騒がしいですよ」

「アンジェリカさん、アンジェリカさん。好きな男の人におむつを穿かされたら、どう思いますか?」

「……そりゃ、嬉しいですよ。薬指にエンゲージリングを嵌められるようなものですし。当たり前じゃないですか」

「ですよね! 中元さんにもわかるように言ってやって下さい!」

「……んん? お父さんが知りたがってるんですか? 仕方ないですねえ」


 アンジェリカはむにゃむにゃ言いながらも身を起こし、解説を始めた。

 

「おかえりなさいお父さん。こんな夜更けに騒々しいですね、全く」

「……ただいま。俺にもどうしてこうなったかわからん」

「ま、いいです。お父さんが知りたがってるとなれば、どんな時間だろうと教えて差し上げますよ。……えー、私達ファザコンにとって、おむつ替えは特別な意味を持ちます。大好きなパパにそんなことをされた日には、心の赤ちゃんが大喜びですよ。ぶっちゃけえっちより格上の愛情表現でしょうね」

「それってファザコン業界だとごく普通のことなのか?」

「まあ下界でいうところのプロポーズに相当する行為でしょうか」

「ファザコン業界って天界にあるのか? なあ?」


 アンジェリカはあくびを噛み殺しながら続ける。


「私達の感覚からすると……。パパにおむつを穿かせて貰うのは、ほぼ婚約と同等です。パパのお髭でチクチクな顔をこすりつけて貰うのは、えっちみたいなもんです。パパに肩車して貰うのは……ディープキス相当ですかね」

「お前ちょくちょく俺に顔をこすりつけて髭の感触を楽しんでたけど、それってお前の中では無理やり性行為に及んでたようなもんだったのか。とんでもない娘だなおい」

「……で、でもなんで急にこんなこと聞いてきたんです?」


 話が不味い方向に進んだ自覚があったのか、アンジェリカはごく自然な流れで話題をそらした。


「……中元さん、神官長さんを殺せなかったみたいです」

「それは別にいいんじゃないですか? 私、お父さんが冷血漢になる方が嫌ですよ」

「けど神官長さん、戦闘時のショックで精神が後退して、今は中身が六歳児程度にまで幼くなってるみたいで」

「変われば変わるもんですねえ」

「夜中に一人でトイレ行けないので、中元さんがおむつを穿かせてるそうです」

「あー!!」


 浮気者、浮気者、とアンジェリカは枕を振り回す。


「やだー! なんで他の女の人におむつ穿かせてるんですか! まだ普通にえっちしてきた方がましですよ! んもー! 信じらんないです!」

「……俺はお前らの性癖が信じられんが」


 ばっふばっふと舞い上がる埃を眺めながら、俺はホテルでぐずっているだろうフィリアを想像した。

 こっちはこんなに騒がしくやっているのに、あいつは今も一人で寂しく過ごしているのだ。

 なんとかしてやりたいところだが……。

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