第92話 ガールズトーク

 とりあえず俺は、一旦トイレに避難することにした。

 アンジェリカは話が通じる状態ではないし、綾子ちゃんは会話が出来ても、内容が冒涜的だから近付きたくないし。


 ろくなやつがいねえ、とうなだれる。

 便器に腰かけ、ふうとため息を一つ。

 

 うちはユニットバス形式なので、すぐ隣に洗面台と浴槽がある。

 アンジェリカはこれを「恋人が用を足している場面を観察しながら入浴するための施設」と解釈したが、というかそんな解釈をするような少女と同居してていいのか今凄く疑問に感じているが、とにかくそういう構造になっている。


 おかげで手足を伸ばすスペースが、全くない。

 あげく物だらけとくれば、もはや圧迫感さえ感じると言っていい。

 なんか、前より物が増えてる気がするしな。

 トイレ用品とかバス用品とか。


 綾子ちゃんに買い物を任せた結果、我が家はどんどん日用雑貨が増殖しているのだった。

 寝てる間に勝手に増えてるんじゃないだろうな? と疑いたくなるほどの勢いである。

 別に贅沢品を買っているわけではないので、とやかく言わないけど。

 それでも俺の金を使っている、という認識は忘れないで頂きたい。


 俺、頑張って三人分の生活費を稼いで来てんじゃん?

 この無駄に可愛らしいトイレマットだのスリッパだのを買えるのも、俺が働いてるおかげじゃん?

 たまの息抜きで女を一匹拾うくらいいじゃないか、と最低な関白思考が湧いてくる。


 そうさ。一体何を遠慮してんだ俺は。

 もっと強気でいけばいんだよ、大黒柱なんだし。


 綾子ちゃんがやたらとファンシーな日用品を買って気分転換をするように、俺もフィリアを飼うのがストレス発散なわけ。

 あんなのはそう、デカめの金魚を飼育するようなもんだから。

 誰に文句言われる筋合いもねーし。


 例えばほら、便器の脇にぽつんと置かれてるこの籠とか。絶対無駄使いだろ?

 これとフィリアは同列の存在なんだよ。俺だってたまには散財したいし。

 

 ……っていうかほんと、なんなんだろうなこれ。


 十日ほど前から突如として出現した、謎の物体X。

 見た目は妙に凝った作りの籠なのだが、上からピンク色の布がかけられている。

 見るな触るな、と言外に告げているように感じられた。


 家主の俺に隠し事とは、何事か。

 どういうつもりだよ綾子ちゃん? と無遠慮に布をめくってみる。

 脳内に下らない贅沢品を思い描きながらの、無神経な行いであった。

 どうせ芳香剤とか消臭スプレーとかだろ、とそんな感じの想像をしながら、籠の中を覗き込む。


「……なんじゃこりゃ」


 が、想像していたものとはまるで違う代物の出現に、ぴたりと腕が止まる。

 なにやら籠一杯に、大きめのポケットティッシュのようなものが詰まっているのだ。

 どれもパステルカラーで、それなりの厚みがある。


「?」


 ティッシュなら十分に買い溜めしてあるはずだけどな? 

 不思議に思いながら、一つだけ抜き取ってみる。

 顔の前に持ってきて、しげしげと観察。


 そして、己の愚かさに気付く。


「あっ」


 これは決して、贅沢品などではない。

 むしろインフラに匹敵する必需品であろう。

 

「……多い日も安心……」


 つまり、そういう事情である。

 女性の権利を守る、超重要アイテムと遭遇した瞬間だった。


「…………」


 俺はそっと手にしていた品を元の位置に戻すと、布で覆い隠した。

 

 そういえばアンジェリカのやつ、これがトイレに設置されたあたりから、やたらと綾子ちゃんへの態度が軟化したんだったな、と思い出す。

「こんな便利なものが……」だの「貴方が神か……」だのと大げさに感謝し、しまいには呼び方が「アヤコさん」から「アヤコ」に切り替わったほどである。

 異世界女子からすれば切実な問題を、一瞬で解決されたのだから無理もない。


 そう、だよな。

 アンジェリカも綾子ちゃんも、若い女の子だしな……。

 男の俺には言い出し辛かったに違いない、と申し訳ない気持ちになる。


 よくよく思い返してみれば、綾子ちゃんが家に来る直前のアンジェリカはちょっと様子がおかしかったし。

 カレンダーを見て変にそわそわしてたというか。

 もし綾子ちゃんが来なければ、あいつは自己流の応急処置をしていたわけで……。


 命拾いしたのか俺らは、とつばを飲む。

 まるでダンジョンから命でも救われたかのようなノリだが、気持ちの上では同レベルである。

 だって俺、男だし。しかも長年の異世界暮らしが染み付いてるし。

 こういうのを買って用意してあげなきゃ、という発想自体湧いてこなかったのだ。

 向こうの世界の女の人はこんなん使わないしな。

 

 ……向こうの女……。


「やべ」


 瞬間、ホテルに置き去りにしたフィリアの顔が浮かぶ。

 

 あいつだって、肉体年齢は二十代後半の女なのだ。

 全然、現役なのである。

 夜はおむつを穿かせてるからいいけど。

 いやよくないけど。


 そのなんだ、あいつにも来たら、どう対処すりゃいいんだ?

 

 俺がいない間にそういう状態になってしまって、泣きわめきながら部屋の中を血まみれにしたら、シャレにならないんだが。

 あいつ朝になると、かぶれて気持ち悪いからって勝手におむつ外すし。


「……」


 誰かがつきっきりで見張ってないと、不味い気がする。

 ホテルに詰め込みっぱなしでは、いずれ無理が来るだろう。


 そうなるとこの家に引き取って、綾子ちゃん達の力を借りるしかない。


「ああ……」


 親の介護ってこんな気分なのかな、とげんなりしながらバスルームを出る。


 よろよろとリビングに向かうと、綾子ちゃんとアンジェリカがおしゃべりに興じていた。

 こいつら割と仲いいよな、と不思議な気分になる。

 例の生活必需品の件もあって、アンジェリカが一方的に綾子ちゃんに恩を感じているのはわかる。

 だが綾子ちゃんがアンジェリカに心を開く理由はなんだろうか?


「で、ソドムを脱出したロトは、二人の娘と洞窟に移住するんです。ところが娘達はロトを酔わせて、その隙に性行為に及んじゃうんです。寝ているお父さんと、同意なしでです」

「……えっ……。そ、それって父娘による、近親……じゃあ……」

「そうなりますね。もちろんばっちり懐妊して、産んじゃいますよ。長女の息子はモアブと名付けられて、モアブ人の祖に。次女の息子はベン・アミ・アンモン人の祖です」

「……やばい……尊い……泣ける……」

「アンジェリカさんならわかってくれると思ってました!」

「地球の神話って、素晴らしい内容なんですね!」


 お前らなんて話題で盛り上がってんだよ、とたまらず突っ込みを入れる。


「……やっと戻ってきましたね」


 綾子ちゃんは光のない目を動かし、じろりと俺の顔を見据える。


「……中元さんの打ち明け話が衝撃的過ぎて、元気の出る話をしないと精神が持たなかったんですよ、私達……」

「そうですよ! たまたま旧約聖書とかいう、父娘婚を推奨してる伝承のおかげで命をとりとめましたけど、これを聞かなかったら窒息死してましたよ私」

「各方面から怒られそうだから、誤った認識はやめろ」


 今ので大体わかってしまった。

 綾子ちゃんの歪んだ父娘談義に付き合い、心の底から共感してくれる唯一の相手が、アンジェリカなのだろう。

 別に聞き上手とかでなく、性癖が噛み合っているだけっぽいが。

 それでも綾子ちゃんからすれば、理想の聞き手であろう。

 

 まあ、この二人が割と上手くやっている理由は判明した。

 それはいい。

 それはいいんだけど。

 

 二人とも結束して、フィリアを泥棒猫扱いしてる現状を考えると。

 この妙ちくりんな友情は、俺にとって逆風なんじゃないか?


 今から「わりわり、フィリアの下の世話はお前らに任せたわ」と切り出して、果たして上手くいくんだろうか?

 いかん、全く成功するビジョンが浮かばない。

 

 どうすりゃいいのさ?

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