第93話 勇者ケイスケ、二十五歳 2
俺は神官長の要請により、トロールの巣へと向かっていた。
相手はロレーヌ村を襲い、子供を食い殺した怪物である。
人々の安全のためにも、速やかに駆除するべきだろう。
亜人に遠慮など要らない。それはわかっている。
わかっているのだが。
どうも俺はトロールに苦手意識を持っていて、出来れば戦いたくないのが本音だった。
というのも奴らは、正々堂々とした戦いを好むのである。
人を喰らう化物でありながら、戦闘においてはことさら武人めいた振る舞いをしたがる。
勇敢に戦った人間とは酒を飲み交わすことがあるし、時には財宝をわけてくれたりもする。
純粋な悪ではなく、どこか親しみを感じさせる部分があるのだ。
このあたり、日本の昔話に出てくる鬼と似ているかもしれない。
そうなると俺は、さしずめ鬼ヶ島に遠征する桃太郎ってところか。
で、この護衛の騎士どもは、家来の動物達になるわけだが。
「……ちっとばかし、数が多いよなあ」
イヌサルキジの三匹で十分だっての、と俺は周囲の男達に目を向ける。
総勢三百名の武装した騎士達が、俺を取り囲むようにして歩いているのだ。
この人数で田舎トロールを襲撃したら、一方的な虐殺になってしまうのではないかと思う。
俺は隣を歩く男に、質問をぶつけてみる。
「お前ら、神官長に言われたのか。俺の手伝いをしろって」
「ですな」
男は顎髭を蓄えており、年齢は三十代半ばほどに見えた。
立派な甲冑に身を包んでいて、高名な家の生まれであることを窺わせる。
「この人数だとなぶり殺しになるだろうが、騎士の誇りとやらは傷ついたりしないのか?」
「勇者殿のおっしゃることは、相変わらずよくわかりませんな。人間に一度でも危害を加えたならば、生きるに値しないでしょう」
「トロールの巣穴に、奴らのガキがいたらどうする? 亜人だって子育てくらいするだろう」
「その場合、夕飯はトロール鍋になるでしょうな」
「わかった、もういい」
異世界の連中が好戦的なのか、それとも中世風という時代のせいなのか。
俺は常々こいつらとはそりが合わないな、と感じる。
別に敵にも理由があるだの見逃してあげるべきだのと、甘っちょろいお説教をするつもりはない。
俺だって必要とあらば、年齢性別に関係なく殺す時がある。
けれどそのたびに言いようのない嫌悪感を覚え、自分が汚れていく感覚に耐え難い苦痛を抱くのだ。
俺にとって亜人殺しや悪党退治は、「嫌だけどやる」なのだ。
苦行とすら言っていい。
しかしこの世界の住民を見ていると、明らかに楽しんでやっているように見える。
殺したあとの気分の違いなんてどうでもいいことかもしれないが、それでも俺の中では重要なウェイトを占めている問題だ。
敵を仕留めても罪の意識を感じない人間は、守る価値があるのだろうか?
それともこれは、俺が敏感すぎるのだろうか?
「お言葉ですが勇者殿」
俺が一人で考え込んでいると、さきほどの男が話しかけてきた。
何の用だ、と俺は顔を向ける。
「なにやら人数に不満がお有りのようですが。ここまでの大部隊になったのは、神官長様のご厚意であることを忘れてはなりませんぞ」
「どういうこった?」
「あの方は何がなんでも勇者殿を死なせないようにしているのでしょうな」
ほんとかよ、と俺は苦笑いをする。
「俺はあいつに憎まれてると思うけどな。連日のように無理難題を押し付けられて、休む暇もない。さっさと戦死しろと言われてるように感じるが」
「重武装の精鋭を三百騎、護衛に付けたのですよ。国賓級の待遇と見受けますが」
「単に圧倒的な戦力でトロールを殺したいだけじゃないか?」
「そうですかなぁ」
実際のところ、どっちなんだろうか?
神官長にまだ仲間としての情が残っていての過保護なのか、より残酷に殺せという要求に応えた結果の過剰戦力なのか。
どちらとも取れるので、いまいちあいつの本心がわからない。
「どうだっていいけどな」
どうせやることは変わらないのだし。
トロールの皆殺し。
それが俺に課せられたオーダーだった。
「見えてきたな」
目測で五百メートルほど前方に、苔むした洞窟が見えてきた。
湿気と暗闇。トロールの好む環境である。
俺は騎士達に止まれと合図を送った。
「俺が斥候をやる」
と告げ、小走りで先行する。
顔だけで覗き込み、内部の様子を確認。
独特の獣臭に、生き物の気配。間違いない。この中にいる。
俺のステータスならばまず真正面から乗り込んでも負けはしないが、万が一ということがある。
夜目の効かない人間族が暗所に入り込むのは、よほどの場合を除いて避けるべきだった。
巣穴に潜む亜人は、あぶり出すに限る。
俺は左腕の袖をめくり、次いで神聖剣スキルを発動させた。
「――シッ」
右手に発生させた光の刃で、左手の肘から下を切断する。
「……ッ」
凄まじい激痛が、左半身を走る。だがこんなのはとうに日常と化した感覚だ。
特に問題はない。
声を殺して、回復魔法をかける。
痛みも熱も一瞬で霧散し、光の中から新たな前腕が生えてくる。
「うっし」
俺は地面に転がる古い方の左手を拾い上げると、それを巣穴の入り口に置いた。
トロールからすれば、突如として現れたご馳走である。
奴らは人間の血肉を嗅ぐと、喜んで駆け寄ってくる。
けれども大人は警戒心が強いし、真っ先につられてくるのは――
「子供だよな」
らんらんと目を光らせ、小柄な亜人が洞窟の奥から飛び出してくる。
成長すれば三メートル近い体躯を持つに至るトロールも、幼少期は人間とそうサイズが変わらない。
肌が緑で髪の毛が一本も生えていないという相違点こそあれど、ゴブリンに比べればよほど愛嬌のある顔立ちをしている。
でも、こいつらは人を喰う怪物だから。
お前らは人間の村に手を付けてしまったから。
仕方ないんだ、と胸の中で唱えながら、トロールの子供を捕獲する。
粗末な腰ミノをつけた、やんちゃな坊主だ。
離せ離せと泣き喚きながら暴れる様は、人間のいたずらっ子のように見える。
感覚としては誘拐魔で、俺の良心はやめろと訴えている。
けれどそれを理性と義務感で抑え込めるのが今の俺だ。
俺はもう迷える少年ではなく、二十五にもなった勇者なのだから。
騎士達を呼び寄せて、トロールを縛り上げるよう命じる。
「口は塞ぐな。泣かせたままにした方が寄せ餌の仕事を果たす」
目立つ位置に磔にしておけ、と指示を出す。
「まずこのガキの両親が出てくるだろうから、そいつらから仕留める」
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