第94話 貴方の備考欄
朝になると、状況はさらに悪化していた。
アンジェリカと綾子ちゃんが、自分達も神官長を匿っているホテルに連れてって、と主張し始めたのである。
「この目で確かめないことには、神官長が本当に正気を失ってるかどうか確証が持てませんし」
と、アンジェリカ。
「ですね。中元さんにおむつを穿かせて貰いたくて、精神崩壊したふりをしてる可能性がありますから。私だったらそうします。今だってそうしたいくらいですし」
とは綾子ちゃん。
浮気症な人ほど恋人の浮気を疑うなんて言葉があるように、人は自分がするであろう行動の範囲内で、相手を疑うのである。
要は邪悪な人間ほど、邪悪な想像をするのだった。
普通の人間はおっさんに下の世話されたくて狂人を演じたりしねえから、と声を大にして言いたい。
俺とフィリアとは上手くいってなかった時期の方が長いけど、それでもこのラインは死守したい。
シリアスな敵役の末路がおむつフェチだなんて嫌すぎる。
まだ狂ってた方がなんぼかましだ。
というか綾子ちゃん達も既にフィリアとは別ベクトルで狂ってるんじゃないか、と思ったりもする。
「誰がなんと言おうと、フィリアの精神は異常をきたしてる。ステータス鑑定でそういう結果が出たんだからな」
むむ、とアンジェリカは渋い顔をする。
異世界人のこいつからすれば、召喚勇者の鑑定結果なんてカードを切られたら、引き下がらざるを得ないのだろう。
が、現代日本人である綾子ちゃんは、怪訝そうな顔をしている。
パジャマの胸ボタンを弄りながら、
「ステータス鑑定ってなんですか?」
と聞いてきた。
「なんと言えばいいんだろうな……俺ってほら、色々不思議な能力が使えるだろ? あれの一環。あらゆる物質を鑑定出来るんだ。簡単な説明書きみたいなのも表示される」
「……霊視みたいな感じでしょうか」
「オカルト方面っていうより、SF系かな? ゲームみたいなレイアウトで視えるから」
「……はあ……なんだか変わってますね……」
どうも綾子ちゃんはパジャマのサイズが合っていないらしい。
胸元がきつそうで、今にもボタンが弾け飛びそうだ。
丈に合わせると胸がきつく、胸囲に合わせると袖が余る。
乳房と胸筋という違いはあれど、俺と同じ問題を抱えているのだった。
「それって私のことも鑑定出来るんですか?」
「え?」
「いえ、単に好奇心で……どういう文面で説明されるのかな、と思いまして」
綾子ちゃんの鑑定結果。かつてない長文で、猟奇性犯罪者の内面が描かれていた備考欄を思い出す。
俺を薬漬けにしたいだの、無精髭を垢擦りとして使いたがってるだのと書かれてたような……。
「読書好きな少女で、父親みたいな男が好きって記述されてたな」
「……そうですか……案外普通ですね……」
生きる上で、優しい嘘は必要だと俺は思う。
「……えっ……わ、私、中元さんに好みの異性の話なんて、したことないですよね……?」
「そうだっけ? そうだったかもな。あーっと、なんか去年までお父さんのことが好きだったんだって? 禁断の恋ってやつだよな」
「あー!! あー!!」
髪を振り乱し、ブンブンと首を振る綾子ちゃん。
突然の乱心に、アンジェリカがぎょっとした顔をする。
「あっと、隠してるつもりだったのか。悪い」
親父さんと瓜二つな俺に告白してきた時点で、父親っぽい男が好みだと白状したようなもんだと思うが。
平然と父娘姦談義で盛り上がる神経を持ちながら、昔の片思いをバラされるのは普通に恥ずかしいらしい。
女心、いやファザコン心はよくわからない。
「……もしかしてお父さんって、私にもステータス鑑定したことあります?」
アンジェリカは探るような目で聞いてきた。
右手は錯乱する綾子ちゃんの背中をさすっている。
「あるな」
「いつの間に……な、なんて書いてあったんですか、私のステータス欄は」
「性欲と好奇心が強いって書いてあったな」
「……」
かあっと顔を赤くするアンジェリカ。
どうやら心当たりがあるらしい。日頃の振る舞いからすれば、あって当然だが。
「……よくわかりました。確かに中元さんは、物の本質を見抜く力がお有りなようですね」
綾子ちゃんはやっと平静さを取り戻したようで、一人で納得している。
今度は入れ替わるような形でアンジェリカが落ち着きを失っているが、無視が安泰だろう。
「……その能力でフィリアさんの発狂が判明したのなら、演技の線はなさそうですね」
「だろ?」
「……中元さんがフィリアさんを庇って、鑑定結果をでっち上げてるとしたらお手上げですけど」
「そこまで疑うかよ?」
「……信じてますからね」
じっと見つめられる。
綾子ちゃんの目は真っ黒で、大きい。それでいて光が人より少ないので、独特の迫力がある。
「神に誓って、事実だ」
ならしょうがないですね、と綾子ちゃんはため息をついた。
「フィリアさんがその状態なら、誰かが面倒を見なきゃいけないですよね……」
「……だ、だろ? やっとわかってくれたか」
「どこかの施設に入れるのが無難だと思うので、あとで探してみますね」
「……あいつ日本で使える身分証ないし。どこも引き取ってくれないってば」
むー、と綾子ちゃんは眉間にしわを寄せる。
「まさかこれから介護が始まるんですか、この家で」
「……すまないとは思ってる」
「……ここにいたら、もっと甘い生活が出来るんだと思ってました、私」
「いやでも、手足の自由が効かないとか自分で飯を食えないってレベルじゃないし。単に図体がでかい子供だから」
「一番厄介な気がします……徘徊なんてされた日には困りますし」
「……それもそうか」
「とりあえず、一度ホテルに行かせて下さい。本人を見ないことには、どの程度なのかもわかりませんし。場合によっては買い足す物も出てくるかもしれませんから」
「わかった」
なんにせよ、協力の意思を示してくれたことは素直に嬉しい。
俺と綾子ちゃんは二人で話し合い、朝食を食べたらすぐにフィリアの元へ向かうことに決めた。
後回しにしたところで、事態は改善しない。
やるなら早い方がいい。
「そんじゃ、俺は飯作るよ」
「え?」
「なんか悪いし。今日は俺がやる」
綾子ちゃんは休んでて、声をかけて台所に向かう。
これから女の子にただでヘルパーのようなことをさせると思うと、後ろめたさがあるのだ。
冷蔵庫を開け、食材を取り出す。
適当に卵でも焼いて、洋風にしようかな……と頭の中で献立を組んでいると、横からアンジェリカが話しかけてきた。
なんだか挙動不審というか、もじもじそわそわしているように見える。
「……ちょっと聞きたいんですけど」
「なんだ?」
「あの。私のステータス鑑定って、本当にあれしか書かれてなかったんですか? せ、……性欲と好奇心が強いってやつの他にも、変なこと書いてたりしました……?」
「そんなこと気にしてんのか? 別に大した情報はなかったよ」
「……回数とか、載ってました?」
「回数ってなんの?」
「……あっ、なかったなら大丈夫です!」
わけのわからない捨て台詞を残し、ぴゅーっと居間に引き返していくアンジェリカ。
乙女心は複雑である。
一体何を気にしてんだか、と鼻で笑いながら卵を割る。
手抜きで申し訳ないが、スクランブルエッグを作るつもりだ。
あとはこれに野菜サラダとパンをつければ、それなりに見られる朝食になるだろう。
そうやって俺が調理をしていると、リビングからテレビの音が聞こえ出した。
きっと綾子ちゃんが点けたのだろう。
朝のニュース番組を観ているらしく、例のドラゴン騒動についての続報が繰り返されている。
『えー、都庁舎に出現した巨大生物についてですが……』
さっさと自衛隊でも呼んで退治させりゃいいんじゃないか、と他人事のような感想を抱く。
けれどよく考えてみれば、場所が市街地のど真ん中なだけに難しいのかもしれない。
やっぱり俺の出番なんだろうか。
フィリアの件もあるというのに、厄介な問題が舞い込んできたなものだ。
『あっ! 皆さん落ち着いて! 落ち着いて下さい! 映像が乱れておりますが! 今、巨大生物に変化が見られました! なんともう一匹飛来して……これは……これは何をしてるんでしょうか?』
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