第36話 ほんとに人間?

 綾子ちゃんと共にリビングに引き返すと、アンジェリカはさきほどの余韻に浸っていた。

 ぽーっと恍惚の表情を浮かべ、ここではない別のどこかに意識を飛ばしているように見える。


 きっとそのどこかとは、俺が部品工場を経営している世界線だ。

 資金繰りの悪化で妻に逃げられ、酒に溺れる毎日。ついには実の娘アンジェリカに手を出した、鬼畜親父。

 大体そんな感じの次元にダイブしているのだと思われる。

 

「そろそろ戻ってこい」


 パンパンと顔の前で手を叩き、正気に返らせる。

 アンジェリカ一瞬はっとした顔になってから、綾子ちゃんを見て「本屋の悪魔がいる!」と叫んだ。

 

「え、増えたのってこの子なんですか」

「そうなんだよ」

「……自力で増殖したんじゃあ」


 アンジェリカは尻を器用に動かし、もぞもぞと後退して綾子ちゃんから距離を取った。

 とてつもなく警戒している。


「……お久しぶりです」

「……どうも」


 ぺこりと一礼する綾子ちゃんに、おっかなびっくりといった様子でアンジェリカも頭を下げ返す。動作は固い。

 異世界の挨拶は、「ハグ」「握手」「キス」の三種類であった。欧州風の文化なのだ。

 そういった土地柄で育ったため、アンジェリカのお辞儀は少々ぎこちない。

 

「まあ座って」


 俺が声をかけると、綾子ちゃんは静かに腰を降ろした。

 三角座りの体勢を取り、膝に顎を乗せている。

 いかにも私、心を許してませんなポーズ。綾子ちゃんの方も、アンジェリカを警戒しているようだ。


 俺の方はというと、あぐらをかいて眉をポリポリと掻いている。

 会話はない。

 日頃お喋りなアンジェリカに沈黙されると、部屋の中が一気に静まり返るのだと実感させられる。


「……あー、飯でも食おうか?」


 なんとか空気を変えようとして出した提案に、アンジェリカは反応を示した。

 おっ、機嫌直してくれたかな、と都合のいい解釈をしてみる。


「その前に、確かめたいことがあるんですけど」


 アンジェリカは半目で言った。


「アヤコさん……でしたっけ。この方、本当に二人に増えたんです? どうやって検証したんですか」

「ああ、それはな」


 俺はスマホを取り出し、リオと綾子ちゃんのツーショット画像を見せつける。


「アンジェも薄々気付いてるみたいだが、この道具もテレビみたいに遠方の人間を映し出せるんだ。会話だって出来るし、持ち運びも出来る。あっちの世界にあった、遠視用の水晶玉に一番近い代物だろうな。あれも念話に使えただろ?」

「……リオさんが映ってますね」

「こっちの綾子ちゃんと一緒にいる時に、リオに頼んでもう一人の綾子ちゃんを探して貰ったんだ。そしたらこの画像が送られてきた。同一人物が、二箇所に存在してたんだ」


 アンジェリカは眉間にシワを寄せ、じっと画面を見つめている。


「……お父さん、スマホ使ってリオさんと定期的に連絡取ってたりします?」

「今それ関係ないよな。全然関係ないよな。綾子ちゃんが増殖した件について語ろう」

「私もスマホの使い方、覚えたいです。お父さんが普段、誰と何を話してるのか気になりますし」

「いいか、他人のスマホを勝手に覗くのは、重大なマナー違反とされてるんだ。それがこの世界のルールなんだよ。ってか綾子ちゃんが増えた件について話そう? な?」


 さっきからこう、墓穴を削岩機で掘りまくっているような状況が続いているのはなぜだろう。

 ドドドドド。この直径なら千人だっていけるぜ、みたいな。

 それもう俺一人の墓穴じゃなくて、集団埋葬地だし。

 

「とにかくあれだ、綾子ちゃんが二人いるのは納得してくれたか?」

「うーん……まあ、そこまではいいんですけど」


 アンジェリカはまだ思う所があるようで、唇を尖らせている。


「このアヤコさんって、本当に人間なんですか?」

「……悪魔呼ばわりはいい加減よせよ。被害者なんだぞ」

「そうじゃなくてですね」


 綾子ちゃんを横目で見ながら、アンジェリカは説明する。


「本人が二人に増えたのではなく、何者かがアヤコさんに変身してるって可能性はないんですか? そういうモンスターいたでしょう。ステータス鑑定はやってみたんですか?」

「変身……なるほど、それがあったか」


 レアモンスターなのですっかり失念していたが、そういうケースもありうる。

 となると今ここにいる綾子ちゃんは、異世界からやってきた怪物が化けたものなのだろうか?

 だとすれば、中松選手や駒井四段もそうなのか?


 俺はベッドの脇で縮こまっている綾子ちゃんに目をやる。

 やれステータスだモンスターだとファンタジーな単語の頻出した会話だが、自分について話してることくらいは察したのだろう。

 おろおろと目を泳がせ、両手で防御するような姿勢を取っている。


 俺は綾子ちゃんを指差すと、「ステータス・オープン」と短く唱えた。

 相変わらず長文かつ電波な備考欄が表示されるが、内容は以前と全く変わらない。


「……綾子ちゃん本人だ。間違いない」


 むむ、とアンジェリカは意外そうな表情をする。


「じゃあ、何らかの状態変化で分身しているとか」

「そんなの聞いたことないけどなあ」


 念のため、解呪も試してみる。


「……何も起きないな」

「状態変化はかかってないようですね」


 アンジェリカと二人、顔を見合わせる。


「んー……。でもまだ、増殖したと決まったわけじゃないですよ。アヤコさんそっくりのホムンクルスを、誰かが錬成したのかも。能力が完全に同じで、記憶も本人のものをコピーしたら、鑑定結果が本物とほぼ同じ内容になるって聞いたことがあります」

「お前こんなに疑り深かったっけ?」

「嫌々我慢して、この子を泊めるのに賛同するんですよ。だったら全力で調べ回さないと、損した気分じゃないですか。あらゆる方向から検討して、早いとこ事件を解決して頂かないと困ります。……でなきゃお父さん、気になって私と遊んでくれなさそうですし」


 言い終えると、アンジェリカはすっくと立ち上がった。

 そのまま綾子ちゃんの手首を掴み、同じように立ち上がらせる。

 

「人間かどうか、確かめてきます。お父さんは絶対に見ちゃ駄目ですからね。いいですね?」


 恩返しに来た鶴のようなことを言い、バスルームに綾子ちゃんを引きずっていく。

 攻撃力300のステータスを誇るだけあり、女の子一人運ぶくらい何ともないのだろう。


「……何を確かめるつもりだよ」


 仮にあの綾子ちゃんがホムンクルスかどうか確かめるとして、どこを調べる気なのか。


 ホムンクルスというのは、錬金術で作り出される人造人間のことである。

 通常は小人だが、人間大のサイズを持たせることも可能っちゃ可能だ。

 とはいえそれを行うと、他の性能が犠牲になるのだが。

 例えば色素が薄いとか、感情表現が希薄とか、どこかのパーツが欠けてるとか。


「――あっ。やだっ。なんでっ。困りますっ」


 ……バスルームの奥から、艶めかしい声が聞こえてくる。

 綾子ちゃんがうめき声を漏らしているのだ。


 俺はそっとテレビを点けて、音量を上げた。紳士なのだ。

 リモコンを操作し、情報バラエティにチャンネルを合わせる。


 やっぱ昔よりテロップとワイプが増えてるよなあ。

 最近なんて一度に二つワイプが浮かんでるのも珍しくないよなあ。

 あー、風呂場の音なんて気にならないなあ。


 なるべくどうでもいいことを考えるようにして、綾子ちゃんがどんな目に遭っているか想像しないようにする。


『奇術師中元、驚愕のヒップパワー!』

『アハハハハ!』


 画面の中では、空虚な笑い声が繰り返されている。

 ちょうど俺の出ている番組だった。

 こうやってテレビを眺めている俺と、出演者として映し出されている俺。

 現在と過去の自分が、二人存在しているようなものだ。

 綾子ちゃんもこんな気分なのだろうか?


 数分ほど思索を続けていると、背後からとたとたと足音がした。首だけで振り返ると、白い足が四本見える。

 アンジェリカと綾子ちゃんのご帰還である。


「間違いなく人間ですね。断言してもいいです」


 ふんす、と胸を張るアンジェリカの隣で、綾子ちゃんは真っ赤になっている。髪が乱れ、息は荒い。


「そうか。ホムンクルスじゃないんだな」

「あらゆる箇所が人間そのものでした」


 深く頷くアンジェリカ。どこをどのように調べたのかは、聞かないでおく。


「じゃあ次はあれか。リオと一緒にいた方の綾子ちゃんが、本物の人間かどうか確認しなきゃいけないんだな」

「そうなりますけど……今から古書店行きます?」

「だなあ」


 出かけるついでに、どこかの店で夕食も済ませてしまおう。

 俺はアンジェリカに何か羽織るよう伝える。


「綾子ちゃんも来てもらうよ」

「……私がお家に顔を出すのは……」

「俺が君の姿を透明にさせられるって言ったら、信じてくれるかな」


 それも手品ですか、と消え入りそうな声で返ってくる。


「そんなもんだ。駄目かな? 綾子ちゃんがいた方が、何かと便利なんだ」


 大槻古書店は、午後六時には店を閉めてしまう。

 なので隠蔽魔法を使って、自宅部分に忍び込む形になるだろう。

 綾子ちゃんが手引きしてくれれば、最小の動きで侵入出来るはずだ。


「……透明に……」

「じれったいですね」


 アンジェリカはベージュのファーコートに袖を通しながら、綾子ちゃんに顔を寄せた。


「お父さんを信じられないんですか? 勇者なんですよ勇者」

「勇者?」

「ですです。最強の勇者なんです。しかもちょっと前まで、四千年の歴史を持った国家より技術を受け継いだ、大職人さんのお手伝いをなさってたんですよ」

「や、やめろアンジェ」


 うちの父ちゃんパイロット、みたいなノリで妙なことを口走るんじゃない。

 綾子ちゃんは俺がラーメン屋の店員だったって知ってるんだぞ。


「そのなんだ、なんでもいいからついてきてくれ。綾子ちゃんも腹減ってるだろ。元々今夜は外食の予定だったんだ」


 有無を言わさず、外に連れ出すことにした。

 わけがわからないといった顔の綾子ちゃんの手を引き、アパートを出る。

 施錠も完了。

 ディナーと調査活動の始まりである。

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