第35話 ド畜生

 綾子ちゃんと二人、夜の街を歩く。

 一体どれくらいアンジェリカを待たせているのかは、正直知りたくない。

 が、知らないのはもっと怖い。


 ちらりとスマホの画面を覗き見る。


『19:04』


 約束より、二時間遅れの帰宅。しかも女連れ。

 最悪である。

 

 もうアパートはすぐそこだというのに、気が重い。


「はあー……」

「中元さん、さっきからずっとため息ついてますね」

「これからやることがあってね」


 言い終えるや否や、【大槻綾子の好感度が9999上がりました】とシステムメッセージが知らせてくる。

 今のやり取りでこれなのだ。どこに好かれる要素があったのか、全く見当もつかない。


 さっきなんぞ一瞬腕が触れただけで、99999も上がった。ついに五桁の大台だ。

 お前ほんと、どうなってんのと言いたくなる。

 アンジェリカと痴話喧嘩やレイス退治をこなした果てに得た数字を、軽々と叩き出してくるのである。


「あー、見える? あそこが俺の部屋なんだけども」

「はい、しっかり番地覚えました。大丈夫です、これからはいつでも押しかけられます」


 大丈夫じゃないだろそれ。

 そうじゃなくて。


「実は同居人いるんだ。……しかも外国人」

「あの金髪の子ですか?」

「す、鋭いね」


 面識あるしな。そりゃこうなるか。


「あいつと話つけないと。綾子ちゃんを泊めようにも、アンジェがなんて言うか」

「ふふ。愛されてるんですね」


 ふふ、とか言ってるのに、真顔なんだよな。

 もしかして刺されたりするのかな。

 綾子ちゃんのステータスで、俺やアンジェリカに傷をつけられるとは思えないけど。


 ……って。

 俺の家の刃物は、強化付与で強度を増してあったな……。

 寝る前に解除させておこう。


 頭の中でサスペンスな光景を繰り広げながら、俺は階段を上る。

 綾子ちゃんも同じように、後ろをついてくる。

 カンコンとリズムよく足音を立てて、二階に到着。

 部屋の真ん前まで進んだところで、俺は足を止めた。


「ちょっとここで待っててくれ」


 鍵を開け、先に一人で玄関に上がり込む。

 なんとしてもアンジェリカを説得しなければ。

 いそいそと靴を脱ぐと、這うようにしてリビングに向かう。


「すまんアンジェ、遅くなった! ……アンジェ?」


 奇妙なことに、部屋の中は真っ暗であった。

 電気を点けていないのだ。

 アンジェリカのやつ、寝てるのだろうか。寝てるといいな。寝てて下さい。

 

 情けない祈りを繰り返しながら、俺は蛍光灯の紐を引っ張った。

 チカチカと瞬きを繰り返したあと、明かりが灯る。


「……ん。お父さん……」


 なんか、いた。


「アンジェ?」


 なにやらベットの上に、目付きの悪い生き物がいた。

 エメラルドグリーンの目に剣呑な光を宿らせ、じとっとした視線をこちらに向けてくる少女。

 ぐちゃぐちゃになった衣類を抱いて横になっている、アンジェリカその人である。

 大変おかんむりな様子であり、対話の余地などほとんどなさそうである。

 つまり俺は死ぬのである。


 呆然と立ち尽くしていると、アンジェリカはがばりと身を起こした。


「遅い。……遅いです!」


 べしっ、としわくちゃの衣類を投げつけられる。

 拾い上げてみると、男物の寝間着だった。俺のだ。

 しかもちょっと汗っぽい臭いがする。

 

「……これ、洗濯物だろ?」


 出勤前、洗濯機に放り込んだ俺のパジャマだ。

 今朝はちょっと慌てていたので、洗う暇がなかったのだ。

 アンジェリカはまだ洗濯機の使い方がよくわからないので、代わりに洗ってくれることもない。

 おかげで濃厚に圧縮され、むわっと男臭い布と化している。

 そんな物体をわざわざベッドの上で握り締めていたわけだが、どういうつもりだろう?

 

「……お父さんのせいです。神聖巫女にあるまじき、屈辱的な行為をするはめになりました」

「何してたんだよ」

「何してたと思います?」


 ご想像におまかせ致します、と言いながらアンジェリカは飛びついてきた。

 俺の胸に顔を埋め、猫のように顔を擦り寄せてくる。


「ねえ? お父さんのことが大好きで寂しがりで、それなのに二時間も遅刻された私が、洗ってないお父さんのお洋服でどんなことしてたと思います? 全部お父さんのせいですよ」

「……雑巾がけでもしてたのかな」

「わかってる癖に」


 気不味いってもんじゃないので、目をそらす。


「寂しかったんですけど」

「悪かった」

「寂しかったんですけどー!」


 ぎゅううううー。と、猛烈な圧力のハグをお見舞いされる。

 ありとあらゆる柔らかいものが、腹に当たる。

 

「絶対、許しませんから。私にあんなはしたない真似をさせたお父さんは、今晩貸し切りですからね」


 アンジェリカは羞恥に頬を染めながら、上目使いに俺を見てくる。

 

 この子は俺のことが、大好きなのだ。

 昨夜のステータス鑑定では、備考欄が以前とは変化していた。

「中元圭介の体を狙っている」から「中元圭介の心と体を狙っている」になっていた。

 今では俺の、内側も好いてくれているということ。

 

 そんな健気な少女との約束を破ったあげく、「わりわり、他の女拾ってきちまったわ」と打ち明けようとしているのが俺だ。


 ド畜生である。


 ビンタで済めばいいのだが、泣かれてしまうと気分はDVだ。

 

「ご飯食べたあと、ラブホテルって場所に行きたいです。いいですよね?」

「ついに意味を知ったな? そこがどんな宿なのかもう把握してるだろ、その目は」


 女性誌やらファッション誌やらを買い与えたせいで、妙な知識が増えているようだ。


「……私、ホテルアマリリスがいいです」


 アンジェリカはとろんとした目で、俺を見つめている。

 どこからどう見ても雌の顔であり、「貴方が大好きです。浮気なんて許さないです」なオーラを放っている。

 話し合いは困難になると予想された。


「……おとーさん」

「なんだ」

「なんか、他の女の子の匂いがする」

「そそそそそ、それはだな」


 綾子ちゃんを抱きとめて救助し、その体勢でうろうろと駅構内を歩き回った弊害がさっそく出ているようだ。

 それともアンジェリカの嗅覚が、異常に発達しているのだろうか?


「……服に髪の毛もついてる。ほら、黒くて長いのが。ボタンに二本も絡んでます」

「えっとな。これはだな」

「んもう。そんな慌てなくてもわかってますよ」


 満員電車ってやつですよね? とアンジェリカは微笑む。


「あのおっかない鉄の蛇で、お父さんは通勤してるんですもんね。あれだけ人が詰め込まれてたら、女の人に寄りかかられることもあるでしょうし」

「……その……」


 しょうがないなー。

 と言いながら、アンジェリカはボタンに絡みついていた髪の毛をつまみ、床に落とした。


「おとーさんのこと、信じてますから。こーんなに私を大事にしてくれてるお父さんが、他の女の子と仲良くするわけないじゃないですか。それくらいわかってますよ」


 真正面から、キラキラとした眼差しを向けられる。信頼と好意のフルブーストで、潤みと輝きが常人の五割増しだ。

 とても直視出来る代物ではない。

 俺は今からこの娘に、「女持ち帰ってきたわ」と白状せねばならないのだ。

 

「アンジェ……その……」


 大事な話があるんだ、と小声で囁く。

 アンジェリカはきょとんとした顔で、首をかしげた。


「どうしました? 急に改まっちゃって」


 アンジェリカは俺の腰に手を回し、「あー、もしかして変な気分になっちゃいました?」と淫靡な表情を作った。


「いいんですよー。私はいつだって準備オーケーなんですから。お父さんも男の人ですしね? これだけベタベタくっついてれば、さすがにやる気になっちゃいますよね」

「あの……」

「んんー?」


 がくりと、うなだれながら言う。


「外に、女の子を待たせてある」

「……」


 チラ、と上目使いで確認してみると、アンジェリカの表情は凍りついている。


「わけあって、帰る場所がないんだ。それで保護しようと思って」

「……」

「いやな? 最近、人が分裂するって事件あるだろ。あれの被害者なんだよ。俺の手品よりあっちに関心が向かってるのは不味いと思ってたし、解決しなきゃと思ったんだよ。手元に置いて、聞き出したいことが色々あるし。なにより顔馴染みだし、こういう時は助け合いだろ?」

「お父さん、正座」

「はい」


 リオの時と逆だな、などと考えつつも従う。

 アンジェリカは腕を組み、傲然と俺を見下ろしている。


「つまりお父さんは、五時にはお家に帰ってきて、私とディナーにしゃれ込むって約束を破ったあげく、女の子を連れてきたと。そう言いたいんですね」


 ひでえ外道だな。

 誰だよそいつ。どこの中元だよ。俺だよ。


「お父さんもやりますねー……」


 つーんと、冷たい目を向けられる。綿ゴミや害虫に対して向けるのと、同じ視線だった。

 

「どうせまた、黒い髪の子なんでしょう?」

「そこはしょうがないだろ。この国の人間は、染めてない限り全員その色なんだから」

「……私も黒く染めた方いいですか」

「いや、アンジェはそのままでいい。確実に金の方が似合う」


 怒っているのか、泣こうとしてるのか、呆れているのか。

 そのどれとも解釈出来そうな表情で、アンジェリカは沈黙している。

 

「随分な早口で説明してくれましたけど、人が増える事件の関係者なんですよね?」

「お、おう。そうなんだ。勇者として調査しなきゃいけないだろ? 全然、ちっとも、下心とかじゃないんだよ」

「……でもうちに泊める必要はないですよね」

「え?」

「そこらのホテルに置いてくればいいじゃないですか」

「ちょっとそれは気の毒じゃないか? 服も切り裂かれてるんだぜ」

「……」


 あと相手が綾子ちゃんだとしても、俺に好意を抱いてる人間を無碍に扱うのは気が引けるというか。

 庇護欲というか。

 

「そう長くは泊めないだろうから……駄目か?」


 むすっとした顔で、アンジェリカは黙りこくっている。

 交渉の余地なし、議論は平行線。


 だがしかし、俺にはとっておきの切り札がある。

 使えばアンジェリカを自在に操れるだろうが、代償として大切なものを失うであろう外法。

 

 けど、他に何も思いつかない。


「頼むアンジェ」

「もう知りません!」


 ああ、やっぱりこれしかないのか。

 許せアンジェリカ。

 俺だってこの手は使いたくなかった。

 ファザコン(育)なるスキルを持ち、父親に甘えるのにも、甘やかすのにも強い関心を持つ女の子。

 そのような相手だからこそブッ刺さる、捨て身の交渉術。


 思えばアンジェリカは、俺がエルザを亡くして可哀想だったから、というのも地球行きを志願した理由の一つなのだ。

 情に厚いのである。


 俺は今から、そこに付け込もうとしている。

 くたびれた感じと幸の薄さには定評のある風貌を活かして、泣き落としに入ろうとしている……!


「アンジェ……すまん」


 俺は「さっき女房に逃げられました」な声を発しながら、がくりと手をついて土下座した。

 そんな声を自在に出せる俺は、もう駄目だと思った。 

 情けなさを醸し出すのが、自分でも引くくらい上手い。

 落ちぶれた人生の果てに得た、しょうもない技能であった。

 

「……出来心だったんだ。俺にはお前だけなんだよ」

「男の人ってみんなそう言うらしいですね? お父さんにも当てはまるとは思いませんでした」


 なるべく情けなく見えるよう、のろのろと顔を上げる。

 アンジェリカは俺と目が合うと、ぷいっと視線をそらした。


「もう、おしまいだ。お前にも嫌われちまったんだからな」

「……それで同情を引いてるつもりなんですか? ちょっと演技がくさいですよ」

「かみさんにも、逃げられちまった」

「か、かみさん? エルザさんのことですか?」

「へへっ。今頃早苗のやつは、他の男とよろしくやってんだよ」

「サナエって誰ですか。そこはエルザさんじゃないんですか?」

「俺もエルザも黒髪なんだから、それじゃアンジェリカは生まれてこないだろ。お前の実母は早苗なんだよ。それくらいわかるだろ」

「生まれて……? え? 私、実の娘って設定なんですか?」


 俺は見逃さなかった。「実の娘」と口にした途端、アンジェリカの目がきらりと光ったことを。

 ファザコン属性を保有しているならば、これが一番効くのは予測済みだ。


「俺にはもう、お前しかいねえんだよ……。なあ。酒だってやめるよ。頼むよ……」

「お父さん普段から、お酒飲んでないですよね……?」

 

 何を隠そう、俺は下戸である。

 だがそんな事実はどうでもいい。

 

「お前にまで見捨てられたら、俺はどうすりゃいいんだ……?」

「ど、どうするって……」

「首くくるしか、ねえじゃねえか」

「……無理……。わ、私そういう、弱った顔って放っておけないんです。……無理……!」

「アンジェぇ……どこにも行かないでくれよぉ」


 俺は泣き崩れ、パチンコで生活費をすりました、な声を出す。

 だからなんでそんな声が出るんだよ、と自分でも嫌になる。


「お父さん……大丈夫だから。私がついてますから」

 

 アンジェリカは膝を折ると、ぽんと俺の頭を乗せた。

 俺はしがみつくようにして、アンジェリカの体に腕を回す。


「お前、いい匂いがするな」

「な、何言ってるんですか……?」

「すっかり女になった」

「お父さん……? なんだか変ですよ……?」

「顔だってそうだ。お前、母さんに似てきたな」

「そりゃ親子ですし……似てるに決まってるじゃないですか」

「お前を見てると、早苗の若い頃を思い出す」

「お父さん……?」


 俺はアンジェリカの目を見ながら、投げやりに笑ってみた。

 自分では、どう見えているのかわからない。

 だがアンジェリカの反応を見る限り、相当の底辺顔になっているようだ。


「俺はいよいよ、落ちるとこまで落ちたみたいだ。お前を見てると、体が勘違いしちまうんだよ。母さんと仲良くしてるみたいに感じるんだ」

「や、やだ……。私達、実の親子なんですよ……? こんなの絶対おかしいですよ……?」


 金髪碧眼の外人娘と、黒髪黒目の和風おっさん。

 どこにも血の繋がりを見い出せないが、すっかりアンジェリカは実子の気持ちになっているらしかった。


「……いいだろ?」

「だ、駄目。駄目なの。お父さんはきっと、寂しいだけなんです」

「……アンジェ……辛い現実、忘れさせてくれよ……お前が早苗になるんだよ……!」

「ああっ……! こんなのいけないのに……!」


 アンジェリカはハアハアと息を荒げ、世界観に没頭していた。

 耳まで赤くなり、背徳のシチュエーションに身悶えている。


「……わっ、わかりました。今日から私が、お母さんの仕事も引き受けます。私がお父さんの、奥さんになります。だから死ぬなんてやめて、お父さん……! ううん、あなた……!」


 ちなみにシステムメッセージは、猛烈な勢いでアンジェリカの好感度と性的興奮が引き上がっているのを伝えてくる。

 この小芝居を始めてすぐに、【アンジェリカの性的興奮が120%に到達しました】と表示されていたりする。


「じゃあ、外にいる綾子ちゃんを泊めてもいいよな?」

「……うん……いいよ、あなた……」


 未だ混乱したままのアンジェリカから離れると、ドスドスと足音を立てて玄関に向かった。

 ドアを開ける。


「すまない、少々時間がかかった」

 

 綾子ちゃんは両手を擦り合わせながら、寒さに耐えていたようだ。拝むようなポーズですりすりしている。


「入っていいんですか? すみませんご迷惑かけて」

「いや構わないよ。なあに、ここじゃ俺が家主だからな。堂々としてればいいのさ。俺が言えばアンジェは大概のことは聞いてくれるからな」

「まあ。中元さんって亭主関白になりそうですね」


 きっとオレ様な物言いで説得したんでしょうねー、と綾子ちゃんは笑っている。


 ちなみに今俺の頭を占めているのは、アンジェリカに買うお詫びの品についてである。

 明日はさらに情けない声を出し、許しを乞いながら渡すつもりである。

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